エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪私≫が生まれるのは、ゆとりから

2015-08-03 08:10:00 | アイデンティティの根源

 

 二律背反をまとめることは簡単なことじゃぁない。しかし、それをまとめることは、健全で、尊く、人を癒す力があるようですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p216の第2パラグラフの11行目途中から。

 

 

 

 

 

私どもは1つの絶対的な舞台から、もう1つの絶対的な舞台へと、どうやったって、行くことなどできません。私どもが天与の気付きの器官を用いることができるのは、≪いまここ≫なんですね。それは人間の条件に内在する二律背反をまとめるためなんですね。心理学的に申し上げれば、つまりそれは、どんな時でも、どんな行動、どんな考えでも、私どもの衝動や良心では気付くことができないレベルまで、協力して物事を決めることですね。私どもの自我が一番強力なのは、私どもの衝動を否定しすぎた場合じゃぁなくて、愉しめることを一緒に愉しみ、「ねばならないこと」は止めにして、創造性に従って、愉しめることを純なものに、一緒にしていくことですよね。それは、私どもの良心がいう「ねばならないこと」に対して、いつでも、良い遊び、ゆとりを作り出すことです。

 

 

 

 

 

 遊びとゆとりがどれだけ大事か分かります。ゆとりと遊びがあって初めて、人は自由になれるからです。良いものはね、必ず、自由から生まれるんですね。しかし、無制限の自由ではなくて、制限のある自由、「自由にして守られた空間」から、創造性=≪私≫は生まれます。

 

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感覚を磨くことが、叡智の源

2015-08-03 07:27:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 「善意の暴力」は、人間らしい叡智で撃退できますから、叡智を働かせて生きましょう!

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p64の第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 そうして、(新人の)高齢者のために、私どもは、どのような最後の心理性的な舞台を示せるでしょうか? それは、五感で感じたことをまとめることですね。それができれば、身体が弱くなり、精力が衰えても、豊かな心身の経験を育むことができますからね。(明らかに、リビドー理論をこのように拡張するのは、議論を呼ぶことでしょう。ですから、表Ⅰでは、( )に入れて、示してあります。)

 

 

 

 

 

 年を取れば、五感も弱まりますね。でも、五感を働かせて、それをまとめることが高齢者の舞台にはふさわしい。五感を研ぎ澄ますためには、集中すること、瞑想すること、自然に親しむこと、一流の芸術に触れることなどのやり方があるでしょうね。そうやって五感を研ぎ澄ますなかで、五感で感じたことをまとめていくことです。それこそが叡智の源になりますから。

 

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聴く力

2015-08-03 02:44:57 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ウソとゴマカシの極北 親愛なる友よ 第二弾
  欲がなさそうに見える母親が、子どもに対して強い敵意を抱いている、というのは、驚きですね。 p57下から2行目から&n...
 

 

 聴く力、と言ったら、カウンセリングやセラピーの基本です。でも、カウンセリングやセラピーの専売特許じゃないのも事実でしょ。「いい仕事」はおしなべて、「聴く力」の賜物だと私は考えます。

 ヴァイオリニストと言ったら、人に自分の音を聴かせる仕事だと思う人が多いでしょう。確かにクラシック音楽のコンサートに行けば、ヴァイオリニストたちの出す音に耳を傾けることになります。以前このブログでも取り上げました五嶋みどりさん。自分か引く音はどこから聞こえてくるんでしたっけ? それは「自分の中から」でしたね(天才 五嶋みどり)。ですから、五嶋みどりさんは、演奏前に、あるいは、演奏中に、その内側から聞こえてくる音を一生懸命に「聴く」訳ですね。あれだけ深い感動をもたらしてくれるのは、五嶋みどりの「聴く力」が賜物ではないからでしょうね。

 あるいは、教師。教師と言ったら、子どもを前にして、国語や理科、学校のルールを「教える」人だと、思っている人が多いのじゃあないかしらね。教員自身もそう考えてる人が実は多い。でも、本当の教師は「聴く力」があるかないかによって決まる、と私は考えます。金森俊朗さんは、何よりも話し合いを大事にします。名古屋大学のE研のように、強者である教師を前にしても、子どもが自由に話せる場を提供しようとするんですね。これはセラピーにも通じる「自由で守られた空間」づくりでしょ。ですから、金森俊朗さんは、そのために心掛けていることがあるようですよ。それを次のように述べています。「大切なのは、作文が自分の言葉でリアルに書かれていること、発表後子どもたちの意見交流・応答に十分時間をかけ、教師が一人ひとりの声を豊かに聴くことに徹することです」http://www.nhk.or.jp/tokkatsu/ijimezero/teacher/2013_011_02_shidou.html

金森俊朗さんは子どもの声にならない声を「聴く力」が非常に鋭いことが分かるだろうと思います。

 俳優。高倉健さんは、「演じることには、生き方が出る」と言いますね。「生き方を出す」のじゃない点に注意が必要ですね。生き方が「出る」のであって、「出す」のじゃぁない。意識的にするんじゃぁないってことでしょ。ですから、「感受性、感じる心を大事にしていた」と言います。高倉健さんも「聴く力」をことさらに大事にしてきたと言えませんか? (「自分にうそのない充実した時間を過ごされてください」

 「聴く力」、それは、「聴く相手」と誠実に話し合い、やり取りするためであって、相手をコントローしたり、支配したりするためではないことは確かでしょ。

 

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