
少数意見がなぜ大事なのか?

世界にいっそうの自由をもたらす<新しいヴィジョン> 身代わりとしての患者2013-08-28 02:00:39 |&n...
意識と無意識を今晩は考えます。
と言っても、私は個人を相手にする心理療法が生業ですから、大局観に立ってお話するというより、個人に寄り添う形で、ご一緒に考えることができればと思います。
ある小学生と投影法を用いたセラピーをしています。何回か前から、あまり気乗りのない感じを強く感じていましたが、表立った症状が治まっているので、もうセラピーをしなくてもいい、と思っているようなんですね。さらにそれにもまして、セラピーのような特別なことをすることは、「恥」と感じているので、症状が治まった以上、「もうやりたくない」と意識の上では、考えているらしいのです。
しかし、先ほど投影法のセラピーをしている、と申し上げましたよね。その投影法を通して、小学生が語ることは、無意識においては、「自分のありがたくない症状の中に、「光」を見つけたいし、実際見つけることになります」と言うんですね。その種の「光」は、日常生活を送っていく中では、なかなか見つかるもんじゃぁありませんから、無意識では「セラピーを続けたい」と言っている感じになります。
このように考えると、意識で考えていることと、無意識が考えていることは、正反対だ、ということになりますね。河合隼雄先生は、「意識と無意識は補い合うものだ」、「相補的だ」と、常々おっしゃいます。ですから、この小学生の場合も、意識と無意識が補い合うものとなるのかもしれません。まさに真逆を言っていますから、単純にセラピーの中断と継続の二者択一ではない感じがしますよね。
理屈で言ったら、二者択一ということかもしれません。でも、私の感じでは、まだその感じが十分に言葉にはならないのですが、単純にセラピーの中断にはならない、と感じますね。「第三の道」が用意されていることを強く感じますね。
私の予感が現実になるのかどうかは、今は「分かりません」と言うしかないんですけどね。でも、私の予感が現実になるのじゃないのかなぁ、という感じが強くあるのも事実ですね。
不思議でしょ、面白いでしょ。
