エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

内と外

2015-08-30 10:36:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 激しい怒りという闇に、気前の良さという光を見つけることができたので、ルターはルターのなれました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.222の ブランクの後から。

 

 

 

 

 

 単独者だけが、このように、ローマカトリック以前のキリスト教の本質を、再び口にすることができたわけですね。道義的に見て誠実なものだけが、ローマカトリックをそのままにしておいても、自分が説教することを許されるだろう、と間違って信じることができました。この思い違いは、ルターが95箇条の提題をヴィッテンベルグの教会の扉に釘付けしたときも、とどまりませんでした。95箇条の提題を釘付けすること自体は、ケンカ腰のことじゃなくて、スコラ哲学の常道でした。しかし、いろいろな事情の故に、そのことは、最後の章で詳しくお話しますけれども、行いは霊的には取るに足りないことだとルターがしたことが、経済的に反抗する支柱として利用されちゃったんですね。すべての北ドイツがローマカトリックの課税を制限する機会に飛びついちゃったわけですね。その課税は、穏健な神学的土台の上にあると思われていましたからね。この議論の中で、ドイツ人たちは、議論する声、待ちに待った声を聞き取ったんですね。

 

 

 

 

 

 世界史で習ったことと、ちょっとニュアンスが違いますね。ルターは、95箇条の提題をヴィッテンベルグの教会の扉に釘付けしたのは、反抗的なことじゃぁなかった、というんですからね。世界史の教科書では、これこそ反抗の始まりとされてましたからね。ルターの、最初は内的な必要から生まれた気付きが、歴史的な事情、外的な事情、ある種の要請と結びついてしまった訳ですね。歴史って、面白いですね。

 

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分かち合うことは良いもんだとする確信

2015-08-30 08:48:19 | エリクソンの発達臨床心理

 

 意識して、仲間の扉を開いておきましょう。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p71の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」と、generativity 「次世代の人や事を、自分が損しても、育むこと」も、深い関係にあることは明らかですけれども、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」は、最初は、親しみを感じる礼拝をプレゼントしなくてはなりません。この親しみを感じる礼拝は、その人ならではの振舞とか言葉遣いだとかでまとまりが出来る、内輪の生き方を育ててくれるものです。というのも、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」は、掴まえ所がないけれども、心理社会的展開すべてに広がる力を、ずっと守ってくれるもの、すなわち、仲間のやり方であると同時に、個人のやり方になる力なんですからね。この仲間のやり方であると同時に、個人のやり方になる力が、与えもし、同時に、求めもするのは、分かち合う生き方が良いもんだという確信です。すなわち、1人が自分を確かにさせることが、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」を共にすることにおいて補償されることになり、1人の生き方が、人や物事を作り出すことに団結して献身することと結びつくんですね。

 

 

 

 

 

 こうなれば、良い仲間が出来ますでしょうね。その元になっているのが、intimacy インティマシー 異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」であることを忘れてはなりません。これは、アイソレーション 「異性や異世代や異なる立場の人とやり取りせず、コントロールしようとしたり、なるくべ関わらずにおこう、とすること」よりも、intimacy インティマシー 「異性や異世代や異なる立場の人たちと、やり取りのある関係ができること」の方を、選択するという主体的な心構えと行動が必要だったんでしたね。

 良い仲間を作るためには、この主体的な選択がなくてはなりません。

 

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いまこそ、「自分の感じに従って、行動を始める」時ですよ。

2015-08-30 05:38:51 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪私≫は、大事な母なる≪他者≫が繰り返し継続的に世話してくれるから生まれるのです。第六弾 
  もうすでにお判りでしょうね。ここでもエリクソンとフロムはシンクロナイズドしているんですね。エリクソンはが「日常生活の中の礼拝」を大事にしますよね。それ...
 

 
 以前このブログで「「腑に落ちない」をゴマ化さない 吉本隆明さん」と題して、第二次世界大戦を日本が戦ってる時、戦おうとしている時に、吉本隆明さんが感じた「腑に落ちない」感じを考えたことがありましたね。覚えておられますか? 吉本隆明さんは、その「腑に落ちない」感じをホッタラカシにしておいた。それで、あんなにも愚かしくも、残虐な戦争に巻き込まれてしまった訳ですね。敗戦後、戦争中の反省の一番として、タイトルにあったように、「腑に落ちない」感じをゴマカサナイことを、吉本隆明さんは、ご自分の思想形成の要にした訳ですね。

 その吉本隆明さんの影響を非常に受けていると公言する、高橋源一郎さんが、今月の朝日新聞の「論壇時評」で、女性や高校生や漫画家たちが、感性が、男や大人や会社員よりも強い人たちですが、戦争に突入しかねない時代状況を敏感に感じて、それに「なんか変だ」と感じてること、そして、声を挙げていることを、” 良い感じだ “と、記してましたね(「「外注」した政治 戦後70年 いま取り戻す」、『朝日新聞』12版▲ 27, 8, 2015, p.17)。これも基本は、吉本隆明さんの「腑に落ちない」感じをゴマカサナイ、ということに通じてますね。

 「自分の感じに従って、行動を始めること」。「腑に落ちない」感じをゴマカサナイで、女性たちや高校生たちや漫画家たちが発言し、行動をしていることですね。それは心理学的に、何かあるんでしょうか?

 始めることは、英語で言えば、beginやstartだと思っている人もいるでしょう。もちろん、これは間違いじゃぁ、ありません。でもね、それだけじゃぁ、ないんですね。もう1つ、initiateもあります。イニシャル initialと言えば、名前の最初の文字でしょ。その動詞形のinitiateには、何かを始める意味があります。あるいは、◎◎会や組織に「入る」場合も、initiateを使うようですね。この形容詞 initiative 「自分の感じに従って、行動を始めること」を心の発達の重要な転機としたのが、エリクソンでしたね。a sense of initiative 「自分の感じに従って、行動を始めること」は、「自主性」とか「積極性」と翻訳したんじゃ、分かりませんでしょ。エリクソンは、人生は、≪私≫という感じ a sense of ' I ' の展開と考えたわけですから、自分が感じていることを何よりも大事にしたんですね。幼児後期、3才位から6才位まで、幼稚園の頃ですね、そのころに身に着けたほうが良い心理特性が、「私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiativeですね。

 これについても、以前このブログ「国立市から 改訂版」で取り上げています。吉田都さんが吉田都さになれたのが、まさに、私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiative のおかげでした。

 私どもも、真の日本市民になるために、いまこそ、「私の感じに従って、行動をはじめるのが良い感じ」a sense of initiativeを発揮する時ですね。

 

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