エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

悪い良心の餌食になると…。

2015-08-16 11:38:19 | アイデンティティの根源

 

 ルターは、考えられるすべてをやっても、心からの平安が得られませんでした。当然ですけどね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.219の第2パラグラフの9行目途中から。

 

 

 

 

 

 ルターは、こういったことは、ユダヤ教の「律法」に退却することだと考えたのでした。この「律法」においては、重箱の隅を楊枝でほじくるがごとき細々したことを守ることが、「ねばならないこと」をやりすぎている、とルターは感じたんですね。この細々したことを守らなければならない時には、ルターはよくよく知っていることですが、悪い良心が幅を利かせることになっちゃいますね。これは、毎日の一瞬一瞬を、小さな最後の審判の(訳注:コワーイ)時に切り分けることになります。こういった小さな「ねばならない」をすることで自分を救うことが、「良いこと」とされたが、その「良いこと」をいくらやったって、信頼を培うことにもなりませんしね、他の人に一時の平安をプレゼントすることにもなりませんよね。

 

 

 

 

 

 こういう人は、すぐ分かります。表情が暗いでしょ。笑ってても、心からの悦びがないわけですからね。なんせ平安がないんですからね。眼が笑ってない。そういう人に限って、自分が目立つようなことをするわけですね。フェイズブックにやたらに自分の顔写真を載せたりね。ですから、すぐにそれと分かります。

 心からの平安が得られますように。

 

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弱い立場の人を、自分が損しても、大事にするのは、命と命の響き合い

2015-08-16 09:36:44 | エリクソンの発達臨床心理

 

 大人には、「大きな人」に相応しい「人の痛みを自分の痛みとする、大きな優しさ」が必要です。アベシンちゃんのような、人の痛みが分からない人になってはいけませんね。子どもの皆さんは、アベシンちゃんは、「あーいう大人にだけはなっちゃ、ダメ」というような、「ダメな大人」の見本にしてくださいね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p68第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 しかし、人生のそれぞれの舞台で特徴になる、いろいろと対になる他の現象に関する説明を進めなくてはなりません。この対になる現象が、組織にとっても、人類そのものの命運にとっても、生死を分ける結果になるからですね。もしも、care 「弱い立場の人を、自分が損をしても、大事にすること」が、(前に引用しました他の人間力と同様に)、訓練して初めて使えるようになるエネルギーを自由に使って、命が他の命と響き合うトレンド trend 「心の傾きであると同時に、その表れである態度」だとすれば、それに対応する、命が他の命に響かない トレンド trend 「心の傾きであると同時に、その表れである態度」もある訳です。

 

 

 

 

 

 命と命が響き合う関係が良いのか? 命が命に響かない関係が良いのかな?

 それは、心の問題であると同時に、どういう関係を望んでいるのかという選択の問題でもある訳ですね。

 

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社会<組織<自分 or 自分<組織<社会<神 ?

2015-08-16 07:57:24 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
目標・指針・目的、そして、ヴィジョン
 見通しがあれば、毎日がキラキラ、ピチピチ!2013-08-15 02:56:06 | エリクソンの発...
 


 内村鑑三の多磨霊園にある墓には、「I for Japan, Japan for the World, The World for Christ, And All for God」(私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そして、全ては神のために)との墓碑銘があると言います。上の写真がそれです。

 昨日は、丸山眞男教授の著書『日本の思想』から、日本の組織が「タコツボ型」の組織であり、そのタコツボ型の組織の中で、「組織のために」、「会社のために」することが、実は、日本軍やナチスと同様の、ハンナ・アーレントの言葉で言えば「人類に対する犯罪」である、とご指摘しましたね。なぜなら、この「組織のために」、「会社のために」が、個人の無意識の抑圧と集団の無意識の抑圧を繰り返す中で、その抑圧圧力が高まるとともに、抑圧する心構えが狂信化するために、かえって、抑圧しない心構えが出来て、無意識の圧倒的な暴力、個人の運命など簡単に弄ぶほどの暴力を招くからなんですね。

 昨日も触れましたが、この「組織のために」、「会社のために」は結局は、組織や会社のためになることが「自分の得になる」と信じているから、そうしている訳ですね。最近は、そのはずが、過労死や労災やハラスメントにあって、「こんなはずではなかった」という魔坂にぶつかることも少なくないようですが、基本は「自分のため」。つまり、会社が組織が、自分(の利益)という目的のための手段になっている訳ですね。言葉を換えれば、エゴイズム、自己中を実現したいがために、組織や会社を利用するわけですね。ですから、自分が得するためには、会社が、日本や社会に悪影響や放射能をバラまくことがあっても、自分が得する限りでは、その「人類に対する犯罪」も平気でできる。あくまで、「タコツボ型」の組織では、「社会は会社のため、会社は私のため」にあるはずのものだからです。「タコツボ型」の組織のメンバーの思想と行動のあり方が、あくまで内向き、文字通り、“自己中心” にまとまっていることが分かりますね。社会<組織<自分。

 この逆が、まさに、内村鑑三の墓碑銘に記されていることが分かりますね。この「私は日本のために、日本は世界のために、世界はキリストのために、そして、全ては神のために」を数学記号で示せば、「私<日本<世界<キリスト、全て<神」ということになるでしょ。目的は、キリストのため、社会のため。と同時に、キリストや社会のために役立つような自分のためでもある。目的と手段が、常に対話的、相補的でしょ。

 あなたは、どちらを選びたいですか?

 

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