エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ルターもミセカケがお嫌いでした

2015-08-14 08:17:34 | アイデンティティの根源

 

 民主化のためには、間違いや「腑に落ちないこと」に対して、ハッキリ「NO」と言う姿勢が大事です。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.218の 下から3行目途中から。

 

 

 

 

言い換えによって、私どもの、自分の最前線(訳注:無意識)を感じる感覚が瞬時に鋭くなる範囲で、その言い換えは生き残ります。その言い換えが、たとえ、次の時代には誇張される焦点になったとしても、です。ルターがwork 「仕事」とworks 「業績」について語る時、宗教に関して、自分の中で為すべきことと思っていること(あるいは、払うべき献金)を、実際にどれほどやってるのか(どれだけ払っているのか)?と人に問う雰囲気に抗して、ルターは語りました。ルターは、業績に抗して語り、宗教的ミセカケに抗して語りました。宗教的なミセカケなど、献身する身の本質にも特質にも、何の関係もありません。

 

 

 

 

 

 恵みになるはずの物事が、自分の業績によって、手に入れるものにすり替わる。慎み深い生き方の基になるはずの物事が、人を傲慢不遜にしていまう元凶になる。ルターは、自分がビョーキであっただけに、そのミセカケとゴマカシを嗅ぎ分ける鼻を持っていたわけですね。

 いまもピスティスとは、本来関係ないことが、さも、「昔からこのやり方が正しかったのです」と言いたげに、道の真ん中を歩いている場合が非常に多い。そうすると、本物は横道・脇道に入って行ってしまって、世間様から見づらくなってますから、その点にどうかご注意くださいませ!

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大人になり切れない人たち

2015-08-14 06:34:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 大人は、捨て身になれるからこそ「大きな人」なんですね。小さな人は何歳になっても、人の世話なしには生きられません。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p67の 下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

generativity 「次の世代を育むこと」は、さまざまな点で立ちいかなくなると、もっと前の舞台に退行することかが強迫的な形で起こるかも知れないですね。それは、上辺だけでもいいから温もりを求めてベタベタせずにはいられなかったり、自分のイメージにこだわらずにはいられなかったり…。いずれも、これはstagnation 「異性や異世代の人とやり取りができず、コントロールしようとしたり、ホッタラカシにしたりすること」なんですね。

 

 

 

 

 

 昨日翻訳したところに出てくる大人とは対照的でしょ。ベタベタしたり、自分のイメージにこだわったり…。自分のイメージにこだわるといっても、この場合は、表面的なこと、服装や持ち物に関することでしょう。内面が貧しいからですね。

 私どもは、いつでも、内省、内観を忘れずにしたいですね。

 

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日本人の「狂気の無責任」はこうして生じます

2015-08-14 03:22:59 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
乾燥ワカメと最深欲求
最深欲求2013-08-13 01:27:29 | エリクソンの発達臨床心理  ...
 

 今晩は、ユングの第10夜。とりあえずの最終回。

 ユング著作第8巻(Collected Works of C.G. Jung, Volume 8 : The Structure and Dynamics of Psyche)『魂の形と魂の爆発的な力』pp.159-234、On the nature of the Psyche「魂の性質について」から。ただし今回も、東京女子大学の林道義さんの翻訳(紀伊國屋書店)も参照しています。

 はじめは、日本人の集団心理の危険性について教えてくれているところです。

「もし一人の意識が、集団心理(世間)の考えや意見を好み、同調すると、集団の無意識は抑圧されることになります。集団の無意識が抑圧されますとね、典型的な結果が生じてきます。抑圧された集団の無意識が持つエネルギーがある程度まで高まって、抑圧するエネルギーまで高まると、抑圧する効果もエネルギーの増加に伴って、高まります。集団の無意識を抑圧すれば抑圧するほど、集団の無意識を抑圧する心構えが狂信的になっちゃって、逆転が生まれ、抑圧しない心構えが逆に生じます。集団心理が強まれば強まるほど、個人の働きが失われてしまいます。個人の自我は、いわば、集団心理(世間)の傾向や好みに吸収されちゃって、その結果、太鼓持ちの同調人間ばかりになって、「世間で良しとされていること」(訳注:「八紘一宇」「会社のためだから」「お前も組織の人間なんだから」など)の餌食になっちゃいます」(前掲書,p.219)

 ユングは日本人の行動様式を知って、このように言ったのではないのかな? と思うほど、見事に日本人の思想と行動を言い表していますよね。集団の無意識を最初は抑圧しているのに、いつの間にか、その抑圧が取れて、集団の無意識の圧倒的な力が、暴力的に、個人の運命を弄ぶ形で、発揮されてしまいます。日本軍の暴走然り(日本人だけでも、300万以上が、3年8か月の間に殺された)、御巣鷹山の日航ジャンボが然り(520人が殺された)、フクシマが然り(何人殺されることになるのか、いまだ分からない)。

 じゃあ、個人の運命を、暴力的に弄ぶ無意識の暴力から、どうやったら、私どもが救われるのか? それについて明確にユングが述べているところは、ハッキリしません。すくなくとも、そのヒントは語られているように思います。

「元型はいつでも≪いまここ≫にありますし、常に働いてます。元型はそれが存在することを信じてほしいのではなくて、その元型が何を意味しているのか? を直感して貰いたいし、元型に対して賢明な畏れを感じてもらいたいんですね。すなわち、δεισιδαιμονια デイスダイモニア 「神を畏れる気持ち」を忘れないことです。これは元型の大切さを見失わないで、ということです」

 これはある意味、根源的信頼感を豊かにしていくことですね。しかも、その時に、個人や組織や時代を超えるもの、アプリオリにあるもの、人間のコントロールが及ばないものを認める心構え + 根源的信頼感の豊かさが、このユングの言わんとするところと近い、と私は見ますね。

 


 

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