子どものころに、その創造主を覚えなさい
「アーメン」という言葉には、計り知れない、人智を超えた深い意味がある。そのことを考えただけでも、不思議な感謝が溢れてきますよね。真理。それはそう言うも...
今晩は、「良い子」の悲劇について、さらに考えたいと思います。今日も佐々木正美先生の論文を参考に、皆さんと一緒に考えたいと思います。それは、悲劇を、できれば、感動劇にしたいからです。
今日のタイトル「お前はいつも、居て欲しい時に、居ないじゃないか!」は、先日のブログ「エバる父親と、「よい子」の悲劇」でも触れた、殺人などの凶悪事件を起こした「良い子」たちが、異口同音に語るセリフ、として、佐々木正美先生が、論文「子どもたちのための医療福祉」(川崎医療福祉学会誌 増刊号,2007, 27-37)に紹介していました。しかも、これは少年たちが誰に言っているかと言えば、父親ではなく、母親に対してなんですね。
ですから、親、特に、母親が子どもと「共に居る」ということが、どれだけ大事かが分かるだろうと思います。母親が仕事をしているケースでは、それがままならないケースがあることも分かります。その時には、私は「仕事を辞めて下さい」とは申しません。何と言うかと言えば、「仕事で今までと同様に評価されることを諦めてください」と言います。日本の職場ですと、仕事がなくても、ダラダラと職場にいることが、「何となく良い」と思われがちですね。あるいは、ダラダラと職場にいることが「職場に忠実」と思われがちです。こういう「迷信」を振り切るためには、ある程度の勇気と、「今までと同様に職場で評価される」ことに対して≪諦める≫ことが必要でしょう。ある程度仕事が終わったら、≪サッサと帰る≫のが大事です。もっと言えば、「子どもと共に居る時間」を確保するために、「この時間が来たら帰る」という時間をあらかじめ決めておいて、原則その≪時間が来たら帰る≫というを「ハッキリさせる」ことも大事です。これにも、「今までと同様に職場て評価される」ことを≪諦める≫ことが大事になりますでしょ。仕事で評価されようとしたら、「時間が来たら帰る」などと言ってられませんでしょ。
でも、自己肯定感、セルフエフィカシー、自己信頼、根源的信頼感、いろんな言葉がありますけれども、≪大丈夫≫という気持ちが弱い場合、仕事で評価されないと「ダメ人間」と感じやすくなりますね。その場合は「仕事で今までと同様に評価される」ことを諦めきれなくなっちゃいすまよね。
その時に大事になるのが、アンパンマンですね。いつでも私は唐突でしょ。≪諦める≫というと、なんか消極的に聴こえがちですよね。でも、≪諦める≫には、肯定と否定の両面の意味があることをご存知でしょうか?否定的意味は、「断念する」、「何かを止める」という意味になりますでしょ。でもそれは事の半分にすぎません。肯定的な意味の場合≪明らめる≫という字になりますが、「明らかにする」、「ハッキリされる」、「悟る」という意味になります(講談社『日本語大辞典』ほか)。何を「ハッキリされる」のか?「悟る」のか? と言えば、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」というアンパンマンのテーマソングですね。
仕事、それは大事に決まってます。家族がご飯を食べていくのに欠かせませんもんね。でもね、子どもと「共に居る」時間を犠牲にしてやったら、本末転倒じゃぁないか知らね? 仕事も、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」と関係づけを「ハッキリされる」ことです。
私はなぜそう言うのか? その子どもと「共に居る」時間を、「子どもに喜びを与える時間」にしてもらいたいんですね。「共に居る」時間にも、自覚的・意識的・「ハッキリされる」様にしてもらいたいんです。そのためには、「子どもに喜びを与えることを悦びにするような育児と教育をする」ことでしょ(佐々木正美先生、前掲書,p30)。子どもと「共に居る」時間を悦びにしましょう。それが感動の始まりですよ。
いかがでしょうか?