エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

プロフェッショナル ルターの流儀

2015-08-21 07:58:54 | アイデンティティの根源

 

 信頼があれば、どんな仕事でも、司祭や牧師と同等の働きが出来ます。それが最初のルターの考えでした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.220の第2ラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルター本人の自分自身の仕事に対する態度に関しては申し上げれば、話をすることを自分の仕事の中心にできる時にだけ、自分の考えが分かるようになれるし、自分の考えを信頼できるようになりました。それに神様も信頼できたわけですね。ルターが講義をしたのは、信心深さからではなく、悲劇的な葛藤を感じたからでした。しかし、ルターは説教の準備をし、説教をするほどに、気持ちの上でも、知的にも、イキイキ、ピチピチしてきました。これは「ねばならないこと」ではありません。これは仕事であって、しかも、一番いい意味で仕事でした。実際、ルターが自分の仕事すべて、腹蔵なく言葉にするという仕事をしたのは、スコラ哲学の流儀が大手を振って表を歩いているところでした。ルターの流儀は、ルター自身の確信を示していたんですね。その確信とは、体裁など考えずに、なるべく正直に語る方が、人に良く伝わるし、気持ちがよく伝わる業になる、ということです。

 

 

 

 

 ルターの流儀は、完全に内村鑑三の流儀になりました。本当のことは、体裁や上手下手ではなく、正直に率直に、ふがいなくても、話すことが、結局は人の心をつかむというやり方ですね。

 私どももそれくらいバカ正直でやりたいものですね。

 

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悪魔、登場!

2015-08-21 07:07:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、子育てから国際政治まで、非常に射程の長い課題です。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p69の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、さらに、集団で発揮する場を求めて、とても広い場を探しています。(多くの場合、お隣の)集団に対する戦争と同様に、その(お隣の)集団は、自分達の仲間に脅威になりそうだと一度ならず思われるのです。これは、領土や市場を争ったからではなくて、単に、我々とは危険なほど違いそうだ、というだけのことなんですね。ですが、お互いに、危険なほど違うという気持ちを伝え合うことになりがちです。こういった世代間の諍いとrejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、どこにでもある人間の傾向、すなわち、「人間を上下2つに分けるウソ」と呼ばれる傾向を、固定化する生育歴上、一番強烈な重しになります。

 

 

 

 

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」+「人間を上下2つに分けるウソ」が結び付いちゃうと、ほとんどいつも、さまざまな、強烈な人権侵害が生じます。家庭、学校、会社、地域社会、国際社会での、イジメ、ハラスメント、差別、抑圧、ヘイトスピーチ、ジェノサイド、戦争で、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」と「人間を上下2つに分けるウソ」とが、結びつかなかった例を知りません。

 この2つが結び付くと、それは悪魔そのものです。

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お前はいつも、居て欲しい時に、居ないじゃないか!

2015-08-21 03:52:28 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
子どものころに、その創造主を覚えなさい
  「アーメン」という言葉には、計り知れない、人智を超えた深い意味がある。そのことを考えただけでも、不思議な感謝が溢れてきますよね。真理。それはそう言うも...
 

 今晩は、「良い子」の悲劇について、さらに考えたいと思います。今日も佐々木正美先生の論文を参考に、皆さんと一緒に考えたいと思います。それは、悲劇を、できれば、感動劇にしたいからです。

 今日のタイトル「お前はいつも、居て欲しい時に、居ないじゃないか!」は、先日のブログ「エバる父親と、「よい子」の悲劇」でも触れた、殺人などの凶悪事件を起こした「良い子」たちが、異口同音に語るセリフ、として、佐々木正美先生が、論文「子どもたちのための医療福祉」(川崎医療福祉学会誌 増刊号,2007, 27-37)に紹介していました。しかも、これは少年たちが誰に言っているかと言えば、父親ではなく、母親に対してなんですね。

 ですから、親、特に、母親が子どもと「共に居る」ということが、どれだけ大事かが分かるだろうと思います。母親が仕事をしているケースでは、それがままならないケースがあることも分かります。その時には、私は「仕事を辞めて下さい」とは申しません。何と言うかと言えば、「仕事で今までと同様に評価されることを諦めてください」と言います。日本の職場ですと、仕事がなくても、ダラダラと職場にいることが、「何となく良い」と思われがちですね。あるいは、ダラダラと職場にいることが「職場に忠実」と思われがちです。こういう「迷信」を振り切るためには、ある程度の勇気と、「今までと同様に職場で評価される」ことに対して≪諦める≫ことが必要でしょう。ある程度仕事が終わったら、≪サッサと帰る≫のが大事です。もっと言えば、「子どもと共に居る時間」を確保するために、「この時間が来たら帰る」という時間をあらかじめ決めておいて、原則その≪時間が来たら帰る≫というを「ハッキリさせる」ことも大事です。これにも、「今までと同様に職場て評価される」ことを≪諦める≫ことが大事になりますでしょ。仕事で評価されようとしたら、「時間が来たら帰る」などと言ってられませんでしょ。

 でも、自己肯定感、セルフエフィカシー、自己信頼、根源的信頼感、いろんな言葉がありますけれども、≪大丈夫≫という気持ちが弱い場合、仕事で評価されないと「ダメ人間」と感じやすくなりますね。その場合は「仕事で今までと同様に評価される」ことを諦めきれなくなっちゃいすまよね。

 その時に大事になるのが、アンパンマンですね。いつでも私は唐突でしょ。≪諦める≫というと、なんか消極的に聴こえがちですよね。でも、≪諦める≫には、肯定と否定の両面の意味があることをご存知でしょうか?否定的意味は、「断念する」、「何かを止める」という意味になりますでしょ。でもそれは事の半分にすぎません。肯定的な意味の場合≪明らめる≫という字になりますが、「明らかにする」、「ハッキリされる」、「悟る」という意味になります(講談社『日本語大辞典』ほか)。何を「ハッキリされる」のか?「悟る」のか? と言えば、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」というアンパンマンのテーマソングですね。

 仕事、それは大事に決まってます。家族がご飯を食べていくのに欠かせませんもんね。でもね、子どもと「共に居る」時間を犠牲にしてやったら、本末転倒じゃぁないか知らね? 仕事も、「何のために生まれて、何をして生きるのか?」と関係づけを「ハッキリされる」ことです。

 私はなぜそう言うのか? その子どもと「共に居る」時間を、「子どもに喜びを与える時間」にしてもらいたいんですね。「共に居る」時間にも、自覚的・意識的・「ハッキリされる」様にしてもらいたいんです。そのためには、「子どもに喜びを与えることを悦びにするような育児と教育をする」ことでしょ(佐々木正美先生、前掲書,p30)。子どもと「共に居る」時間を悦びにしましょう。それが感動の始まりですよ。

 いかがでしょうか?

 

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