エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

命は、やり取りの中で、人を大事にしてこそ

2015-08-19 08:07:31 | アイデンティティの根源

 

 「ねばならない」と思っていることをやっても、心からの平安が得られません。人から、あるいは、神様から、価値を認められて、初めて、心からの平安が得られるものです。その関わりが、「相手が得する、一方的な約束」なのですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.219の第3パラグラフの5行目途中から。

 

 

 

 

 

ルターは聖書の言葉を、ゲルマン人らしく言い換えをしているものの1つで言ってます。「奇跡を起こして、全てのトルコ人を絞め殺しても、人を大事にすることに対して的外れをやれば、何の得があるでしょうか?(何の得もありゃしませんよ)」と。

 

 

 

 

 

 これは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(新約聖書の「マタイによる福音書」第16章26節)の言い換えです。宗教改革前夜の15世紀末は、オスマントルコがヨーロッパに攻め込んでいた時代です。粗野なゲルマン人ならではの、トルコ人皆殺しの言葉も出てきます。でも、「命を失う」が、「人を大事にすることに対する的外れをやる」という言い換えは、非常に的を得た言い換えになっていると思います。命とは、個人に帰属しているように見えて、人間は社会的存在の部分が大きいですから、人と人のやり取りの中で、命の響き合いがないと、「自分」とは言えないからですね。仙人のような暮らしをしている人でも、ごく少数の人とは、命の響き合いがあります。命と命の響き合いは、ベタベタした関係ではありません。離れていても、心のやり取りがある信頼し合う関係です。

 ベタベタはさっさとやめて、ピスティス(信頼)に生きましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の学校が、世界一イジメが多いわけ

2015-08-19 06:49:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」の幅によって、暮らしが全く違います。その幅が狭い方が、大事にする仲間が多い。その方が互いに認め合うことができます。フィンランドはじめ北欧やオランダのような社会です。その幅が広いと、大事にする仲間が少なくなります。日本だと、学齢前の子ども、何らかの障害のある人、認知症の高齢者、女性、非正規雇用の人、若者、などは、その仲間に入れません。現実に非常に困難な生活を強いられている訳ですね。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p68の最後の行から。

 

 

 

 

 

実際、universal caritas 「人の痛みを自分の痛みにできる、大きな優しさを全人類に示すこと」がスピリチュアルな考え方として、発達支援を幅広い子どもに提供するのに、究極的に役立つのは、まさにここですね。ですから、caritas 「人の痛みを自分の痛みにできる、大きな優しさ」が一時でもなくなるのは、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」が、内輪の生活でも、社会生活でも、幅を利かすからなんですね。rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、生きる目標や「良い子」の目標に相応しくないと思われる者は、多かれ少なかれ、筋書き通り、多かれ少なかれ、情け容赦なく、力で押し潰すことになります。これは、物理的に、もしくは、道徳的に、子どもをイジメることになりかねません。あるいは、道徳的な偏見として、家族や社会で、さっきの目標に相応しくない者たちを、イジメることになる場合もあります。もちろん、これが、一塊になって、「敵側の」たくさんの外国人達に向けられる場合もあります。

 

 

 

 

 

 さっきのブログ「エバる父親と、「よい子」の悲劇」とも共通してますね。ですから、あらゆるイジメ対策は、深い心理教育を欠いては、不可能なことが分かりますね。たんに、「〇〇しましょう」だとか、「△△は止めましょう」だとか、言っても、何の効果もありません。それで済ませているのは、無意識の圧倒的な暴力のことを全く知らないので、イジメは、意識でコントロールできる、と誤解してんですね。無意識の圧倒的な暴力のカラクリをご存じない。

 ですから、イジメを本気でなくそうとしたら、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」についてと、無意識の圧倒的な暴力のカラクリについて、ジックリと学ばないとね…。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エバる父親と、「よい子」の悲劇

2015-08-19 03:29:08 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
あなたの人間関係の元型
 短い夢のストーリー2013-08-18 02:31:39 | エリクソンの発達臨床心理&...
 

 今エリクソンの翻訳で、「ねばならない」が多い「真面目人間」と、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」の話が進んでますね。その話の延長の話をしたいと思います。その一つの典型の、「エバる父親」のお話。

 そんなことを記そうと思ったことの1つは、佐々木正美先生の論文を読み直したことです。横道好きの私ですから、佐々木正美先生のことにも触れますね。佐々木正美先生は、あまり公の席ではおっしゃいませんが、私ども無教会の仲間です。八王子の無教会伝道者(お名前が思い出せない)が、佐々木正美先生の奥さんの父親です。しかも、佐々木正美先生と言ったら、TEACCHプログラムの紹介者で、自閉症の臨床医です。しかも、エリック・エリクソンを臨床的に理解し、紹介している方ですね。いろんな点で学び続けたい方です。

 その佐々木正美先生の論文「子どもたちのための医療福祉」(川崎医療福祉学会誌 増刊号,2007, 27-37)の中に、先の「エバる父親」が出てきます。この論文は、エリック・エリクソンの発達を、日常的な言葉で、具体的に教えてくれるものです。どういうところに、「エバる父親」の話が出てくるのかと言えば、少年犯罪の実証研究について触れる件です。世間を震撼された殺人事件、傷害致死事件を犯した少年の、生い立ちや家庭環境を調べた研究です。その結果、いくつもの重大事件に共通するメカニズムに、この「エバる父親」がある、という訳です。正確には、「父親の『大人性の欠如』である。未熟さ、父性の乏しさ、権威を保とうとして威張る、そのくせ子どもと正面から向き合えない」父親(p.34)です。中身が空っぽの父親です。私もこの手の人を結構具体的に知ってんですね。一言でいえば、他者と対等なコミュニケーションができないので、エバる、エバってコントロールできない場合は、裏から手を回してもコントロールしようとする人です。「〜はだめ」、「~をしなさい」と禁止と命令を言ったり、口裏を合わせて、子どもを自分(達)に “都合に良い方向“ に持って行こうとする。割に教員に多いタイプでしょうね。その人自身が「よい人」、「会社に “都合に良い方向“ に動く人」を無意識裡に演じているので、子どもにも(教員ですと、自分の子どもだけではなくて、学校の子どもにも)、「よい子」を演じることように、無意識裡に強制するわけです。実際、凶悪事件を起こすまで、少年たちは、スポーツでもお勉強でも、「よい子」をやり続けて、親の期待(その人が教員の場合は、教員の期待)に応え続けていたわけですね。

 何故でしょう?そんな「よい子」が、世間を震撼されるような凶悪事件、殺人事件を起こすのはなぜでしょう。それは、コミュニケーション、対等なやり取りが出来ず、コントロールしようとすれば、相手の子どもに対して、「お前は、私にコントロールされなければ、生きられないダメ人間です」と毎日何十回も繰り返し言っているに等しいからです。ですから、その子は「ダメ人間」として凶悪事件をやらざるを得ないんですね。無意識の圧倒的な暴力の恐ろしさ、無意識の圧倒的な暴力の餌食になった悲劇です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする