エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

本物の信頼の復活

2015-08-20 08:38:01 | アイデンティティの根源

 

 命と命の響き合いは、強い立場の者が、弱い立場の者に対して、敢えて低い立場を選択することからしか生まれない、対等なコミュニケーションです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.219の第4ラグラフから。

 

 

 

 

 

 セックスと仕事に関して、間違った引用をすることは簡単です。ニーチェでさえ、仕事に関して、ルターを誤解して、訓練と実践が、信仰そのものであり、信仰の前提条件になる場合も多い「良いこと」には欠かせないものだと主張しました。ニーチェは、ショーペンハウアーの禁欲主義と悲観主義とを、当時批判してものを書きましたし、復讐心と復讐することを価値あるものとしたかったんですね。ニーチェが無視したのは、ルターは「良いこと」には反対でしたが、仕事そのものには非常に賛成していたことです。それから、ルターはあらゆる活動を聖なる仕事としましたし、肥料を積み上げることも、赤ちゃんをお風呂に入れることも、馬を洗うことも、もし信頼を込めてすれば、聖なる仕事になる、としました。

 

 

 

 

 

 これが近代の始まりです。そして、近代の信頼の始まりです。

 こうして、本物の信頼が復活しました。

 

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子育てから国際政治まで

2015-08-20 07:51:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」が、あらゆるイジメ、あらゆる差別、あらゆる心の病、あらゆる戦争の元凶なのが、ハッキリ分かりますでしょ。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p69の最初のパラグラフ、下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

(とにかく、私どもの若いクライアントが、どのようにして、いろんな世代から、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」をぶつけられる相手になっちゃうのか? をハッキリさせるのが、あらゆるケースで、課題になります。問題なのは、「子どもに、『大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち』をぶつける母親」だけではありません。)

 

 

 

 

 そりゃそうですね。子育てでは、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」をぶつけるのが、母親になりますけど、それは子育てにおいての話でしょ。学校で、教員が生徒に、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」をぶつければ、それはそれで問題です。保育所で、保育士が、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」を、幼い子どもにぶつけれは、それも問題。会社で、上司や同僚が、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」を部下や同僚にぶつければ、それも問題。日本が、中国に、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」をぶつければ、それも問題でしょ。ですから、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」は、子育てから国際政治まで、射程距離のある、大事な課題です。

 

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戦争と知的障害児たち 忘れちゃいけない歴史 改訂版

2015-08-20 07:18:19 | エリクソンの発達臨床心理

滝乃川学園本館 現在は「石井亮一・筆子記念館」東京都国立市谷保6312

 

 
アーメン、≪話し言葉≫がいまここで≪出来事≫になります!
  「言っていること」と「やっていること」が一致していること。子どもの前では、最も大事なこと。 昔は、大学にもそう言う人物がいましたね。丸山眞男教授、...
 

 さっき、「ハートネットTV」で、大島藤倉学園のことをやってました。川田仁子さんも出てましたね。あの人も長生きですね。

 大島藤倉学園、と言われても、知らない人もいることでしょう。日本で4番目に古い知的障害児施設です。今晩も横道にはずれます。日本で一番古い知的障害児施設は、もともとは、「聖三一弧女学院」と呼ばれた、現在の「滝乃川学園」です。国立の実家の3軒隣りがこの滝乃川学園ですが、最初は、不忍池近くの、当時の言い方で言えば「下谷区(したやく)西黒門町」の、日本初の女医、荻野吟子の家にありました。1991年、明治24年岐阜あたりで濃尾大震災があり、多くの被災者が出ました。親を失った子どももたくさんいました。女の子たちは、売春組織、ヤクザに連れ去られたらしい。男の子たちも、弱みにつけ込まれたらしい。それに義憤を覚えた、たくさんのクリスチャンや仏教徒らが、その救済に全国から濃尾に馳せ参じ、たくさんの孤児院が出来ました。当時立教学院(現在の立教大学)を出たばかりの石井亮一は、立教女学院の教頭でしたから、16人の女の子を助けました。その中の2人が知的障害児だったと言います。それが最初の知的障害児施設、滝乃川学園の誕生物語です。その最初の16人の1人、「戸所(とどころ)のお婆さん」は、我が家によく遊びに来ていましたっけ。

 2番目に古いのが、脇田良吉が京都に設立した、白川学園。3番目に古いのが、岩崎佐一が大阪に設立した、桃花塾(とうかじゅく)、4番目に古いのが、この川田貞次郎が伊豆大島に設立した藤倉学園ですね(津曲祐次,2011,滝乃川学園百二十年史)。すべて民間施設です。

 先の番組では、1944年、昭和19年、伊豆大島が軍事要塞化しようとする時に、藤倉学園が陸軍に取り上げられ、清里の清泉寮(keep)に疎開した話が出てきます。30人ほどの利用生の内、一年余りの疎開生活の中で、10人の利用生が栄養失調で亡くなった。戦争は、弱い立場の知的障害児を「飢え」という形で、殺した、という話です。

 私は、滝乃川学園に関わった者として、それだけではない、とハッキリと言いたので、今日このブログを書いている訳ですね。

 こっちゃん(山中梢さん)。北九州出身の女性で、軽い知的障害がありました。滝乃川学園に昭和初期(1928年、昭和3年?)に入所し、成人してからは、厨房で調理員として働いていました。後に施設を出て、我が家のアパートに暮らしました。そのこっちゃんから直接聞いた話です。滝乃川学園にも「赤紙」が来たんですね。戦争は、知的障害の人も、戦場に連れていくわけです。こっちゃんによると、滝乃川学園の利用生の内、「2人(の利用生)が戦争に行き、帰ってこなかった」と言います。これは、津曲祐次先生がまとめた、『百二十年史』にも出てきません。

 知的障害者も、戦場に連れてかれて殺されるのが、戦争です。私どもは、こんなひどい歴史があったことを忘れてはならないでしょう。

 

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