エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

あなたは、間違いに対して、ハッキリ「NO」が言えますか?

2015-08-13 07:58:28 | アイデンティティの根源

 

 本当の自分を組織化するためには、それなりの時間が必要です。でも、単に時間を過ごしてるだけでは、組織の同調圧力や利益誘導にかないませんから、いつまで経っても、本当の自分をまとめることなど、できませんよ。お若い世代の人たち、じっくり時間を掛けて、誠実に真実に、自分自身と向き合ってくださいね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.218の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターが仕事を再定義したことは、多分、ルターの他の言葉よりも、誤解されてます。ただし、性に関する言葉は例外です。この2つのデリケートな領域では、言ってることとやってることが、全くの別物になります。自分がもともと言ったことで、その偉人が本気になってたことを決めようとする時には、その偉人が、その時代の何に抗して話をしていたのかを発見することがいつだって役立ちます。あるいは、かつて言い過ぎたことの何を訂正しようとしたのかを発見することが、いつだって役に立ちます。というのも、ふつうは、他人が言い過ぎたこと、あるいは、よくあるケースですが、本人が言い過ぎたことを、過度に訂正するとに、その人が偉大かどうか? はかかっているからです。

 

 

 

 

 日本でも、「沈黙は金」などと言われますが、多くの場合が逃げ口上。無責任の親戚です。真の偉大さは、いつでも、間違いをハッキリ「間違い」ということです。裸の大様の子どもを考えてみたら、分かります。

 昨日は日航ジャンボが御巣鷹山に落ちてから30年。何故あんな大事故が起きたのか? 多くの社員が「腑に落ちない」を、繰り返しホッタラカシにしたからです。吉本隆明さんが反省した、日本の軍部を独走された反省が、また繰り返された形です。あのジャンボは、尻もち事故の後、いつも異常があったことが、複数の機長の証言で明からになりましたね。整備には一応「異常」を伝えたけれども、高度10000メートルでは異常が出ても、地上では「異常なし」となった。その繰り返し。それ以上の要求をするのは、「組織の中では難しい」と、ある機長が言ってましたっけ。つまり、それ以上言うことは、自分が損することになる訳ですね。組織を超えた価値を知らない「タコツボ」人間だと、自分が損することはできません。

 ですから、偉人は常に、組織も時代も≪超越≫した価値と使命を、ハッキリ認識しているんですね。だから、「間違い」に対して、ハッキリ「NO」と言えるわけです。しかも、丸山眞男教授によれば、「『間違い』に対して、まっすぐに『NO』と言うこと」こそが、いつも何度でも、民主化の要です。

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あなたは「捨て身」になれるかな? 命と時間

2015-08-13 07:06:34 | エリクソンの発達臨床心理

 

 特に大人になる時期は、それまで人生で培って来たものが、大事になります。謙虚を装っても、バカ丸出しの、チッチャナ「大人」もいれば、野村實先生先生のように慎み深いのに、人格の香漂うような人もいます。それもこれも、それまでの人生で培ったものが自ずから出てる訳ですね。ですから、隠したり、装ったりしても、すぐにそれと分かります。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p67の第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 procreativity 「子どもを作る力があること」は、単に次世代を育むことの副産物以上の段階なのかしらね(1980c)? (と問うたことがあります) どんな形であれ、性的な出会いをすれば、性器はある程度興奮しますし、原理的に、妊娠しますから、子どもを作ることには心理生物的なニーズが無視できない、と思われます。とにかく、若い大人の力(intimacy インティマシー 「異性や異世代とやり取りのある関係ができる」様になるのか? 対 isolation アイソレーション 「異性や異世代とやり取りができず、支配したり、ホッタラカシにしたりする」様になるのか?、という前の舞台[の人生の分かれ道]で身に着けた)、すなわち、捨て身になって、身も心も一つになるようにお互いを価値ある存在だと認められる力があることは、遅かれ早かれ、互いが「本当に面白い」と思うことが劇的に拡大することになります。それから、自分達が共に生み出し、共に世話をしてきた、人や物事に対して、命と時間を掛けて、関わるようになります。

 

 

 

 

 ここも大事です。大人は、自分が産み育てている、人や物事に対して、捨て身になれるかどうかで、本物の大人なのか? それとも、見せかけの「大人」、魂が0才のお子チャマなのか? か分かります。運命の分かれ道は、捨て身になれるかどうかで、決まってくるんですね。それは、命と時間を掛けることです。命を使うこと、すなわち、使命は、時間を掛けることなんですね。困難があっても、ヴィジョンに時間を掛けることが、使命になります。

 

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無意識が下さる「叡智」

2015-08-13 06:14:26 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
≪いまここ≫と≪超越≫
「生きている不思議 死んでいく不思議」とこの世を超えるヴィジョン2013-08-12 01:42:24 | エリクソンの発達臨床心理...
 

 ユングの不思議に満ちた言葉が魅力的ですね。私は残念ながら、ドイツ語では、なかなか読めませんから、英語の著作集を中心に読み進めています。今晩は、ユング第9夜。今晩も、ユングの不思議な言葉をお届けします。ご一緒に、じっくり味わっていただけたら、幸いですよ。

 今晩は、第9夜だから、という訳ではないのですけれども、ユング著作第9巻の1(Collected Works of C.G. Jung, Volume 9 (Part 1): Archetypes and the Collective Unconscious)『諸元型(いくつかの最初の型)と集合的無意識』pp.3-41、Archetypes of the Collective Unconscious 「集合的無意識の諸元型」から。ただし今回は、東京女子大学の林道義さんの翻訳(紀伊國屋書店)も参照しています。

 ここでは、元型の内、影、アニマ、老賢者の3つの元型を、ユングは取り上げます。元型は、もともとの言葉が示すように、はじめの(arche)型(type)です。キリスト教では、したがって、西洋では、はじめはとっても大事です。「初めに、神が天地を創造された」からです(旧約聖書の「創世記」第1章1節)。

まずは、

「私どもが無意識に関心を抱くかどうかは、私どもによって、生きるか?死ぬか?の課題です」(前掲書,p.24)

無意識と言っても、個人的な体験の記憶を忘れ抑圧する「個人的無意識」と、人類に普遍的で、しかも、生まれながら持っている「集合的無意識」がある、と言うのがユングの立場ですね。ユングの先の指摘は、「個人的無意識」に関心を抱くことの大切さを言うばかりではなくて、「集合的無意識」に関心を抱くことの方にアクセントを置いて、こういう訳ですね。なぜなら、元型は「集合的無意識」に属するものだからです。でも、「普通」と思って生きている私どもは、無意識のことなど、考えずに生きている場合がほとんどじゃあないかしら? そういう私どもは、自分のこと、自分の仕事、自分の人生は、自分でコントロール出来るものだ、と言うウソを信じている訳ですね。無意識を知らないから、そんなウソを信じる訳ですね。自分で自分を騙している訳です。気の毒ですね。そんな人に限って、思いがけない「事件」、「想定外の事故」に出くわして、慌てふためくわけですね。そういう人は、「無意識の生け贄」になっても、そうだとも気が付かない(前掲書,p.30)。慌てふためいて、「こんなはずじゃぁなかった」、「運が悪かった」、「私も迷惑してんですね」などとホザクわけですね。

 次は、

「水鏡を覗き込む者は誰でも、まず最初に自分自身の素顔を見ることになるでしょう。…水鏡はおべんちゃらを言わないので、覗き込む者を忠実に映し出すものです。つまり、世間に見せてない素顔を忠実に映し出すものですよね。ペルソナ、すなわち、装う者の仮面で、日ごろは素顔を、本音を隠していますからね。しかし、水鏡は、その仮面の下の素顔を、本当の自分を映し出します」(前掲書,p.20)

 怖いでしょ。本当の自分、素顔を見たくないし、見せたくないので、忙しくしている日本人はゴマンといますからね。組織に同調して、本当の自分を見ないようにしている日本人も、溢れてますからね。そうしていると、やはり、思いがけない「事件」「事故」に出くわして、非常に残念な形で、本当の自分を見ることになるんですけどね。気の毒ですね。

 最後は、アニマという元型に関する言葉です。

「アニマの叡智としての側面は、アニマを真実に理解しようとする者にだけ、姿を示してくれます。その時にだけ、この困難な課題に直面した時に、その人が、ますます理解するだけでなく、だんだんと、現実に実現するようになるのは、人間の運命を残忍なまで弄ぶ、アニマのあらゆる働きの背後には、隠された目的があるということ、そして、その目的は、生命のいろんな法則(訳注:闇の中に光があること、困ったなと思うことに、意義深い秩序があること など)に気付くという恵みをもたらしてく下さる、ということです。」

 

 こういう叡智に気付けない人って、気の毒でしょ。

 私どもは、男であれば、アニマと、女であれば、アニムスと、真実に向き合う毎日を過ごす中で、アニマ(アニムス)がくれる叡智を、日々実感していきたいものですね。

 

 

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