世俗生活=宗教の本質
制度や法律は、それを創り出した精神が必ずあります。しかし、制度や法律が運用されだすと、運用そのものに自動操縦、オートパイロットの性格がありますから、も...
夜更かしして、朝起きられない。いつまでもゲームをしていて、昼夜逆転している。そんな子どもを前にしたら、どうします? 「何とか生活リズムを整えてもらおう」としませんか? あなたが親や教員や児童施設の職員でしたら、その子が「普通の生活をする方が良いだろう」と思いますでしょ。「それが一番やってはいけないことだ」、「精神医学的には禁忌だ」と言われたとしたら、「そんな馬鹿なぁ!」と言われるかもしれませんね。ですが、「昼夜逆転を治そうとしちゃ、ダメ!」
ビックリしました?
でも驚かそうとしているんじゃぁないんですね。精神科医でも、分かってないことに、私の方が驚かされているんですね。日本の精神医学は、非常に遅れています。立派な精神科医(たとえば、王子クリニックの石崎朝代先生や京大の山中康裕先生)も具体的に知ってますから、全て精神科医が遅れていると言うよりも、日本の精神科医の平均値が、あまりにも低すぎる、ということですね。
何のことかと言いますとね、それは愛着障害ですね。愛着障害は、人間の発達の最初で躓いている子どもですし、大人です。その人が、5才でも、15才でも、35才でも、65才(愛着障害が治療されずに、65才になるのは、難しいでしょうけれど、つまりそれまでに死んじゃうケースが多い)でも、心は赤ちゃんだ、ということです。さまざまな困難が予想されます。
愛着障害の子ども(大人も含むが、以下省略します)は、赤ちゃんの時に母親との関係で身に着けるべき愛着がありません。エリクソンの言葉で言えば、根源的信頼感がない訳ですね。むしろ、根源的不信感の方に大きく傾いている状態です。愛着や信頼がないと子どもはどうなるのか? それはいろんなケースがありますが、日課やルールや片付けが出来ません。時間でも、空間でも、人間関係でも、秩序立てることができないんですね。なぜなら、最も根源的な秩序である愛着関係、根源的信頼感がないからです。
ですから、時間的秩序、生活習慣、日課の面から言えば、愛着障害の子どもは、時間通りに何かをすることができません。学校生活ばかりではなく、施設での生活など、集団生活には必ずといっていいほどある、日課はできません。「起床時間は6時」、「1時間目は算数」、などと言われても、出来ません。大人が見張っている場合はやる場合がありますけれども、見てなければ、自分からはやりません。
また、人間関係的秩序である、ルールが守れません。校則、施設の決まり、…。それも守れません。
空間的秩序、片付けもできません。机の中はゴチャゴチャ。ランドセルの中もごちゃごちゃ。ロッカーの中もごちゃごちゃ…。
これじゃぁ、周りの大人も困りますから、愛着障害の子どもを前にすると、「時間を守りなさい」、「ルールなんだから、守りなさい」、「片付けなさい」…と言いたくなりませんか? でもそれを言ってはいけないんですね。「正しいこと(日課やルールなど)を愛着障害の子どもに押し付けることは、禁忌」だからです。これは、日本の多くの精神科医でも知らないんですね。日本の精神科医は何やってんですかね。
「アメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)は、『正しいことを押し付けるやり方は、愛着障害には、禁忌 contraindicated である、との臨床的な合意が強力にできてます』との立場を明確に表明しています。」(『愛着セラピーの手引き The attachment therapy companion』, New York : Norton,2012, p.155)
大事なのは、根源的信頼感・愛着を回復する、陽気で楽しいセラピーです。