エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「人を人とも思わない、底意地悪い気持ち」など、3訂版

2015-08-17 22:35:48 | エリクソンの発達臨床心理

 

 人生の舞台ではそれぞれ、命と命が響き合う関係と、命が命と響き合わない関係の二つがいつもあります。どちらを選択するかは、私たちひとりびとりに委ねられています。あなたはどちらを選びたいですか?

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p68第2パラグラフ6行目途中から。

 

 

 

 

 

老年期には、そのような命が命と響き合わないトレンド、「心構えであると同時に、人に対する態度」は、disdain ディスデイン 「人を人とも思わない、底意地の悪い気持ち」と私どもは読んでいます。generativity 「次世代を育む力」の舞台では、その命が命と響き合わないトレンド は、rejectivity リジェクティヴィティ 「大事にする相手の仲間から、仲間はずれにしたい、底意地の悪い気持ち」です。すなわち、次世代を育む相手に、特定の人、特定の集団を、したくない気持ちです。言葉を換えれば、特定の人、特定の集団をcare 「自分が損をしても、大事にする」のが嫌なんですね。

 

 

 

 

 

 エリクソンは、内省、内観しながら、ホントにたくさんの人を実によく観察していたと思います。今回のところも、それを如実に表しているところです。disdainは「軽蔑」ではありません。そんな生易しいものでは、ないんですね。まぁ、非常にヒドイ心構え、態度です。あるいは、rejectivityも「拒否感」「拒否性」などというような、具体的に何を言いたいのか分からないようなものではありません。「大事にする相手とする仲間から、仲間はずれにしたい気持ち」は、非常に具体的ですし、しかも、ちょっと、ふつうは考えられないような心構えなんですね。これら2つの、命が命と響き合わないトレンド、心構えは、敢えて言えば、若いお母さんの時に出ていた「赤ちゃん部屋のオバケ」が、そのあ母さんが、相当のおばさんになっても、お婆さんになっても、取りつかれてたまんま、でいるような状況です。いずれも、尋常ならざる、極めて重篤な心構え、態度です。

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「#善意の暴力」と「#無意識の暴力」は、 こうして生まれます

2015-08-17 08:12:36 | アイデンティティの根源

 

「発達トラウマ障害」Enpedia と 
 発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典

 をご参照ください

 

 「ねばならない」のたくさんある、真面目人間の悲劇ですね。いくらやっても、心からの平安がありません。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.219の第2パラグラフの、下から4行目途中から。

 

 

 

 

 

今使っている言葉、すなわち、英語でも大事なことですが、ドイツ語でも同様に大事なことです。「正しいこと」(訳注:「ねばならない」と思っていること)(ドイツ語のrichtig リヒティヒ 「正しいこと」)をする者は、「自分は正しい(ドイツ語のrecht ライヒト「正しい」)」と考えるものですし、その正しいことを他人に押し付けなければならない(あるいは、正しいことを他人に押し付ける権利がある)と言い張ります。

 

 

 

 

 

 「ねばならない」がたくさんある人に限って、その「ねばならない」を押し付け「なければならない」し、それが「正しいこと」と勘違いするわけですね。実は、ここが、善意の暴力、無意識の暴力につけ込まれる、大きな隙なんですね。

 

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遊びの治癒力

2015-08-17 02:53:18 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
息吹の言葉
  神様は風、息吹 ≪いまここ≫に流れる。 肌身に沁みる恵みと悦び、 ≪いまここ≫にあり  見逃す者の愚かしさ ...
 

 今晩は、「遊びの治癒力」を考えたいと思います。好きなんですね、このテーマが。

 この遊びのことを考えたり、プレイセラピーをしたり、子どもと一緒に遊ぶ時、いつでも思い出すのが、2年ほど前に、このブログで翻訳したこともある、エリクソンの言葉です。それは次の言葉です。

「もしも、遊びという出来事が、眼には見えない心の傷になった経験に『折り合いをつける』ことになる、と認めるならば、私どもはまた認めることになるのは、陽気で楽しいという要素そのモノのおかげで、その遊びの出来事が、自分を生き返らせてくれる活動にもなる、ということです」(Erikson,E.H., 1977. Toys and reasons. p.42)。

 これは、子どもと心理療法をしていたら、日々の実感ですね。

 それからう1つは、河合隼雄先生の言葉です。

「自由な遊びのなかに、子どもの創造活動が現われ、それを通じて子どもたちは自ら癒され、自ら育ってゆくのである。

 遊びによって子ども時代に養われたイマジネーションのはたらきは、成人してからも創造活動をするときに、そのベースになっている。『お勉強』で固められ、遊びの少ない人間は、成人してから創造的な仕事が達成できないのである」(河合隼雄, 1992. 子どもと学校. p.16)

 これもお見事ですね。子どもの創造活動が、自由な遊びに現れる。そうすると、その子の「その子らしさ」、「本当の自分」が次第に、遊びの中に現れてきます。すると、その「その子らしさ」は、遊びの中だけではなくて、家庭や学校での生活の中でも、現れます。一番うまくいったケースの1つでは、学習態度も生活態度も、驚くほど変わって、ある教員が「子どもって、こんなに変わるんですね」と言ったことがあるほど。

 人間って、実に素晴らしいでしょ。しかも、何も特別な人だけがそうである訳じゃぁない。「知恵おくれ」などと言われる子どもでも同じなんですからね。それは、自分自身を育てること、自分自身になることが、最も創造的な活動だからですね。

 あなたも、今日、子どもと一緒遊びましょうよ。

 


 

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