希望の源は光(子どもをハッキリと肯定する態度・言葉と温もりあるタッチ)私どもは、子牛と若いライオンが共に暮らし、再び戦いのことを学ばない世の中にしたいものですね。子どもたちには、そのように世界を残して、死んでいきたいものですよね...
先ほど、「心の時代」で、無着成恭さんの話を伺いました。宮城まり子さんと同い年。御年88。やまびこ学校、生活綴り方で有名です。その番組の話を、備忘録的に記して、皆さんともシェアしたいと考えました。
無着成恭さん、古い教師で、僧侶でもあるからなんでしょう、「教科を教えるだけでは、教師ではない」とします。「魂の教師」であることが求められるといいます。これって、ユングが、「カリキュラムを教えることは、教師の役割の半分以下」といったことと、通底してますね。
しかし、じゃぁ、「魂の教師」とは、どういう教師なのか? 無着成恭さんは、敗戦前の教科書に墨を塗ったことを同時代的に知っている人です。それは、「教師がウソを教えていたことだ」という訳ですね。それを恥じて、教師を辞めた人もある程ですからね。たしか、三浦綾子さんがそうでしたね。ウソを教えることほど、悪意に満ちたことはないでしょ。子どもは、教師を信頼して、教育を受けているはずなのに、その信頼にウソで応じるほど、悪意に満ちたものはないですからね。無着成恭さんも、ウソを言わないことが、「魂の教師」の条件だといいます。
でも、これって言い方が否定形でしょ。私は「本当のこと」を教えることが「魂の教師」の名に値する存在だと思いますしね。でも、「本当のこと」は、言葉で教えると同時に、その教師が「本当のこと」を生きていなくては、伝わりませんよね。ここで言う「本当のこと」は、人格的真理のことだからです。
ですから、私は、「魂の教師」とは、「本当のこと」を子どもと、体験的に分かち合う人だ、と考えますね。