エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

本物は攻め上手ではなくて、受け上手

2015-12-04 07:48:14 | アイデンティティの根源

 

 

 
生死を決する分かれ道
  科学技術はいくら役立つモノでも、所詮技術。ガンディーのような指導者に、無垢で無私な指導者に従って生きたいものですね。 p227第2パラグラフ。&nbs...
 

 ルターの耳鳴りは、本当の自分からのメッセージでした。そのメッセージを虚心に聴くのが、祈りです。それ以外の「祈り」は、祈りではありません。お願いです。願掛けです。神社でやるとの同じになっちゃってることに、早く気づくと良いですね。神道信者の「ヘボなクリスチャン」⁉

 Young Man Luther 『青年ルター』p.244の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもを忘れてはならないのは、癒しの力があり、黙示録的な聖書の言葉は、ルターの心には「耳」から入った、ということです。すなわち、聴く耳があって、しかも、聴く心があったわけですね。心の耳を開いて、聖書の言葉を聞きいれることは、本物のクリスチャンが身に着けている創造的な受け上手の態度であると同時に、女性的な受容性です。しかし、ルターの耳に届いた、あの声は、またしても、悪い良心の声でした。「お前は何を伝えてきたんだぁ!」 

 

 

 

 

 

 心の声を聴くこと、悪い良心の声がでしても、さらにその奥にある、良い良心の、か細い声を聴きとることが大事です。本物は、謙虚で、真実で、目立ちません。

 大声で、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが言うことや、自分の顔を映したいだけの「プレアウォーク」は、 ”真っ赤な偽物” と相場が決まっていますよ。

 

 

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いつでも、心を大事にしたいけど・・・

2015-12-04 07:04:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
日本の公教育の病理 その3 ペコちゃん教員と恣意的判断
   「讒言、誹謗中傷、恫喝」をやる教員が幅を利かせているのですから、そう言う学校と言う組織は、病理そのものでしょ。ヤクザと変わりません。 そのヤクザナ教員に...
 

 技術は役立つものですが、所詮道具でしかありません。道具の目的は、命を生かすことにあるのですから、技術を重んじるあまり、命を損なうことになっては、本末転倒も甚だしい、ということになります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p96の、11行目途中から。

 

 

 

 

 

しかしながら、人間の心に在る、芸術と科学は、発達の向き、あるいは、人生の向きといった方が良いでしょうけれども、その向きによって、エネルギーを貰わなくっちゃいけません。それは同時に、その時の歴史的な気付きからもエネルギーを貰わなくっちゃいけないのと同じです。歴史家のコリングウッドが言うように、「歴史は、心そのものの命なのです。その心は、歴史の中で生きていて、しかも、歴史の中で生きていることを知っていることなしには、心ではありません」。この言葉は、精神分析の方法の核心にも当てはまるものとして、いつも私の心に響きます。すなわち、アインシュタインの生誕百年のお祝いを準備する時、精神分析がことを調べる方法が、特殊な相対性に、体系だてて気付て行くことを許しもし、求めもする方法を、私はハッキリと示そうとしました。

 

 

 

 

 精神分析は、心が生きることを助ける訳ですから、心が一番大事になる訳ですね。しかし、技術には、それ自体に、発展とか、上達とか、がありますから、そっちに目が暗んでしまうと、精神分析でさえ、心が台無しになる、ということがあるみたい。

 

 

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『じぶんだけの いろ』 あなたは何色?

2015-12-04 05:36:58 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
生死を決する分かれ道
  科学技術はいくら役立つモノでも、所詮技術。ガンディーのような指導者に、無垢で無私な指導者に従って生きたいものですね。 p227第2パラグラフ。&nbs...
 

 「遊びのおばさん」のなりたい、と言う2年生の女の子。「どうやったら、『遊びのおばさん』になれるの?」という問いに、どう応えるのか? それは、簡単なことではありません。ヒルマンの言葉を、直接言ったんでは、まだまだ、理解できないことでしょう。「元型」、アーキタイプとは、心理学を学んでいても、特に日本人には馴染みがありませんから、分からない人の方がむしろ多いんじゃぁないかしらね。まして、子どもに元型と言ったって…

 元型は、アーキタイプですから、「最初の形」です。「はじめに言葉があった」の「始め」です。日本の時間は、加藤周一さんによれば、初めも終わりもありません(『日本文化における時間と空間』)。ですから、「始め」を想定することは、日本人には、「想定外」なんですね。

 「何か良い絵本がないのかなぁ?」 それで思いついたのが、大好きなレオ・レオニの『じぶんだけの いろ』。「遊びのおばさん」になるには、まず、その女の子が「じぶんだけの いろ」を生きなくてはなりません。なぜなら、人は「じぶんだけの いろ」を生きられないことが、あらゆる心の病の根っこにあるのですから。セラピーやカウンセリングは、ですから、その人が「じぶんだけの いろ」を生きられるようにお手伝いをすることなんですから。

 でも、この絵本を渡しただけでは、足りない感じです。そうだ、この絵本を読み聞かせてあげよう、ってわけですよ。すると、絵本の味わいがぐっと深まりますからね。絵本は、大人が子どもに読み聞かせるものだからです。絵本は、なによりも、「声の力」を頼りのしているからなんですね。

 ですから、あの女の子に、『じぶんだけの いろ』を読み聞かせてあげよう、ってことになりましたよ。

 

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再び、タッチ

2015-12-04 00:58:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
大人の大事
  兄弟のように人を大事にすることが、心の病のように扱いを受けるようでは、世も末でしょう。 p84冒頭から。   ...
 

 

 タッチは「復活」に役立つからこそ、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの癒しにも役立つのでしょう。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、最初から。

 

 

 

 

 

 タッチ、それは、落ち着くためにある最も手近にある道具ですが、たいていの治療では禁じられています。でもね、安心を肌身に感じなくても、十分に回復したとは言えませんよ。ですから、私は、クライアント全てに、ボディーワーク、マッサージ、フェルデンクライス・メソッド、クラニオセイクラル・セラピーをするように言います。

 

 

 

 

 

 タッチは発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの治療を完全なものにするために、なくてはならないものであるようです。

 

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