エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

下品で摂食障害のルターの、悪魔祓い

2015-12-08 07:52:14 | アイデンティティの根源

 

 

 
最近の小学生はね、ハーロー教授のサル君ソックリ! ハーロー教授に乾杯
  ハーロー教授の動物実験。今でしたら、おそらく動物愛護団体が抗議するでしょう。 p.228の下から2行目途中から。  &nb...
 

 ルターは自分自身の課題を、御言葉と音楽で、解決しようとしていたといいます。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.244の、第3パラグラフの4行目途中から。

 

 

 

 

 

別の時には、貪るように無理に食べたり、無理して「腹いっぱい食べたり」しました。内なる悪魔にかじりつかれて、食欲がないのに、悪魔を追っかけて食べ物やビール(ビールは腎結石を流し出す、と思われていました)を求めました。また、オケツの悪口もありました。ルターは、オケツの悪口は、悪魔が一番嫌がるものだと考えてたんですね。「書き留めときなさい。私はパンツの中に糞をする。お前らは、首にその糞付きのパンツを掛けて、それで口を拭え」と。

 

 

 

 

 

 

 ルターが、いかに下品かが分かりますね。悪魔に対してと言っても、糞付きパンツで口を拭えと言うのですからね。江戸っ子でも、ここまで粗野じゃぁないんじゃぁないですか? また、ルターも摂食障害だったみたいでしょ。非常深い心の課題があることが分かりますね。

 

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アインシュタインとフロイトは、相容れないように見えて、通底する不思議

2015-12-08 06:53:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
モノ、カネさえあれば幸せだったはずなのに…
  モノを追いかけると、人間もモノになっちゃいます。でも、どうやらそれだけでは、すまないらしい。    ...
 

 

 無意識には、大釜がグラグラするようなエネルギーがあって、しばしば、大やけどの元のなります。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p97の、第2パラグラフの6行目途中から。

 

 

 

 

 

さて、私が「アインシュタインの百年祭」でご指摘したように、アインシュタインとフロイトは、それぞれが、お互いの方法論に疑問を感じていたんですね。しかし、相対性理論の原理は、あるいは、すくなくとも、アインシュタインがお気に入りの、相対性理論の原理の絵の1つは、フロイトの根源的な方法論にも当てはまるんですよ。

 

 

 

 

 

 アインシュタインの相対性理論とフロイトの精神分析理論は、見た目では相いれないらしい。しかし、相対性と言う観点は、精神分析にも当てはまる、とエリクソンは言います。それは明日翻訳するところに出てきますけれども、精神分析は、クライアントとセラピストの2人が、共働でするものだからです。この2人の関係が、いわば、相対性なんですね。

 


 

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南原繁先生に学ぶ  「祖国を興すもの」から2つの言葉

2015-12-08 01:57:47 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
最近の小学生はね、ハーロー教授のサル君ソックリ! ハーロー教授に乾杯
  ハーロー教授の動物実験。今でしたら、おそらく動物愛護団体が抗議するでしょう。 p.228の下から2行目途中から。  &nb...
 

 皆さんも、いろんな卒業式を経験してこられたと思います。私も、国立富士見台幼稚園から筑波大学大学院まで、7つ位の卒業式を経験してきました。でも、それはパブリックなものであっても、あくまで私的な感じの卒業式でしたね。しかし、卒業式の式辞が、新聞に載った時代があったんですね。ご存知でしょうか?

 私も、オン・タイムで知ったのではなくて、ものの本で知ったわけですけれどもね。特に敗戦直後、皆が「何のために生きるのか?」ということが、近々の課題であった時代にあって、そういう人生哲学を語る、卒業式式辞が、新聞にも掲載されました。その代表選手が、敗戦後最初の東京大学総長、南原繁です。時の首相、吉田茂からは「曲学阿世」と呼ばれました(http://showa.mainichi.jp/news/1950/05/post-7820.html)が、学者としても、教育者としても、「曲学阿世」とは対極的な先生です。それは、その弟子の丸山眞男教授が指摘している通りです。

 敗戦1年後の 1946年9月の卒業式の式辞が「祖国を興すもの」と題した文書になっています(立花隆編『南原繁の言葉 8月15日・憲法・学問の自由』p272-279)。そこから、言葉を2つ、皆さんとシェアしましょうね。この式辞は三部構成です。1つは一部の最後の件です、2つは、最後の言葉です。ただし、傍点``の部分は下線にしました。

 

 

 

 

「諸君はこれより活社会にいづるときに、諸君が現に知りまた想像する以上に、悪しき習慣・惰性・虚偽・情実の多くの背理・不徳・不法さえの充満せる世界を見出すであろう。だが、諸君はそのなかに溺れることなく、それぞれの持場において、出来得るかぎりこれが救済と改善に考案努力すると同時に、いつまでも純真であり、他人に信頼せられ、自ら省みて良心に恥じない行動を責任をもって遂行することを心掛けられたい。たといその間において、諸君の期待が裏切られるようなことがあろうとも、敢えて失望することなく、各自が与えられた可能の範囲において、諸君のまわりにより善き世界の建設の理想に向って努力しなければならぬ。理想はひとり青年の夢想ではなく、また、単なる抽象的観念でもなく、われわれの生涯を貫いて、いかなる日常の行蔵にも必ずや現実の力となって働くものである。

 わが国有史以来の破局に臨み、朝野を挙げて一大革新の要求せられる時代において、諸君はまさにモラールとインテリジェンスの代表者として、国家社会のあらゆる部面の隅々にまで、これを浸透せしめる使命を担うものであることを銘記されんことを望む。」

 

 

「さらば卒業生諸君! いつまでも真理に対する感受性を持ち、且つ気高く善良であれ! そして常に明朗にして健康であれ!」

 

 

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タッチ、心が響き合いだす時

2015-12-08 00:47:42 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
日本の公教育の病理 その7 自分を売ったら、あかん!
  日本の学校が「言ってること」と「やってること」が真逆の「ウソとゴマカシ」集団になってることは、今日のエリクソンではないけれども、「ビョーキ」そのものでしょ。...
 

 

 相手に合わせるには、とてつもないほどの、確信と共感が、なくっちゃね。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、第5パラグラフから。リシアさんの言葉は、まだまだ、まだまだ続きます。『大きなかぶ』みたいにね。

 

 

 

 

 〈ボディーワークは、相手の人にとって、何になるのかしらね?〉という私の問いに対して、リシアさんは応えてくれます、「のどが渇けば、お水が飲みたくなるみたいに、温もりが欲しければ、タッチ、触れ・触れられるたくなりますでしょ。その触れ・触れられたくなる気持ちに、確信を持って、心深く響くように、確実に、優しく、しかも、やり取りの中で、応えることが、慰めになります。相手の心に響く、行き届いたタッチ、触れ・触れられることをしたり、相手の心に響く、行き届いた、身振りをしたりすれば、相手の人は緊張に踏みとどまることが出来ますし、緊張に気付くこともできますでしょ。その緊張は、その相手の人が、長い間身にまとっていたものだから、まさか自分がそんなに緊張しているとは、もはや感じられないんですね。体に触れられたら、触れられた身体の部位(の緊張)に気付けますよ」と。

 

 

 

 

 

 リシアさんの実践とご指摘は、実に素晴らしいですね。これなら、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもにも通用します。根源的信頼感、愛着などと言うと、なんか抽象的、知的に理解しちゃう人が、割合多いんですが、それは全くの誤解です。触れて触れて触れる関わりの中から、育まれるものなんですね。ですから、根源的信頼感=愛着の再生、回復、いえいえ、根源的信頼感=愛着の新生を願うとしたら、遠巻きに、知的に、教科的に、教えても、相手の子どもに響きませんね。見てれば、すぐに、よーく、分かります。

 でも、タッチ、触れ・触れられたら、俄然、子どもの感じが違ってきますよ。リシアさんが教えてくれているように、相手の人は自分の身体の緊張にあまり気付いてないことが多いでしょ。セラピストの方がそれに気付いて、さっと、タッチしてあげるとね、俄然、子どもの感じが違ってきますよね。心か少しずつ響き合うのが、手に取るように分かりますよ。そしたら、さらに深くタッチすればいい。そして…。

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