最も愚かしい母親、増殖中蟻地獄のように、子どものエキスを吸い取る母親。一見「教育」熱心に見える場合もあります。一見「優しそう」に見える場合もあります。一見「親切そうに」見える場合もあ...
教会に通ってる人は、はた目から見たら、「クリスチャン」でしょ。でも、その「クリスチャン」が、日々神様を冒涜する、「垂れ流し人生」になっちゃってるとしたら? そんなことあるはずない? そしたら、ルターは存在できなかったでしょ? 神様を日々冒涜している人も、教会に通ってるばかりではなくて、「クリスチャン何とか」という会社に勤めてさえいる、というのが、残念ながら、真実の姿なんですね。
Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、第2パラグラフの、5行目途中より。偽物の続き。
自分だけが損した気分から手っ取り早く逃れるのに、よくやる手は、他者に対して図々しい態度を取ったり、まわりに悪戯したり、バカをやったり。でもね、どれだけその気分が解消されるかは、そのやり口をどれだけ使うかに反比例しますでしょ。決まり文句を言うのは、飽き飽きしますし、痛々しい感じで繰り返す(訳注:フェイスブックで顔出しする)だけになりますもんね。
この手の人に必要なのは、根源的信頼感を快復することです。偽物であることを素直に認めて、≪本物の信頼≫に立ち帰ること、と、旧約の昔から、相場が決まってます。