エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

facebookでの、痛々しい顔見せから解放されるためには…?

2015-12-19 16:44:50 | アイデンティティの根源

 

 

 
最も愚かしい母親、増殖中
  蟻地獄のように、子どものエキスを吸い取る母親。一見「教育」熱心に見える場合もあります。一見「優しそう」に見える場合もあります。一見「親切そうに」見える場合もあ...
 

 教会に通ってる人は、はた目から見たら、「クリスチャン」でしょ。でも、その「クリスチャン」が、日々神様を冒涜する、「垂れ流し人生」になっちゃってるとしたら? そんなことあるはずない? そしたら、ルターは存在できなかったでしょ? 神様を日々冒涜している人も、教会に通ってるばかりではなくて、「クリスチャン何とか」という会社に勤めてさえいる、というのが、残念ながら、真実の姿なんですね。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、第2パラグラフの、5行目途中より。偽物の続き

 

 

 

 

 

 

自分だけが損した気分から手っ取り早く逃れるのに、よくやる手は、他者に対して図々しい態度を取ったり、まわりに悪戯したり、バカをやったり。でもね、どれだけその気分が解消されるかは、そのやり口をどれだけ使うかに反比例しますでしょ。決まり文句を言うのは、飽き飽きしますし、痛々しい感じで繰り返す(訳注:フェイスブックで顔出しする)だけになりますもんね。

 

 

 

 

 

 この手の人に必要なのは、根源的信頼感を快復することです。偽物であることを素直に認めて、≪本物の信頼≫に立ち帰ること、と、旧約の昔から、相場が決まってます。

 

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タッチが初版

2015-12-19 11:01:07 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
根拠のない自信
  ≪根拠のない自信≫。根拠のないことって、ふつう嫌われたり、避けられたりするものじゃぁないですか? 根拠がないことは、不合理で、信用できないこととイコールだった...
 

 エリクソンは、子どもは「転移神経症」になんない、と言います。これは本当です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p99の、最後の行の途中から。

 

 

 

 

 

いまや、子ども等が「転移神経症」になれないことにツベコベ言うことは、大人が、「人間を上下2つに分けるウソ」を信じて「大人の方が上だ」と身勝手に勘違いしているからだと思います。子ども等って、眼の前のことにどうやってあれだけ没頭できるのでしょうか? なぜあれだけ没頭できるのしょうか? そして、眼の前のことに没頭したことを、多様な学びをしながら、どのようにあれだけ陽気で楽しく翻訳できるのでしょうか、なぜあれだけ陽気で楽しく翻訳できるのでしょうか。子ども等の愛着について、アンナ・フロイトは「初版がまだ売れ残ってるだけよ」といっています。あるいは、「別の転移があんのよ」と言っています(アンナ・フロイト、1980, P.2)。

 

 

 

 

 子どもとのセラピーをしてますとね、子どもが今の親子関係で足りないところを補っているのが分かります。あるいは、子どもと遊んでいますでしょ、そうすると、やっぱり子どもが今の親子関係で欠けている所を、補おう、としていることが分かります。それはまるで、のどが渇いた時には、教えられずとも、水を飲むのに似ています。

 今の子どもが水を飲むように求めてくるのは、抱っこ、おんぶ、握手…タッチです。それがアンナ・フロイトの言う初版です。

 タッチが初版です。

 

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「僕にもわからん」が最大の教訓 : 正解を答えることが正解にならない時

2015-12-19 07:52:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
与えることこそが、あなたの恵みそのものなのですから。 使命について
  人と人の強さが繋がる時、それは静かだけれども、圧倒的な悦びがありますよ。それはもう、ヌミノースだと言ってもいいものですよ。あなたも是非体験してみてください。そ...
 

 「僕にも分からん」と答えた主は、上の写真の、内村鑑三です。厳格で、厳しいイメージが強い内村鑑三です。特に武田清子先生の書物を通してみる内村鑑三には、そういう孤高で厳しいイメージが付きまといます。2年前に鈴木範久先生がNHKの「こころの時代」の6回シリーズで、教えてくれた内村鑑三は、不器用ながら、きめの細かい気配りの出来る、親しみに満ちた人であったことを教えてくれました。

 今回ご紹介して、皆さんとシェアしたいと考えましたのも、そういう親しみ深い内村鑑三です。

 

 

 教師の立場の人が、生徒の立場の人から質問されて、答えられないのは、バツが悪い感じがしませんか? 教師にとっても、生徒にとっても。特に「権威主義的な」教員でしたら、よくわからない場合でさえ、なにがしかのことを答えて、その場を取り繕う場合が少なくないのじゃぁないのかしらね。

 この時、問いを発したのは、敗戦後2番目に東大総長になった、矢内原忠雄先生です。高校生の時のことだといいます。その問いとは、「信仰を持たずして死んだ両親が、果たして救われているのか、天国に入れるのか?」ということです。矢内原忠雄先生にしても、信仰を持たずして死んだ両親であっても、天国に入っていてほしい、と言う願いを背後に持った問いだったと考えて、間違いないでしょう。その時に、「僕にもわからん」と内村鑑三は答えたといいます。

 それで、その答えを聴いた矢内原忠雄先生が、ガッカリしたか?と言えば、むしろ真逆です。矢内原忠雄先生は、言います。「…人間には依頼してはいけない。…神様から直接教えて下さるのであり、しかもそれには時が必要なのだ。…(解る)まで忍耐して、自分の信仰の道を歩まねばならない、という事なんです。内村鑑三先生は私に沢山の事を教えてくれたけれども、『自分にも分からない』といって下さったのが、最大の教訓でね。」

 分かりますか? 問いに対して正解を答えることが正解ではないんですね。内村鑑三が「僕にも分からん」と応えたことは、≪本物の信頼≫とは何か?を教えているのです。矢内原忠雄先生も、内村鑑三のこの答えから得たのも、≪本物の信頼≫だったはずです。いい加減な応え程、≪本物の信頼≫と矛盾するものはありませんよね。それは、高橋三郎先生が、犬養さんの友人で、クンちゃん、ムッちゃんという青年に分からないような話しかできない時に、集会に参加するために上京しないでほしい、と依頼したことと、似ています。

 人との関係は、神様との関係が、知らず知らずに現れてんですね。ですから、人との関係を見れば、本物のクリスチャンなのか? それとも、偽物かも、はっきり区別できる、という訳ですね。

 

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手出し無用!

2015-12-19 00:07:21 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
根拠のない自信
  ≪根拠のない自信≫。根拠のないことって、ふつう嫌われたり、避けられたりするものじゃぁないですか? 根拠がないことは、不合理で、信用できないこととイコールだった...
 

 強盗プログラムは、結構効くらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.221の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 間もなくして、その女性が真夜中、図書館から歩いて帰宅していると、3人の男たちが茂みから飛び出してきました。「姉ちゃんよ、金だしなぁ」と大声で言いました。後になって、彼女が教えてくれたのは、いつもやる空手の構えをすると、大声で言い返したって言うんですね、「いいわよ、みなさん、待ってましたの、飛んで火にいる夏の虫たぁ、お前らのことだぁ。誰が最初にかかった来るの?」。そしたら、男たちは逃げてきました。背中を丸めていたり、恐る恐る周りを見回したり、していたら、他人につけ込まれて餌食にされます。だけど、「手出し無用!」って、感じで歩いていたら、付け込まりたりしないでしょう。

 

 

 

 

 

 お見事。強盗プログラムの著効事例ですね。

 

 

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