エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#本物の祈り

2015-12-06 11:43:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
日本の公教育の病理 その5 主権在民の忘れ物
  日本の学校がウソとゴマカシの組織になっちゃってんのは、1つには本物の「教育」を忘れているから。そこに偽物の「教育」が入り込み、蔓延ってしまいやすい。エリクソン...
 

 恵みと律法の区別が出来ないこと、「したくてたまらないこと」と「ねばならないこと」の区別が出来ないこと、それは、日常生活がマンネリになっている証拠、ルーティーンになっている証拠です。礼拝が、毎日礼拝から、日曜礼拝に「堕落」してしまっているからです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.244の、第2パラグラフの下から11行目途中から。

 

 

 

 

 

このように新規に、恵みと律法をごちゃまぜにするようになると、ルターは死に物狂いでいろんな方法を試してみました。自分で祈ってもダメなら、「主の祈りを、鳴り響くように祈ってくれ」と友達に頼んだりしました。そうすれば、神の声がまた聞こえるかもしれない、と思ったんでしよう。「キリストがあなたのところに来て、あなたに語りかけ、それがまるで、罪人のところに来るみたいに、まるで、モーセの所にやって来て『何やってんの?』と責め立てる時には、キリストを殺しておしまいなさい。でもね、キリストが神様みたいに、救い主として、あなたに語りかける時には、キリストの声に両耳をそばだてなさい」って、神様が言ってくれると思ったんてしょうね。この言葉の中で、行列の最中にあった発作の後でシュタウピッツが言ってくれた言葉を思い出すことで、ルターは自分を不動にして自由にさせていたことは、明らかなのです。しかし、シュタウピッツは、他の人達と同様、修道院にすでになく、バラバラになった、ルターの礼拝仲間でもなくなっていたのでした。

 

 

 

 ルターがいかに困っていたのかが分かります。祈りの確信、手応えがない時には、得てしてありがちなことかもしれません。神様が「沈黙」しているように思えるからです。見捨てられた感じになるのは、まさにこの時でしょう。

 でもね、本当の祈りを祈るのは、まさに見捨てられたと感じた時から、なんですけれどもね。

 

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相対性の時代

2015-12-06 10:16:18 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
ブレークの警告
  幼稚な道徳と、青年の価値意識と、大人の倫理の区別が大事で、しかも、結び付けたほうが良い。どういうことでしょうか?  p227下から5行目から。&nbs...
 

 いまどきのニッポンに大流行りの「ウソとゴマカシ」だらけの、「ウソとゴマカシ」病は、「流行り病」ではなくて、通奏低音として、日本史上、ズゥート続いている「無意識の暴力」に日本人がさらされ続けている、という訳です。それは「≪いまここ≫のご利益、我利我利」依存症です。

 ということは、日本の民主化とは、セラピー同様、いまどきのニッポンの「≪いまここ≫のご利益、我利我利」依存症目先の利益中心主義を意識化し、治療していくことと、同時並行でなくてはなりませんね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p96の、下から6行目途中から。

 

 

 

 

 

しかし、最後的には、このように、革命的に生き方を変えることに伴う、多角的な視点で見ることによって、人間の心は適応する力を、再び確かにさせることができますし、非常に合理的で大事な、そして、進取の気質に富む人品も豊かにすることも出来ます。相対性は、はじめは、耐えられない程相対論的な意味しかありませんでしたし、シッカリした人間らしい「見方」の基盤を取り崩すようにみえたけれども、根源的に変わらない存在において、相対的な見方が、お互いに「和解し合う」という、新しい展望を開くことになります。

 

 

 

 

 

 いまも、相対性の時代です。多元的に物事を見ることが要請されています。ですから、その多元的な見方を調整するためには、話し合いが欠かせません。でもね、それはそのたくさんある見方が、その見方の持ち主が、別の見方や、別も見方の持ち主に対して、その価値を富目ていく心の姿勢が大事でしょ。展望が開かれるのは、その先だ、と言うのが、エリクソンの主張でしょう。

 


 

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内村鑑三先生が教えてくれる「成功の秘訣」 10カ条

2015-12-06 08:58:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
比較できない価値を忘れると…
  フロイト理論は時代の要請。時代の精神に合致していると同時に、時代の縛られるきらいもあります。 p84下から5行目途中から。  ...
 

 昨日の晩に、中川翔子さんの高祖父、伊藤一隆と内村鑑三のことをブログに書いて、大変好評を得ました。ブログアクセスも、3年近くやってまして、最高記録だったみたい。それに気をよくしたわけでは必ずしもないのですが、『旧内村全集』の同じ19巻 p.154に「成功に秘訣」と題する10カ条があるのを見つけましたので、それをご紹介しようと考えたわけですね。66才とありますから、亡くなる3年前、最晩年の内村の所感になります。ただし、旧字体は、現在の字体に置き換えています。

 

 

 

              六十六翁 内村鑑三

一、自己に頼るべし。他人に頼るべからず。

一、本を固くすべし。然らば事業は自ずから発展すべし。

一、急ぐべからず。自動車の如きも成るべく徐行すべし。

一、成功本位の米国主義を習うべからず。誠実本位の日本主義に則るべし。

一、濫費は罪悪なりと知るべし。

一、能く天の命に聴いて行うべし。自ら己が運命を作らんと欲すべからず。

一、雇人は兄弟と思うべし。客人は家族として扱うべし。

一、誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし。

一、清潔、整頓、堅実、を主とすべし。

一、人もし全世界を得るともその霊魂を失はば何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず、品性を完成するにあり。

 

 

 

 

 

 コメントをする必要性がありません。

 しかし、敢えてコメントをすれば、成功の秘訣は「誠実」にある、ということでしょう。内村は「誠実」という言葉を2度使っていますからね。成功の秘訣なのに、成功本位ではなくて、誠実本位でやんなさい、と言うのですからね。

 ウソとゴマカシだらけの、立派な依存症!! アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちはじめ、東電、東芝、三井不動産レジデンシャル、東洋ゴム、化血研(化学及び血清療法研究所、http://www.asahi.com/articles/ASHC53D16HC5ULBJ006.html)、理化学研究所、明治大学法科大学院教授(司法試験の問題をコッソリ生徒に教えた)、発達トラウマを負わされた愛着障害の子どもが、こんなにたくさんいるのに、児童精神科医のほとんどが、発達トラウマのことを知らずに、間違った診断、間違った投薬をして、無駄なお金と、無駄な税金を使わせている…〈キリがありません〉にあっては、この10カ条の1つでも、実行すれば、もう、天と地の差の、政治活動、企業活動、研究活動などができること、間違いなし、ですね。

 

 

 内村がここで言う「誠実」とは、神様と内村の関係が「誠実」であるから、内村と人との関係も「誠実」だ、という対応関係があって初めて、人にも薦めることが出来たんだと思います。

 それは、内村の弟子の矢内原忠雄先生の、さらに弟子だった、高橋三郎先生と神様の関係が「誠実」であったから、高橋三郎先生も人に対しても「誠実」だ、と言う対応関係があって初めて、人にも、「キリスト教愛真高校」の生徒にも、「誠実」、「真実」を薦めたのと同じでしょう。

 

 

 

 

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リシアさんの最初のお勤め

2015-12-06 01:02:15 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
日本の公教育の病理 その5 主権在民の忘れ物
  日本の学校がウソとゴマカシの組織になっちゃってんのは、1つには本物の「教育」を忘れているから。そこに偽物の「教育」が入り込み、蔓延ってしまいやすい。エリクソン...
 

 人間にとって、一番大事なものは、眼には見えない、心ですね。心の向き、心の姿勢です。ボディーワークでさえ、それが大事なことを、ボディーワークのトレイナーのリシアさんは、直感的に承知していたわけですね。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、第3パラグラフから。リシアさんの言葉の続きです。

 

 

 

 

 

 「私が最初に決めるのは、相手の人が安心して、顔を上げるようになるのか?それとみ、伏し目がちなままなのか? ということです。私が気を配っていることは、ユッタリとした服装をしているのか?ということです。すなわち、相手の人が身に着けたいと思う衣類を着て、安心しているかどうかに、注意を払います。これらは、いちばん最初に出来る、大切な境界線なんですね。」

 

 

 

 

 パーソナルスペース。自分が安心できる空間がありますね。そのパーソナルスペースに土足で入られると、不快に思ったり、不安に思ったりします。発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもたちは、この範囲があいまいで、デコボコです。遠くにいても、その子の嫌な記憶に結びつく、音、動きなどがあれば、不快や不安を感じてしまいます。

 リシアさんが指摘してることも、このパーソナルスペースのことです。それをハッキリさせることが、リシアさんの最初のお勤め、ということになります。

 


 

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