最深欲求に応える生き方の向き
黄金律について、エリクソンはどのようなに結論を言おうとしているのでしょうか? p.233第3パラグラフ。 ...
発達トラウマの場合、物語を語るだけでは、セラピーは完結しないらしい。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.221の、第4パラグラフから。
これ(発達トラウマは、物語っただけでは、セラピーが終わりになりないこと)には、訳があります。人が一般的な出来事を記憶する時には、その出来事に関係する、いろんな身体感覚、いろんな感情、いろんなイメージ、いろんな臭い、あるいは、いろんな音を改めて繰り返しません。反対に、十分にトラウマを思いだす時には、その経験を「身に着けています」。トラウマのある人たちは、過去の感覚や感情によって、圧倒されています。スタンとウテ・ローレンスは、第4部で示した事故の犠牲者ですが、その脳のスキャン画像を見れば、過去の感覚や感情によって、人が圧倒される様が分かります。スタンがその恐ろしい事件を思いだす時に、脳の2つの大事な領域が空っぽです。つまり、時間や見通しの感覚を提供する領域、「あれは昔の話、今は大丈夫」と分かる領域と、トラウマに関わる、いろんなイメージ、いろんな音、いろんな感覚を、筋が通った物語にする領域、が空っぽでした。脳のこの部分が働かないと、何かを経験しても、初めも、中間も、終わりのある出来事にはならずに、いろんな感覚、いろんなイメージ、いろんな感情がバラバラなままなんですね。
重たい発達トラウマがある場合は、本当の過剰反応ですからね。普通は愛着を感じるだろう、イナイ・イナイ・バーも恐怖、タッチも恐怖、なんですからね。そうすると、自閉症の人みたいに、パーソナルスペースを犯されることに極端な恐怖を感じやすいのにもかかわらず、自閉症の人とは異なり、その境界は、あいまいです。
いろんな感覚、いろんなイメージ、いろんな感情がバラバラなままだというのは、実に残酷なことですね。アメリカの愛着・トラウマセンターのデブラ・ウェッセルマンさんや、ウェストオンタリオ大学教授で、やはり精神科医のルース・ラニウス教授が言うように、子どもの内にセラピーをしておかないと、様々な精神疾患になるというのも、うなづけます。