エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

うつ病も、創造の源?

2015-12-15 08:35:11 | アイデンティティの根源

 

 

 
やっぱり大事な≪やり取り≫
  ≪やり取り≫ほど大事なものはないことが、よく分かります。 p231下から7行目途中から。    ...
 

 

 フロイトは、無意識は、魔女みたいに怖いもの、と考えました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、8行目途中より。

 

 

 

 

 

「私は昔ながらの悪魔教を夢見ています」とは、フロイトが言ったことです。実際に、悪魔学には、精神医学においてと同様、ケツのことを極めて深刻に考える、あらゆる理由があります。われわれの啓蒙の時代にあっては、ケツは、エッチなジョークのレベルでしか、意識出来ないかもしれません。エッチなジョークを言ってる限りは、笑っていられますよね。しかしながら、この宗教改革者ルターは、自分自身のことを、うつ病の深みから、世界の腸から今にも飛び出しそうなウンコと呼びましたし、無意識裡に出てくる言葉を話しましたから、精神病の心理に近い、詩心のほとんどない気持ちだったはずです。

 

 

 

 

 ルターは、宗教改革をやるほどの人なのに、重たいうつ病に苦しんでたんですね。重たいうつ病になるほどの心があったからこそ、宗教改革が「できたぁ」と言う方が正確なのかもしれません。

 渡辺和子さんも、うつ病に悩んだ時期が、人生の後半にありましたでしょ。「創造の病」の点で、ルターと共通してますね。

 

 

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人生には、不思議(wonder)が満ちてる(ful) 

2015-12-15 07:58:51 | エリクソンの発達臨床心理

 

次の参院選が今から楽しみ! 「自民、歴史的惨敗! 参院自民 三分の一に」の記事を見るのが愉しみ。

 
選挙に行こう!
  今日は衆議院議員選挙と最高裁判所裁判官国民審査の日。 皆さん、投票に行きましょう。 「人間らしい暮らし」を実現するために。 私が考える争点。前にも...
 

 精神分析の訓練されたセラピストは、実践哲学が必ずあるものです。ですから? 「人生って、上手く出来てるなぁ」と感じるチャンスに恵まれます。恵まれる分だけ、人とも「人生って、上手く出来てるなぁ」と分かち合うチャンスにも、恵まれますね。不思議でしょ。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p98の、下から3行目から。

 

 

 

 

 

 私が大胆にも、アインシュタインの研究領域と私の研究領域を関係づけたように、エルサレムで開かれたアインシュタイン百年祭で、参加者の皆さんにも、この二つを関係づけて下さいと、頼みました。それは私にとって、新しい(訳注:相対性、すなわち、関係性を見る)観察法に固有の所に見えます。その新しい観察法のおかげで、古くからある共感が体系的なものにもなり、他のやり方では得難い、理に適ったやり取りになります。この観察法を臨床で使いますとね、この観察法は、現代版の人類愛によって、方向付けられてんですね。現代版の人類愛は、癒す者も癒されるものとが、観察されるいろんな関係性によって明かされる、人間のいろんな動機、という名の変わることのない法則性を、原理において、分かち合い、実際にも分かち合うことが出来る、ということに基づいています。

 

 

 

 

 

 相対性は、関係性を見ることですね。ですから、臨床に相対性理論、あるいは、相対性理論を導いた観察法を応用するとなれば、2人の関係性を見ることになります。じっさいに、エリクソンの心理学を学べば、この関係性を見る心の眼を身に着けることが出来ますからね。そうすると、初めて会った子どもでも、心のやり取りと、その子どもの心の動きが、手に取るように分かる場合が、割合よくありますからね。不思議でしょ。人生は不思議にも満ちてんですね。すなわち、人生とはワンダーフルなんですね。

 

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教育が、一番うまくいったとき

2015-12-15 02:12:23 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
「くっ付き虫」のまんま は、「くれない族」で「イジメっ子」
  無意識裡に親に密着(愛着)しているままですと、その時に感じていて、無意識に沈んでいる、悲しみや激しい怒りを、知らず知らずのうちに、身近な人に投映することになり...
 

 教育が、一番うまくいったとき。それをハッキリ示しているものがあります。それは東京大学や、早慶上智に合格することでもなければ、一流企業に入れる子どもを育てることでは、全くありません!

それをハッキリと示すものをご紹介します。

それは一昨日、昨日、このブログでご紹介した無着成恭さんの教育です。今から60年以上前の教育実践の中で育った人達は、今人生の晩年を迎えています。その人達が、自分達が教えられたことを、1つの言葉にまとめています。それが「山びこ学校の合い言葉」です。上の写真(下の写真は、その拡大版)は、その言葉の碑文です。

 

 

 「山びこ学校」の合い言葉

 

 おれだちはきかんしゃだ

 きかんしゃの子ども は

 いつも力を合わせていこう

 かげでこそこそしないでいこう

 いいことは進んで実行しよう

 

 おれだちはきかんしゃだ

 きかんしゃの子ども は

 仂くことがいちばんすきになろう

 なんでもなぜ? を考える人になろう

 いつでももっといい方法がないか探そう

 

 

 

 

 生き方がハッキリしていますでしょ。教育が、一番うまくいったとき。それはこれです。

 

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セラピーが、一番うまくいったとき

2015-12-15 01:36:09 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 岩手山、遠望

 

 
やっぱり大事な≪やり取り≫
  ≪やり取り≫ほど大事なものはないことが、よく分かります。 p231下から7行目途中から。    ...
 

 大きなお世話だったかもしれませんけれども、「果たして、私は『自分の人生の主人公だぁ』と実感して生きてるかなぁ?」と、問いながら、生きてます? その問いを毎日の問いとして生きられたら、素晴らしい! と私は考えてるですね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.220の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 翻って、1893年、ピエール・ジャネは、最初の発達トラウマの研究者ですけれども、「『やったぁ』と感じる悦び」について書いています。私がいつもこの悦びに気付くのは、私が感覚運動セラピーをやる時と、身体を感じるセラピーをやる時です。クライアントがギョッとしたり、逃げ出したりする時に感じていることを、身体で経験出来れば、クライアントはリラックスして、笑顔になり、「やったぁ」(あるいは「出来たぁ」)という感じになりますもんね。

 

 

 

 

 

 うまくいったセラピーの典型です。「やったぁ」と子どもが言いますもん。「出来たぁ」という顔に、子どもがなりますもん。

 それは、イエス・キリスト自身が十字架で、「テテレスタイ」=「出来たぁ」、と言ったのと、全く同じです。

 


 

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