エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

バケツ11杯のウンコをする ルター

2015-12-11 08:36:44 | アイデンティティの根源

 
特定秘密法、絶対反対です! 民主主義と恣意的判断
  もし、刑罰が恣意的に決められたら? 「あいつは憎たらしいから、盗みでも、懲役50年にしちゃえ」。そうなったら、そういう恣意的判断をするものが、≪絶大な悪の力≫...
 

 ルターのビョーキは、重症でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.245の、ブランクから8行目途中より。

 

 

 

 

 

こういったことや、たくさんの似たような事情を、ルターの時代、ルターに典型的な野暮と見なすには、安易にすぎます。なかには、低俗な冷やかしもあったでしょうし、なかには、改革者が、自分の身体を心身的に理解し、いわば、自分の身体を使って、自分の身体を通して、話す、飛び抜けた才能を表わすものもあったでしょう。ルターは「産みの苦しみ」を話し言葉にしたのは、腎臓結石で、身体が浮腫んでた時でした。浮腫みがなくなれば、ルターはガルガンチュア並みの、バケツ11杯のウンコを出しました。

 

 

 

 

 

 ルターは下品、ルターはビョーキ。それは事実でしょうね。それは、ある意味、虚飾と正反対だったということでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自由にして守られた空間」のもう1つの意味

2015-12-11 07:53:35 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
人を大事にすること≒阿吽の呼吸
  サリヴァン先生、セッスクする関係と、人を大事にする関係には違いがあることが分かったんですね。 p86の第3パラグラフ。  ...
 

 精神分析の場は、いつでも何度でも、クライアントが、≪いいまここ≫を心豊かに、マインドフルに、生きられることを願っているんですよね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p97の、第3パラグラフの、下から5行目から。

 

 

 

 

 

 しかし、こういったことすべてがハッキリするのは、クライアントが、空想や思いを語る中で、精神分析のセラピストに、何度でも蘇ってくる、大なり小なり、理屈では解決できない、幼い頃や赤ちゃんの時期の、いろんなイメージやいろんな気持ちを「ぶつけてくる」時なんですね。

 

 

 

 

 

 理屈では解決できない、いろんなイメージ、いろんな気持ちをぶつけることを、「転移」だとか「感情転移」だとか呼んで、良くないことのように言う人もいるかもしれません。でも、そんなことを言ってたら、私どもサイコ・セラピストは仕事になんないですよ。

 実際は、いろんなイメージ、いろんな感情をぶつけられたら、日常生活では大変ですけれども、しかも、これも、よくあることですけれどもね、精神分析の場、非日常の場であれば、比較的安全です。ですから、「自由にして守られた空間」と呼ばれる、セラピーの場は、セラピストも守ってくれる時空なんですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ティク・ナット・ハーンさんの、もう1つのタッチ  改定版

2015-12-11 07:23:54 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
特定秘密法、絶対反対です! 民主主義と恣意的判断
  もし、刑罰が恣意的に決められたら? 「あいつは憎たらしいから、盗みでも、懲役50年にしちゃえ」。そうなったら、そういう恣意的判断をするものが、≪絶大な悪の力≫...
 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」で、タッチ、触れられることを学んできましたでしょ。リシアさんの言葉からは、触れられることがいかに大事なやり取りと、やり取りがプレゼントしてくれる安心の元になるかを、教えられましたね。

 今晩は、ティク・ナット・ハーンさんから、「もう1つのタッチ」をご一緒に学べたらと思います。

Peace is every step : A Practice for Our busy Lives, p.97

  『平和は一歩一歩の歩み(にあります): 私どもの忙しい暮らしのためにしておきたいこと』p.97より

 

 

 

 

 

 仏教で私どもが学ぶのは、もし私どもが、自分自身の痛みを理解することが出来れば、人の痛みも理解しやすくなる、ということです。ですから、まず初めにしなくちゃならないのは、自分自身の内側にある痛みに、触れてみる、タッチすることであって、内側にある痛みから、何とかして逃げ出そうとしたり、自分の気持ちに蓋をして、その痛みを忘れようとしたり、することではありませんからね。仏教では、最も根源的な教えが、4つの聖なる真理(訳注:四聖諦 ししょうたい)です。第1の真理は、≪いまここ≫にある痛みを理解することですし、第2の真理は、その痛みの本質をよくよく調べて、その根っこの原因をハッキリさせることです。

 

 

 

 

 

 触れるといっても、内的な痛み、苦しみを、よくよく感じることが大事みたいですね。逃げ出したくなるのも人情かもしれませんが、逃げないで、自分の痛みに踏みとどまることが必要です。

 ティク・ナット・ハーンさんの教えは、仏教に根差していますけれども、パウロや、シモーヌ・ヴェイユとも共通している不思議です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大災害も、対処次第で、心理的にも違いが出る?

2015-12-11 00:21:27 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
生きものの間がを観察するとは、実にこんなに素敵
  観察単位は、個人ではなく、世代間関係で見るということは、臨床心理の基本中の基本です。家族心理学だけのものじゃぁない。愛着障害の子どもとその母親を相手にすること...
 

 タッチ、触れられることは、安心の始めです。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.219の、6節から。

 

 

 

 

 

 

 6 行動を起こす

 

 身体は、ヒドイ経験に応じる際に、いろんなストレスホルモンを分泌します。いろんなストレスホルモンは、不調や病気の元だと、非難される場合が多い。しかし、ストレスホルモンが出ると、異常な状況に対して応答する強さと我慢強さが手に入ります。一度の大災害(大事な人や見知らぬ人を助けたり、人を病院に搬送したり、医療班のメンバーになったり、テントを立てたり、食事の用意をしたり)に対して何某かのことを能動的にできる人は、いろんなストレスホルモンを適切な目的のために活用することが出来ますから、トラウマを負わされるリスクを低くすることが出来ます(それにもかかわらず、誰でも限界がありますから、一番強さのある人でさえ、危機の大きさに圧倒される場合だってありますよ)。

 

 

 

 

 

 心理的な課題に対処する時、それは、全人格的な対処になればなるほど、身体の動きや生理的反応も、活用することになるのでしょう。ストレスホルモンの分泌と言う、生理反応も、自律神経の反応でしょうけれども、従って、意識でそう簡単にコントロールできるものではないのでしょうけれども、呼吸や運動などを意識的に行うことによって、間接的に能動的に活用することが出来るのでしょうね。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする