エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ウテさんの場合

2015-12-22 19:24:00 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 
黄金律を支える 内省的な関わり
  ≪やり取り≫。この極単純なことが、実に奥深い。天にもいたり、地をも掬い上げます。 p233最後のパラグラフ。   ...
 

 

 目玉をキョロキョロと動かす、EMDRは、発達トラウマによく効くらしい。

 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.222の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ウテさんの解離(思い出していただきたいのですが、彼女は完全に自分の殻を閉ざしていましたよね)は、別のやり方で、複雑な形で回復しました。脳の構造のうち、現在に関わる部分は、どっこも、働いていなかったので、トラウマの治療は、単にできなかったわけですね。意識があり、今働いている脳がなければ、まとまりを付けることも、解決を付けることもできませんよね。ウテさんは、≪いまここ≫に踏み止まる窓を広げる手助けが必要で、その手助けがあれば、PTSDの症状を治療することが出来たんですね。

 

 

 

 

 

 解離があると、≪いまここ≫に留まることが出来ません。でも解離って難しそう。簡単に言ったら、すぐにボウッと考え事をしてしまう状態に、少し似ている、と考えて下さい。相手の人が話しかけてきても、すぐに、ボウッとしてしまったら、相手の話は耳に入りませんでしょ。入っても、反対側の耳から筒抜けでしょ。解離があると、ボウッとする以上に、相手の人や、≪いまここ≫に意識を留めることが難しい。

 困りますね。

 ですから、ヴァン・デ・コーク教授が教えて下さるように、「≪いまここ≫に踏み止まる窓を広げる手助け」が必要なんですね。

 

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危険な安全弁 神の冒涜のもう1つの形

2015-12-22 08:45:56 | アイデンティティの根源

 

 

 
私も最高、あなたも最高! それが黄金律。
  臨床が一番うまく行くとき、必ずそこに≪やり取り≫があります。≪やり取り≫をする2人は、仲間であり、相棒です。 p233下から13行目途中から。&nbs...
 

 神様を日々冒涜している人の、つづき。神様を日々冒涜している人は、「聴く耳」がないだけじゃぁ、ない!

 Young Man Luther 『青年ルター』p.247の、第3パラグラフより。ルターのことばの引用の後から。

 

 

 

 

 

 結論として申し上げることは、ルターには、断固拒否することや、我慢に我慢を重ねてから爆発する、というパターンがあることは、安全弁を見つけようとしていることだ、ということなんですね。それは、「ねばならない」という思いが、心の中で圧力を増すので、献身することに耐えられなくなり、「勇ましく高尚な人生」が恨み言人生になる時のことなんですね。それは、ルターが極端な形で、神に反抗しそうなときであると同時に、重たい鬱の形で、自分自身に反抗しそうになる時でもあったんですね。

 

 

 

 

 

 この安全弁は、とっても危険ですね。ローマ教皇や、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちを攻撃する方が、重たい鬱になるよりも、マシ、かもね。

 でもね、ハッキリした形の攻撃だけではなくて、「◎◎」といった看板に隠れて(攻撃して)いることこそが、また、神の冒涜の、もう1つの形です。

 

 

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人生の実験

2015-12-22 07:46:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
圧倒的に「氏より育ち」の時代
  生物学や、後発の心理学においては、「氏」か? 「育ち」か? が長いこと論争になってきたみたい。生まれ持った資質、遺伝子情報が、大人になった時に影響力が大きいのか? これが「...
 

 対抗感情転移は、日々検討することが原則必要でしょう。そこまでいかなくても、少なくとも、意識の端っこに、準備しておくべきものでしょう。それは、より良い心理臨床をしていくときに、エッセンシャルです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p100の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 子どもの頃について言われてきたことは、思春期には、新たな、劇的な形に見えます。本当に、性的成熟は現在進行形ですけれども、計画的に遅れが出ます(それを私どもは、心理的潜在と呼びます)。遅れがでるのは、人格の発達においてばかりではなくて、社会的な立場の点でもそうです。そのおかげで、過去を振り返ってみたり、実験的な見通しを持ってみたりすることによって、いろんな社会的な役割を実験する期間を持つことが出来ます。それは、多くの場合、上へ下への大騒ぎになります。

 

 

 

 

 

 モラトリアムのところですね。でも、それは、人口に膾炙するような、消極的な意味じゃぁないことがハッキリ分かりますよね。なんせ、モラトリアムは人生の実験の場なんですからね。

 

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夢の魔法

2015-12-22 07:13:17 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
女子高生の売春は、こうして生じます。
  いつも一番は、父親のような人物ですから、奥さんでもマックス2番。残念。 p91の第2パラグラフ。   &nb...
 

 先日は、『フレデリック』を取り上げましたよね。詩人の、眼には見えない偉大さを、易しく教えてくれてましたよね。

 私は、福音館書店の社長さんでした松居直さんがNHKでやった講座「絵本のよろこび」を学んで以来、絵本の良さを肌身に感じています。心理臨床でも、「絵本の読み聞かせ」セラピーをするほどです。絵本作家で好きな人と言ったら、バージニア・リー・バートンか、レオ・レオニ。今回取り上げるのもレオ・レオニの「マシューのゆめ」です。

 この本も、『フレデリック』同様、ネズミのお話です。貧しい両親の元で育てられたマシュー、屋根裏部屋の汚いお部屋が、マシューのお部屋。両親は、お金持ちになってもらいたいと、マシューに期待を寄せるのだけど、当のマシューは、なりたい自分も、知りません。

 あるとき、マシューは美術館に連れてかれ、マシューは、そこで大発見。美術館に行った晩、マシューは大事な夢、見ます。絵の中、歩く夢でした。マシューの夢は、別世界。その夢、見てから、マシューの眼、すっかり変わってしまいます。貧しい生活、しててもね、輝き見つける、眼になります。そして、マシューは絵描きになって、夢がホントになりました。

 ≪イメージ≫が≪出来事≫になります

 この絵本は、「夢」の力、≪イメージ≫の力のことを、子どもにも、大人にも、教えてくれています。≪イメージ≫があると、現実は全く変わらないのに、その現実が全く違った見えてきます。まるで魔法のようでしょ≪イメージ≫には、魔法の様な力があるんですね。ここから、夢の魔法の、始まり始まり…

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眼と記憶

2015-12-22 00:01:30 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 
私も最高、あなたも最高! それが黄金律。
  臨床が一番うまく行くとき、必ずそこに≪やり取り≫があります。≪やり取り≫をする2人は、仲間であり、相棒です。 p233下から13行目途中から。&nbs...
 

 

 発達トラウマがあると、いろんな感覚、いろんなイメージ、いろんな感情がバラバラなままだというのは、実に残酷なことですね。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.222の、始めから。

 

 

 

 

 

トラウマと上手に折り合いをつけることが出来るのは、こういった空っぽになっている脳も、働くようになる場合に決まってます。スタンのケースでは、眼の運動によって脱感作と折り合いをつけ直すやり方(EMDR)のおかげで、圧倒されることなく、事件の記憶を思い出せるようになりました。空っぽになっていることが、フラッシュバックの原因になっている脳が、事件を思い出している間に働くようになった場合、人はトラウマを負わされることになった記憶を過去に属するものとしてまとまりを付けることが出来ます。

 

 

 

 

 眼を動かすと脱感作と記憶との折り合いがつく、と言うのも不思議でしょ。これは理論的にまだ解明されていないのじゃぁないのかしらね。でも、私は臨床で使ったこともないし、その資格もありませんが、これは効くようですね。浜松医大の杉山登志郎さんは、タップしながらのEMDRが、いっそう効果的だと、言ってましたっけ。

 それもこれも、良心と意識が、「共に見る」ということと関係するからでしょうね。記憶は良心や意識を形作る要素の1つでしょ。

 

 

 

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