神様を日々冒涜している人の、つづき。あんなに神様を日々冒涜している人を、今日は見ないで済んだので、朝から不愉快にならずに済みましたよ。
Young Man Luther 『青年ルター』p.247の、第5パラグラフより。
この不思議な正邪相半ばすることが、文化によって、階級によって、悪い方に傾くのは、トイレット・トレーニングをやり過ぎる場合です。このようなトイレット・トレーニングが、証してくれるのは、その昔ながらの働きについての、不思議な迷信です。すなわち、出したウンコの対する恐怖が、結局は、「尻の始末もできなれりゃぁ、後々こんな性格になるぞ、あんなことをしでかすことになるぞ」という心配に置き換わるものですね。昔ながらの迷信や、鉱山労働者たちが、大地が、気まぐれに、危険極まりなく、ウンコを出すことを擬人化しようとすることも、すでに論じましたように、幼いマルティンが、身体についてどう考えるのかに影響を与えたかもしれませんね。
恐怖心が、いかに人間の深いところに根付いてしまうのか、を教えてくれるところですね。この恐怖心は、通常の、日常的な生活をしてても、解消しないんですね。そのままですと、怯えた表情になりますね。真の意味で、神様と出会わないとね。別にキリスト教の神でなくても構いません。こんなことを言ったら、怒られちゃうかしらね?神様と出会えましたら、神様に対する畏れは感じても、神様以外は恐れなくなりますもんね。怯えた表情は吹き飛んで、イキイキ、ピチピチ、内側から湧き上がる感じがにじみ出た表情に、自然になりますよ。
あなたも、あなたの「神様」に出逢ってくださいね。