エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

神に出逢えば、恐怖心は吹き飛びますよ(吹き飛ばしてもらえますよ)!

2015-12-25 09:28:49 | アイデンティティの根源

 

 

 
フロイト≒カント?
   フロイトは、人をモノ扱いして良い、などとは金輪際言っていない、ということですね。でも、私も含めて、誤解している人が多いのじゃぁないかしら? p...
 

 

 

 神様を日々冒涜している人の、つづき。あんなに神様を日々冒涜している人を、今日は見ないで済んだので、朝から不愉快にならずに済みましたよ。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.247の、第5パラグラフより。

 

 

 

 

 

 この不思議な正邪相半ばすることが、文化によって、階級によって、悪い方に傾くのは、トイレット・トレーニングをやり過ぎる場合です。このようなトイレット・トレーニングが、証してくれるのは、その昔ながらの働きについての、不思議な迷信です。すなわち、出したウンコの対する恐怖が、結局は、「尻の始末もできなれりゃぁ、後々こんな性格になるぞ、あんなことをしでかすことになるぞ」という心配に置き換わるものですね。昔ながらの迷信や、鉱山労働者たちが、大地が、気まぐれに、危険極まりなく、ウンコを出すことを擬人化しようとすることも、すでに論じましたように、幼いマルティンが、身体についてどう考えるのかに影響を与えたかもしれませんね。

 

 

 

 

 恐怖心が、いかに人間の深いところに根付いてしまうのか、を教えてくれるところですね。この恐怖心は、通常の、日常的な生活をしてても、解消しないんですね。そのままですと、怯えた表情になりますね。真の意味で、神様と出会わないとね。別にキリスト教の神でなくても構いません。こんなことを言ったら、怒られちゃうかしらね?神様と出会えましたら、神様に対する畏れは感じても、神様以外は恐れなくなりますもんね。怯えた表情は吹き飛んで、イキイキ、ピチピチ、内側から湧き上がる感じがにじみ出た表情に、自然になりますよ

 あなたも、あなたの「神様」に出逢ってくださいね。

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セラピストの祈り

2015-12-25 06:39:03 | アイデンティティの根源

 

 

 
眼に見えるモノ(偶像)を追いかけても、必ず、幻滅を味わうことになる
  自分はあくまで「自分持ち」。相手の力で自分を確かにしようとしても、それは「できない相談」です。 p92下から10行目途中から。 &nbs...
 

 セラピーがうまくいくと、そのクライアントは、友達とやり取りが必ず増えます。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p101の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 しかし、大人のクライアントの場合、感情転移の証拠について申し上げれば、忘れてはならないことは、大人の人は、概して、子どもらや青年らとは異なって、古典的な治療の場に従わなくてはならない、ということです。というのも、古典的な治療の場は、クライアントに(細かく評価することが出来ますが)、(1)仰向けになってもらいますし(忘れてはならないのは、人と人が出会うときには、立っていることが大事だ、ということです)、(2)顔と顔を合わせることや、目と目を合わせることを避けてもらい(忘れてはならないのは、チラッと見たり、笑顔をかわしたりすることが、お互いを認め合うときに、決定的に大事だ、ということです)、(3)会話のやり取りはしませんし(こっちも忘れてはならないのは、お互いに、≪私≫ってこんな人ですよ、とおしゃべりしあうことが大事、ってこと)、とどのつまり、(4)セラピストが黙っていることに耐えてもらわないといけない、という組み合わせを強いることになります。 こういったことすべてが呼び覚ますものと言えば、それは、赤ちゃんの頃の遊び相手、すなわち、母親を、思い出や転移を通して、純粋に懐かしむ感じで探し求めることですね。クライアントは、このような治療を経験するためには、割と健康な部分(これは、こういった不満にも、耐えられる、ということです)も持ち合わせていなくてはならないに、違いありません。もちろん、それと同時に、この手続き全体よってセラピストが手にするのは、治療に対する権威であるということですし、この治療の権威は、対抗感情転移に影響しますし、2重にセラピストの洞察が必要になってきます。

 

 

 

 

 

 大人の場合は、転位が起き辛い治療設定が必要だ、とするのがエリクソンの主張のようですね。でも、それでも転移が起きてしまうのも、セラピーです。ですから、セラピストは、幾重にも内省と洞察が必要です。

 これはセラピストの祈りでもありますね。


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加藤周一さんの「信じること」

2015-12-25 03:59:30 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
眼に見えるモノ(偶像)を追いかけても、必ず、幻滅を味わうことになる
  自分はあくまで「自分持ち」。相手の力で自分を確かにしようとしても、それは「できない相談」です。 p92下から10行目途中から。 &nbs...
 

 

 加藤周一さん。この人ほど切れ味を感じる頭脳明晰な人を知りません。猛烈な読書量。独立した人格。私は、繰り返し、加藤周一さんに、加藤周一さんの本に立ち帰って、自分の立ち位置を確認することにしています。加藤周一さんは、私の中では、バイブルや、マハトマ・まど・みちおさん、丸山眞男教授と同じです。

 加藤周一さんの本を読むと、非常に難しいことを、誰にでも分かるように、日常的に使っている易しい言葉で、教えてくれている点に、加藤周一さんの頭脳明晰さを感じない訳にはいきません。その典型だと感じるのは、代表作の一つ『日本文化における時間と空間』です。今回、『加藤周一コレクション1 科学の方法と文学の擁護』のなかから、「科学と文学」を読んでいまして、加藤周一さんの頭脳明晰さを改めて感じています。

 この作品では、「知る」「信じる」『感じる」という、極めて日常的な言葉を使って、認識論から、政治的な態度決定に至るまで、幅広く、非常に深いことを論じてくれています。今晩はそのなかでも、「信じる」ことについて触れたいと思います。

 「信じる」ことについて、加藤周一さんは、「私・私たち・みんな」という1節を書いています。エリクソンが、≪私≫ I と≪私たち≫weを論じたことにも通じる、とっても大事なところです。加藤周一さんは「信じる」時には、必ず主語が必要だといいます。そりゃそうでしょ。何よりもまず、「信じる」のは、「私」ですね。でも、「私」が信じるだけでは足りません。「信じる」ことは、ですから、イエスや、パウロや、親鸞さんや法然さんがそうしたように、「伝える」こと、「分かち合う」ことと、ほとんど一緒です。「信じる」最初は私でも、それは分かち合う「私たち」がなくてはなりません。

 それから、「信じる」ことは、「知ること」と異なり、ことの全体性に関わります。「知ること」、特に科学的な「知ること」は、ことの一部、細かく切り刻んだ、ほんの一片のみを知るにすぎません。それに対して「信じる」は、全体が相手です。「あなたを信じます」と言えば、全人格を信じることになりますでしょ。何かの価値を信じる場合でも、その価値全体を信じることになります。ですから、日本の社会を変えたいと思ったら、知るだけでは足りません。知ることは確かに大事ですが、知るのはいくら知っても一部にすぎませんからね。加藤周一さんは、私どもの次の様に教えて下さいます(p.111)。

 

 

「もし世界を解釈することではなくて、世界を変えることが大事だとすれば、世界を変えるためには、信じることが大事だ。」

 

 

 

 


 

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認知行動療法は、意識がミソ

2015-12-25 02:35:01 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
朝日新聞、「おまえもか?!」
   朝日新聞が12月23日(火)の朝刊で、「本社慰安報道 第三者委員会報告書」を掲載しています。権力の行動をチェックするためには、新聞が権力批判をする...
 

 ヴァン・デ・コーク教授は、落ち着きを持たらす催眠は、トラウマ治療に役立つはずだ、とおっしゃります。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.222の、第4パラグラフから。今日からCBT 認知行動療法です。

 

 

 

 

 

 認知行動療法(CBT)

 訓練の最中は、たいていのサイコロジストは、認知行動療法CBTを習います。CBTは、蜘蛛が怖い、飛行機が怖い、高い所が怖い、などの恐怖症の人を治療するために最初に開発されたもので、クライアントが、自分の理に適わない恐怖と無害な現実と比べるのに役立ちます。クライアントは、徐々に、理に適わない、いろんな恐怖を脱感作するときに、自分が一番怖いことを思い出したり、いろんな物語やいろんなイメージを使ったり(イメージ暴露)、不安になる状況に(だけど、実際は、安全な状況に)さらされたり(体内暴露)、たとえば、ファルージャの道での戦闘に加わった、戦闘由来のPTSDのケースでは、コンピュータでシミュレートした状況にされされたり、します。

 

 

 

 

 

 認知行動療法は基本が暴露療法です。怖かった状況は、無意識に避けてしまいますけれども、その状況に意識的にさらされる、という逆説をやる訳です。意識的にやる、と言うのが味噌ですね。

 

 

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