エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

≪垂れ流し≫だけの人生

2015-12-17 08:58:35 | アイデンティティの根源

 

 

 
日本育ちの自由民権運動の中のcivil rightと日本国憲法
  NHKで、自由民権運動が、過去の東北と、現在の東北の被災地の民主化に繋がっていることを教えてくれる番組を見て、感銘を受けました。ここに少しご紹介しようと思いま...
 

 ルターのお下品極まりない態度も、心の在り方を表わすものでした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、第1パラグラフの、下から5行目途中より。

 

 

 

 

 

とどのつまり、ルターの卑猥さは、躁うつ病になる本質も示してたんですね。躁うつ病の本質は、外側にいる特定の敵を、偏執病的に容赦なくこきおろすのに、自分自身は損の1つもなし、いわば、≪垂れ流し≫だけという状態を保ちつづけなくてはなりません。

 

 

 

 

 躁うつ病の本質が、吐き出すものだとエリクソンは言いますね。それがお下品と卑猥さになったらしい。

 不満タラタラ、非難タラタラ、下劣タラタラ、軽薄タラタラの人生は、こうして≪垂れ流し≫だけの人生になります。

  

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治療と言う名の冒険スピリッツ

2015-12-17 08:08:22 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
希望のバランス
  子どもや弱い立場の人を世話することは、同時に、文字通り本来の意味において、礼拝を司式することになります。お寺や教会の儀式に参加することが礼拝(仏教では「らいは...
 

 関係性を見ていく見方は、何気ない日常生活こそが、礼拝になることを教えて下さる、とても大切な視点です

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p99の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 この本は、ウィーンで私がしたトレーニング、特に、治療という冒険のスピリットについて、いつくか記したところからはじめましたよね。私は、ニューヨークで1979年に行われた国際精神分析学会に、もう一回触れることで、締めとするのが七晩いいと思います。次世代を育むこと(1980(c))について、私がお話してから、感情転移とライフサイクルについてのパネルディスカッションにも参加しました。パネラーは、ピーター・ナウバウアー、ピーター・ブロス、それから、パール・キングでした。三人はそれぞれ、子どもの頃の感情転移のパターンやら、思春期の頃の感情転移のバターンやら、大人になってからの感情転移のパターンやら、について話をしました。大人のなってからの感情転移のパターンには、中年期や老年期のパターンも含まれました(ピーター・ブロス、ピーター・ナウバウアー、パール・キング、1980)。私はここでは、二三のコメントだけ、ゆっくり述べるにとどめましょうね。

 

 

 

 

 エリクソンのコメントを、私どももユッタリとした気分で楽しみにしましょうね。

 

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ロウソクの火を囲んで 改訂版

2015-12-17 07:12:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
その男、1人を嫌って、結局孤独に舞い戻る
   情緒的に0歳の大人。学校の先生、大学の先生、病院の先生してても、そういう人に少なからず出会います。 p.89第2パラグラフ。 ...
 

 クリスマスもあと一週間。アドベントの準備を様々にされている方も、おられることでしょう。クリスマスは、キリストのおミサ。キリストの誕生を祝う日(実際の誕生日ではない、とするのが定説)。クリスマスでも、誕生会でも、テーブルに、床に、ロウソクの火を灯します。クリスマスにロウソクの火を灯すのは、キリストの誕生は、「光」の復活だからです。あるいは、誕生した人、ひとりびとりの人生に「光あれ」と願うからでしょう。

 私どもがロウソクの火を灯すのは、ですから、そういう「光」を大切にする気持ちの表れですね。光は、明るさと温もりを、私どもに届けてくれますイエス・キリストの誕生が、私どもひとりびとりに、計り知ることのできない、圧倒的で、しかも、静かな、明るさと温もりを届けてくれるのに、同じです。

 キリストのおミサでは、ですから、テーブルや床に灯したロウソクを中心に、人々が集まり、イエス・キリストの誕生をお祝いします。カトリックでは、そのロウソクの火を囲んで、式文を唱和し、「みなさんのために」、「司祭のために」、お祈りが捧げられます。あるいは、そのロウソクの火を囲んで、パンとブドウ酒を、皆でいただきます。イエス・キリストの「最後の晩餐」を模したサクラメント(典礼、礼拝)をする場合も多いでしょう。私ども無教会は、その種のサクラメントは致しません。ロウソクの火は、イエス・キリストの「光」を象徴するものですから、「みなさん」に対しても、「司祭」に対しても、「牧師」に対しても、ロウソクの火は、超越した存在になります。

 こうして、イエス・キリストが、私どもを≪信頼≫する≪信頼≫が、人と人とに分かち合われます(異論のある方もあるでしょうが、今は、その点は割愛)。≪信頼≫は、こうして、人智や組織を≪超越≫する存在があって、初めて、伝え合うことが可能になります。

 それだけではありません。「最後の晩餐」を模して、パンとブドウ酒を共にするサクラメント。これがコミュニケーションの語源なんですね。コミュニケーションの語源は、このサクラメントで「食事を共にすること」なんですからね。ですから、ろうそくの火を囲んで、初めてコミュニケーションも可能になる、という訳です。換言すれば、人々は、≪超越≫があって初めて、気持ちや思いを伝え合うことが出来る、という訳ですね。

 

 人間にとって、最も根源的で、最も日常的でもある、≪信頼≫とコミュニケーションは、真の意味では、いずれも、≪超越≫があって、初めて可能なのだ、ということは、知っておくだけの価値がありますよね。

 ろうそくの火(や、それを模した灯り)を街のそこここで目にする季節。あなたも、そんな灯りに目が留まりましたら、ろうそくの火を囲むことの意味を、思い出していただけましたら、実に、アーメン、アーメン、幸いなことです。


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怖さも馴れれば、怖くない

2015-12-17 00:37:27 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 
日本育ちの自由民権運動の中のcivil rightと日本国憲法
  NHKで、自由民権運動が、過去の東北と、現在の東北の被災地の民主化に繋がっていることを教えてくれる番組を見て、感銘を受けました。ここに少しご紹介しようと思いま...
 

 発達トラウマは、強盗に似ています。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.220の、第4パラグラフ、8行目途中から。

 

 

 

 

 

このプログラムが、カリフォルニア州オクラホマで始まったのは、1971年に、空手5段の女性がレイプされてから、後のことでした。武器がなくても人を殺せそうに思える人に、どうしてこんなこと起きたのか、と、いぶかしがく感じて、その女性の友人たちは、その女性は恐怖のために、空手が使えなくなってたに違いないと結論づけました。拙著の言葉で申し上げれば、この女性の物事を処理する働き、すなわち、前頭葉が働くなくなって、身体が固まっていた、ということでしょう。この強盗プログラムのおかげで、女性たちが学んだことは、「ゼロ・アワー」(軍隊用語で、攻撃された瞬間のこと)、すなわち、危険な瞬間に繰り返しさらされることで、身体が固まって動けなくなることを繰り返し再体験して、恐怖を、積極的に戦うエネルギーに変えていけるようになります

 

 

 

 

 

 なかなか実用的、実践的ですね。強盗プログラムは、脱感作法のプログラムらしい。怖くて身動きが取れないような場面に繰り返しさらされることによって、ふつうは怖さで身動きが取れない状況でも、能動的に対処できるように、身体を馴らしていくみたいですね。

 

 


 

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