エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

冒涜の1つの証明、 「ねばならない」が強い強迫神経症の人

2015-12-20 10:59:22 | アイデンティティの根源

 

 

 
学問の自由と良心の自由
  北星学園が、脅迫に屈せず、人事で自由な判断をすることになりました。昨日(12.18, 2014)朝日新聞で報じられていましたね。これは「学問の自由」にとって、...
 

 神様を日々冒涜している人って、具体的には、どんな人なんでしょうか?

 Young Man Luther 『青年ルター』p.246の、第3パラグラフより。

 

 

 

 

 

 

 私どもはすでにルターに言葉をいくつか引用してきましたね。ルターの言葉って、誓いみたいに、神と冒涜がショートして火花を上げてるみたいでしょ。たとえば、モーセみたいに話す、素性の怪しい者ならば、イエスのオバケでも、殺せ、って薦めますでしょ。この話をちょっと好意的に見れば、人の想像力を刺激する、人受けしやすい教え、って考えられるかもね。でもどうでしょ、次の言葉からは、分類上、強迫性神経症の症状に見えるものも、現実にはありますよね。

 

 

 

 

 偽の「ヘボなクリスチャン」は、大概、心理的課題が深刻で、しかも、それをホッタラカシにしている人であることが、多いみたい。ですから、精神疾患の場合が少なくないんですね。

 今日のエリクソンが教えてくれているみたいに、強迫性神経症の場合も少なくありません。なんせ、あんな怯えた表情でも、「毎日facebookに載せなきゃ」と思うくらいなんですから、かなり強迫性が強い、と言えますね。

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#子どもをハッキリ肯定する自ら関わろうとする関係 #互恵的関係 #言葉よりも態度と雰囲気で

2015-12-20 10:00:31 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
褒められれば天にも昇り、貶されれば地にすぐ落っこちる、くっつき虫人生
  最も愚かしい母親は、子どもを自分の子分か奴隷のように、オーバーコントロールする母親。それはまるでウワバミです。   ...
 

 アンナ・フロイトが言う「売れ残っている初版」とは、タッチであり、くっつくこと です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p100の、8行目途中から。

 

 

 

 

 

幼い頃に、お母さん、お父さんといつも一緒にいたいと思う気持ちが、いつまでの消えない似姿になって,時として「人に移る(転移する)」場合、忘れてはならないのは,たとえば、お婆ちゃん、お爺ちゃん、ご近所の人ら、医者や教師ら、といった、親以外の特定の大人を、子ども等は、親以外との出会いを,喉から手が出るほど望んている、ということです。このように、子どものクライアントが探し求める相手を、「対象関係」(すなわち、子どもが大事に思う気持ちに、十分に値し、応答してくれる大人と子どもの関係)と一つ覚えに呼ばれる,子どもと大人の関係は,幾世代の人々すべての命が掛かっている,あの,少しの曖昧さもなく,ハッキリと「相手を肯定しあう,自ら関わろうとする,互恵的な関係」が,必ず含まれなくてはなりません。

 

 

 

 

 

 ここは,私自身が誤訳でしたね。

 西平直さんとか,人のことばかり言ってられませんでした。

 ここは,「純化された関係」では不十分でした。「キッパリ相手を肯定しあう互恵的な関係」と改めます。

 子どもを「ほめています」と母親がと言っても,サイコセラピストの私に言わせれば,大概,案外不十分すぎる場合が実に多い。時々しか褒めないので,総体では,「けなしている」になってる場合が多いからです。

 ですから,「ハッキリ」,「キッパリ」,「繰り返し」,「何度も何度も」,「しつこいぐらい」肯定することが大事。それも,子どもから言われるから,(しょうがないから),関わるんじゃなくて,大人の方から肯定的に関わることが大事です。「肯定する」と言っても,たいてい「ことば」よりも,「態度」「雰囲気」の方が,ウソが少ないことを,子どもだったら,大概,案外,承知しています。

 

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神の創造 毎日の礼拝

2015-12-20 04:16:42 | エリクソンの発達臨床心理

 

 
時空を超える黄金律
  相手に届くのは、悦んで与える時だけ。 p233ブランクの後。      頭の中で...
 

  神様は創造をする存在です。私どもも、創造された存在でしかありません。もしも、私どもが神の創造に参加できることがあるとすれば、それは神様の創造と同じ形になるしかありません。それ以外は、創造ではありません。偽物です。当世はやりのウソとゴマカシです。

 ジェームズ・ヒルマンが、神様の創造について次の様に教えてくれています。

 

 

 

 

 

神様は、いつでもどこにでもおられます。神様は全てをご存知で、全てを大事にしてくださいます。神様は、世界の隅から隅まで、神様の命をみなぎらせてくださっています。じゃぁ、創造って、どうやったんでしょうね? …神様が創造するのに、ご自分のことは、いったん脇に置かなくてはなりませんでした。…人間のレベルで申し上げれば、自分のことはいったん脇に置いとくと、人がイキイキするのに役立つ、という訳ですね(上の写真の本のP31から)。

 

 

 

 

 神様の創造の本質が語られていて、ジェームス・ヒルマンの学者としても、臨床家としても、超一流であることが、ハッキリ分かる所ですね。

 神様の創造は、ご自分のことは脇に置いとくことで初めて可能だったわけでしょ。私どもも、自分のことは脇に置いとく時、人がイキイキすることが出来ますでしょ。

 ですから、それ以外は、偽物。ウソとゴマカシに決まってます。

 私どもも、日々の生活の中で、自分のことは脇に置いておくと、神様の命がイキイキと輝き、人もイキイキすることができると、ハッキリ分かりますよ。そうすると、毎日が礼拝になります。

 あなたも、神様の創造に参加してみませんか?

 

 

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発達トラウマと物語

2015-12-20 02:32:04 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
学問の自由と良心の自由
  北星学園が、脅迫に屈せず、人事で自由な判断をすることになりました。昨日(12.18, 2014)朝日新聞で報じられていましたね。これは「学問の自由」にとって、...
 

 強盗プログラムは、劇的効果がある場合もあるらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.221の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 

 トラウマを負わされる元になっているいろんな記憶と折り合いをつけること

 

 人々がトラウマを負わされる元になっているいろんな出来事を隠すことか出来ないのは、自分に何があったのかが分かり、戦っている眼には見えない悪魔たちのことが分かり始めるまでです。伝統的な心理療法では、物語を作ることに集中しますし、その物語は、何故、自分はこのように感じるのかを説明するものです。それは、1914年、「記憶、繰り返し、『出来た』と納得できるまで受容すること」で、ジグムント・フロイトが、その物語を取り戻したのと同じです。「クライアントが、(トラウマを)、実感があって、やり取りのできるものとできるまで、生き切ると、私どもセラピストは、セラピーを終結しなくてはいけません。セラピーは、主として、トラウマを過去のことばに翻訳し直すことです」。物語を語ることは、大事です。物語がなければ、記憶は固まったままでしょ。記憶がなければ、事が違っているかもしれないなんて考えもできないでしょ。ところが、第4部で見てきたように、トラウマを負わされるもとになった出来事について物語っても、トラウマのもとになる記憶が悪さをしなくなるとは限りません。

 

 

 

 

 

 子どもの発達トラウマの場合、言語化するとは限らないので、物語と言っても、ことばそのものではない場合がありますよね。ヴァン・デ・コーク教授が、ここで物語を語っても、トラウマのもとになった記憶が悪さをしないとは限らないといいますでしょ。今翻訳しているのが、第5部ですが、まだ第4部は、まだ翻訳が出来てません。

 私の経験から申し上げれば、言葉でじゃぁなくても、何某かの表現、象徴でも、物語に相当するようなものがないと、治療は終わりにならない感じです。

 

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