エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

悪魔は、見せびらかすのがお好き

2015-12-28 08:18:55 | アイデンティティの根源

 

 

 
汝の眼の梁を取れ!
  現代人は「偽物」と言う名のアヘンの常用者。そのアヘンのおかげで、1人ぼっちで、バラバラである自分自身の痛みを和らげてもらってる。 p94の第2パラグラフ。...
 

 神様を日々冒涜している人の、つづき。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.248の、第2パラグラフ、10行目途中より。

 

 

 

私どもには分かりません。しかし、抑圧された悪を擬人化することが、あの時代に流行っていたことをどのように評価するかは、中世のカテドラルや絵画に描かれている悪魔を研究すれば分かります。こういった、いろんな悪魔は、自分のバカデッカイ身体のブツを見せびらかしてますね。

 

 

 

 

 

 中世ヨーロッパでも、今の日本でも、悪魔は、身体のブツを見せびらかすのがお好きです。

 中世ヨーロッパの悪魔も、顔出しやケツ出しや、一物を、見せびらかすのがお好きでした。

 今の日本でも、悪魔、神様を日々冒涜する人は、顔出しして、見せびらかすのがお好きです。お願いですから、ケツ出しまではやらないでね(冗談になりますように)。

 たぶん、あの顔出しの方は、現代の悪魔付き、依存症、の1つ、ネット依存症でしょうね。

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本物の続き セラピストの絶対条件?

2015-12-28 07:54:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
自分が自分らしく生きるのは、≪やり取り≫の中で相手がその人らしく生きられる時だけ
  エリクソンによれば、男と女は身体が違うから、この世の中での体験が違ってきます。 p235の下から9行目途中から。  &nb...
 

 本物は、役割が逆転する時の2人である、と言えそうですね。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p102の、14行目途中から。

 

 

 

 

 

 キングは、高齢者のクライアントとの関係においても、複雑な対抗感情転移があることを忘れていません。「積極的なものでも、消極的なものでも、対抗感情転移が生じてしまう、いろんな気持ちが、高齢者のクライアントに対して、非常に強烈に生じますから、そういう高齢者に会う場合に、セラピストは、自分の年老いた親に対する、未完のいろんな気持ちが引き出されるかもしれませんよね ですから、セラピストが、このような高齢者のセラピーをするためには、自分の親に対するいろんなきもちに折り合いをつけとかなくちゃぁ、なりませんし、自分の人生の舞台と自分が次第に年を重ねていくことを、健全に、自分にまとまりを付ける感じで、受け容れていかなくっちゃぁ、いけませんね」(p.185)。

 

 

 

 

 

 キングもひとかどの臨床家ですね。投影、感情転移のことがよく分かればわかるほど、セラピストは次第に腕を上げることが出来る訳ですからね。転移や感情転移を起こしていることも知らないで、人のことを、とやかくいう人に対して、聖書では「自分の眼にある丸太のような梁を取りなさい」、日本語で言えば、「自分の頭のハエを追いなさい」って言いますでしょ。自分のことも満足にできないのに、そういう人に限って…ということは珍しくないでしょ。あの国会前の散歩の人みたいに。

 自分のいろんな気持ち、特に親に対する非常に消極的な気持ちに折り合いをつけていることが、一定程度の実力を備えたセラピストの絶対条件です。でも、これって、セラピストは特にそうですけれども、セラピストの限った話じゃぁないですね。まともな仕事をしようと思ったら、親に対する消極的な気持ちを受容してないとね。

 

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来年の年賀状のことば

2015-12-28 03:03:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
お勉強より、まず遊び
 お勉強より、まず遊び。お勉強も、その始まりは遊びですからね。 こう申し上げると、すごく抵抗される感じになります。ギリシャの昔から、学校はスコレ、暇だから、生産に直接結びつ...
 

 

 年賀状がようやく印刷が終わって、先ほど郵便局に持ってきました。今年は出足は早かったけれども、杉の子会等で遊んでいて、書きおわりは遅かったですね。

 

 ここ10年くらい、新約聖書のコイネ(古いギリシャ語の話し言葉)を、自分で意訳して、年賀状のの言葉にしています。それもこれも、ギリシア語を教えて下すった、武藤陽一先生や、一緒にギリシア語を学んだ大塚道也さん等のおかげです。

 今年は、どの聖句にしようか、2~3週間、ああでもないこうでもない、と決めあぐねていましたけれども、西村秀夫先生のことをこの前にブログで書いて、西村先生が好きだった聖句にしようと思いました。それは、西村秀夫先生の恩師の矢内原忠雄先生が、聖書集会のメンバーを募る時の決まり文句から来ているものらしい。それは、マタイによる福音書 第6章33節です。新共同訳では「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 」です。

 ここを私は、つぎのように超訳しました。

「神様が、損も厭わず、し始めた、嬉しやり取り、心せよ。

さすればこれら、必要は、全て満たされ、あぁ不思議!」

 

 

 

よろしくお願いいたします。

peace !

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それほど効かない CBT

2015-12-28 00:59:07 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
汝の眼の梁を取れ!
  現代人は「偽物」と言う名のアヘンの常用者。そのアヘンのおかげで、1人ぼっちで、バラバラである自分自身の痛みを和らげてもらってる。 p94の第2パラグラフ。...
 

 暴露療法は、恐怖や不安などの単純な感情を収める時には効果的ですが、「自分はダメだぁ」と言った、価値判断が入る気持ちには、効果が限定的です。しかも、いま、発達トラウマ障害(DTD)だらけのニッポンで、問題なのは、恐怖や不安よりも、「自分はダメだぁ」というような価値判断を伴う気持ちなんですね。ですから、そのセラピーは暴露療法では、全く足りない、ということです。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.223の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「蜘蛛が怖い」、みたいな、理屈に合わない、いろんな恐怖に対しては、効果があるんだけれども、CBTは、トラウマを負わされている人に対しては、それほど効果がありませんね。特に子どもの頃の虐待されている人に、効果が出ません。大体、調査研究を終えたPTSDのクライアントの3分の1くらいの人に、CBTは、限定的に効く、という程度です。CBT治療を終えた人は、PTSDの症状は、ほとんどなくなるのが普通ですけれども、完全にPTSDから快復する人って、ほとんどいませんよ。CBT治療が終わり、症状がなくなったPTSTのクライアントは、健康や仕事やメンタル・ヘルスの面で、相変わらず、しつこい課題が残りますね。

 

 

 

 

 

 CBTって、あんまり効かないみたいですね。東大で盛んにCBTを宣伝している下山晴彦さんも、これじゃあ、困りますね。なんせ、今は発達トラウマ障害(DTD)だらけのニッポンなんですから、その治療の効果があんまりないんじゃぁ、CBTは、やんない方が良いですね。

 

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