エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

人間にとって根源的に大事なことは、何なのか? 復活するために

2015-12-02 22:37:04 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
科学技術と指導者
   「人間皆兄弟」、1つの人類という最も単純で最も包括的な物差しを教えを教えてくれる指導者に従う時に、道徳と価値と倫理が一つになる、という点だけは、ハ...
 

 発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもと日々付き合っていると、タッチがいかに根源的に大事なのかが分かります。1人を抱っこしてたら、2人、3人と、子どもがおんぶをしてもらいたくて、背中に覆いかぶさってくるんですからね。文字通り、人間にとって根源的に大事なことは何なのか? を、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもから教えてもらっている毎日ですよ。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.217の、絵とそのキャプション。

 

 

 

 

 

 レンブラント・ヴァン・リジン : 病んだ者を癒すキリスト  人に元気をプレゼントする身振りは、世界中でそれと分かりますし、心と心が響き合うタッチには、人を癒す力がある、ということを示しています。

 

 

 

 

 

 いま翻訳したところは、上の写真のレンブラントの絵のキャプションです。タッチがいかに根源的に人の癒しと発達に必要なことかが分かります。キリストが病んだ女の人の両手を取り、立ち上がるのを助けている、上の絵は、まことに象徴的ですね。なぜなら、これがキリスト教で普通は「復活」と言われていることを示すからです。「復活」と言ったら、なんか深遠で、あるいは、真っ向臭いと感じるかもしれませんね。止まった心臓が、再び動き出し、焼かれた体が、生身の身体にするのが復活だ、と誤解している場合があまりにも多い。

 でもね、本来の「復活」、ギリシア語でαναστασις アナスタシス、とは、「横になっているもの、しゃがんでいる者が、立ち上がる」、という意味がもともとの意味なんです。このレンブラントの絵も、しゃがんでいる女性が、イエスに両手を持ってもらって、立ち上がっている場面でしょ。

 これは体が立ち上がるばかりではなくて、元気のなかった人が、元気を取り戻すこと、「ダメだぁ」と思っていた人が、「何とかなるかもしれない」、「大丈夫かも」と思えることとパラレルなんですね。

 ヴァン・デ・コーク教授も、その辺の事情を百も承知だからこそ、レンブラントの絵をここに挿入したに違いありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自信までなくした「惨めな」ルター

2015-12-02 07:03:26 | アイデンティティの根源

 

 

 
精神分析で人を大事にすることも・・・
  人を大事にすることの一つの結果が、満足のいくセックスに繋がる、という至極当たり前のことが、技術に頼りすぎていると、分からなくなっちゃうんですね。 ...
 

 ルターは社会的な名声を得た時、絶望のどん底でした。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、第4パラグラフから。

 

 

 

 

 

 臨床的に言って、ルターの苦しみが始まったのは、強烈な不安を伴う心臓病からでした。「心臓がブルブルしちゃう」とルターは言いました。ルターは脂汗(「悪魔の風呂」と言うルターに昔からあった症状です)をかいて、絶叫するひどい発作がありました。ルターは死が近いと確信し、このような運命を決するような瞬間に、信頼も義もないと感じていました。特に、あるいは、その背後に、ルターは落ち込み、自尊感情も失くしてたんですね。「私のためのお祈りください。見捨てられた虫けらみたいに惨めで、怯えて悲しんでいる私のために」。

 

 

 

 

 

 社会的の認められた時、ルターは様々な病気に苦しんだみたいですね。しかも、自信まで失ってしまいました。

 何故なんでしょう?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エロスとロゴス

2015-12-02 05:51:09 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
道徳と価値と倫理が一つになるとき
  熱狂主義は、黄金律でさえ、排除の論理と化してしまう。恐ろしいことですね。 p226第4パラグラフ。   &n...
 

 大人が責任のある態度を取れるのは、「人間を上下2つに分けるウソ」を克服し、自分の組織を超える価値のために生きることが出来るからです。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p95の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「エロス」という言葉が、この文脈の中で、もう一度強調するのは、精神分析理論は、あらゆることを内に包み込み、一番うまくいけば、森羅万象を大事にする気持ちに貢献することになる、本能的な力を仮定するところから始まっている、ということです。しかし、また、エロスという言葉が強調するのは、人生にまとまりをもたらすもう1つの原理であるロゴスを、私どもは完全に無視しがちである、ということです。このロゴスと言う原理は、事実を知的に形作ることをコントロールするもので、今の時代にあっては、ますます重要になっているテーマです。今の時代、科学技術が、人類史上初めて、真に宇宙的で、共に計画した物理的環境を、大まかな形で示しているのです。

 

 

 

 

 精神分析は、もともと、狭い組織を大事にすると言うより、神羅万象全てを大事にできる本能的な力を仮定しているものだといいます。エロスは、一般に誤解されているのとは異なり、どうやら普遍的な価値、アガペーに通じるものみたいですね。でも、エロスには、世界を知的に捉えるロゴスを忘れがちである、という短所もあるようです。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユングが教えてくれる、本当の自分が育つとき

2015-12-02 02:16:41 | エリクソンの発達臨床心理

 
大川小学校の「事件」には、今の日本の学校教育の病理が現れています
  NHKで大川小学校の「事件」の検証番組が再放送されていましたね。http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/1128...
 

 本当の自分は、心の中の小さな囁きに従うことによって育つことが出来ます。このブログでも繰り返し、お伝えしている内容です。その囁きは、voice 声、だとか、vocation 呼びかけ、だとか言います。

 ユングもその著作集の17巻のP175の、下から5行目途中から。

 

 

 

 

 

本物の人格はいつだって、呼びかけですし、その呼びかけを、神様を信頼するように、信頼することです。たとえ、人が「その呼びかけなんぞは、単なる気分ですよ」と言っても、信頼することです。ところが、この呼びかけがまるで神様の法則のように働くんですね。ですから、その呼びかけから逃れることなどできません。わが道を行く、たくさんの人が破滅するという事実は、その人がその呼びかけを聴いていたからでは全くありませんからね。人は自分自身の法則に従うことになってんですからね。それは、あたかも、1人の悪魔が、人に、「新しくて、素晴らしい道を生きなさい」と囁いているかのようですよ。この呼びかけを聞いた人ならだれでも、内なる人の声を聴いたんですね。その人は「呼びかけられ」たんです。ですから、伝説によれば、その人には自分の悪魔がいて、悪魔に相談に乗ってもらったり、その悪魔の命令に従ったり、しなくてはなりません。

 

 

 

 

 人が無視し、あるいは、無視する様に唆す、自分の内なる呼びかけに従って生きること、そして、その呼びかけを自分が生きていくうえでの自分自身の法則=オートノミー自律とすることが、人には大事なわけですね。エリクソンは、ユングのここでの議論を、自分のライフサイクル論の中に生かしています。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お薬よりも、手当てとタッチ。

2015-12-02 01:01:41 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
道徳と価値と倫理が一つになるとき
  熱狂主義は、黄金律でさえ、排除の論理と化してしまう。恐ろしいことですね。 p226第4パラグラフ。   &n...
 

 一緒に遊ぶことには、計り知れない価値があります。子どもはそれを実によく承知しています。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.217の、5節から。

 

 

 

 

 

5 触れること

 

主流のトラウマ治療は、怖がっている人々が、自分の感覚や感情を安心して体験出来るよう助けることには、あまり注意を払ってきませんでした。セルトニン再取り込み阻害剤(訳注:SSRI 抗うつ剤)、レスペリドン(訳注:統合失調症治療薬)、セロクエル(訳注:統合失調症治療薬)のような薬こそが、人々が感覚世界に対処する方法にますますなりました。しかしながら、自分が苦戦していることを落ち着かせる一番よくある方法は、タッチされることですし、ハグされることですし、身体を揺らされることです。タッチなどをされたら、感覚が研ぎ澄まされますし、ありのままで、安心して、守られている、等と感じることが出来ますよね。

 

 

 

 

 

 精神疾患も、お薬中心の治療が主流です。しかし、お薬が効かない、依存症や発達トラウマの治療は、そもそも、医者も製薬会社が、無視しがちです。ですから、医学教育の中で、依存症や発達トラウマは、そもそも、ほとんど習わないらしい。

 お薬がある統合失調症やうつ病でさえ、タッチが大事らしい、手当てが大事らしい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする