発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもと日々付き合っていると、タッチがいかに根源的に大事なのかが分かります。1人を抱っこしてたら、2人、3人と、子どもがおんぶをしてもらいたくて、背中に覆いかぶさってくるんですからね。文字通り、人間にとって根源的に大事なことは何なのか? を、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもから教えてもらっている毎日ですよ。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.217の、絵とそのキャプション。
レンブラント・ヴァン・リジン : 病んだ者を癒すキリスト 人に元気をプレゼントする身振りは、世界中でそれと分かりますし、心と心が響き合うタッチには、人を癒す力がある、ということを示しています。
いま翻訳したところは、上の写真のレンブラントの絵のキャプションです。タッチがいかに根源的に人の癒しと発達に必要なことかが分かります。キリストが病んだ女の人の両手を取り、立ち上がるのを助けている、上の絵は、まことに象徴的ですね。なぜなら、これがキリスト教で普通は「復活」と言われていることを示すからです。「復活」と言ったら、なんか深遠で、あるいは、真っ向臭いと感じるかもしれませんね。止まった心臓が、再び動き出し、焼かれた体が、生身の身体にするのが復活だ、と誤解している場合があまりにも多い。
でもね、本来の「復活」、ギリシア語でαναστασις アナスタシス、とは、「横になっているもの、しゃがんでいる者が、立ち上がる」、という意味がもともとの意味なんです。このレンブラントの絵も、しゃがんでいる女性が、イエスに両手を持ってもらって、立ち上がっている場面でしょ。
これは体が立ち上がるばかりではなくて、元気のなかった人が、元気を取り戻すこと、「ダメだぁ」と思っていた人が、「何とかなるかもしれない」、「大丈夫かも」と思えることとパラレルなんですね。
ヴァン・デ・コーク教授も、その辺の事情を百も承知だからこそ、レンブラントの絵をここに挿入したに違いありません。