ジャーナリズムの精神、スピリットは、市民の知る権利を保証することです。これは、ジャーナリズムの精神、スピリットであるばかりか、ジャーナリズムの初歩、いろはです。
この前提が、最近では、大きく崩れているのが、日本のジャーナリズムの悲しき現状です。テレビでは、TBSがひとり気を吐いている感じです。報道特集の金平さん、ニュース23の岸井さん。フェイスブックでは、野中ともよさんくらい。あとはジャーナリストではないのかもしれませんが、村上さとこさん、阿部憲一さんが、いつも大事な情報を、フェイスブックにアップしてくれています。
そんな中で、元最高裁判事で、今現在は明治の法科大学院で教鞭をとっておられる瀬木日呂志さんが、ジャーナリストたちに、檄を飛ばしているのが印象に残ります。今のニッポン、自分が得するためには、手段を選びませんから、司法にしても、ジャーナリズムにしても、本来なら権力を批判する立場の人達も、おしなべて節操がありません。瀬木さんは『ニッポンの裁判』等を表わして、いかに司法が、市民の人権に反する組織かを、赤裸々に明らかにしてくれています。その中で、司法報道にも触れていて、ジャーナリズムの檄を飛ばしておられます(p.201)。傾聴に値する言葉だと感じましたので、シェアしますね。
「メディア、ことにマスメディアの記者の方々にも、衷心からご忠告申し上げたい。権力を疑い、批判する心を、市民の代理人としてその「知る権利」に奉仕し、「報道責任」を果たす本来の役割を、そして、ジャーナリズム、ジャーナリストの本来のあるべき気概を、あまりにも忘れてしまっていないかと。」