エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

御言葉と音楽の力

2015-12-07 08:29:11 | アイデンティティの根源

 

 

 
日本の公教育の病理 その6 組織に対する偶像崇拝と≪超越≫する価値
  日本の学校が「ウソとゴマカシ」の組織と化している最大の原因にして、根本の原因は、エリクソン流に申し上げれば、idiolism 偶像崇拝です。それは「他者を欺く...
 

 

 恵みと律法の区別が出来ないこと、「したくてたまらないこと」と「ねばならないこと」の区別が出来ないこと、それは、日常生活がマンネリになっている証拠、ルーティーンになっている証拠です。礼拝が、毎日礼拝から、日曜礼拝に「堕落」してしまっているからです。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.244の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 ルターが良い「御言葉」と、音楽に耳を欹てることは、ルターの、唯一の心の薬でした。もちろん、イエス・キリストに対する信頼が、初めの薬でした。もし、イエス・キリストを信頼してもダメならば、激しい怒りが役立つかもしれないと思ったのでしょうね。好色な気持ちが求めるみたいに、なまめかしい思いが湧いてくる場合もありました。

 

 

 

 

 

 ルターの、イエス・キリストへの信頼がいかに揺らいでいたかが分かります。無意識の暴力を、十分には解決していなかったからでしょう。ルターにとってさえ、課題は、無意識にありました。

 でもね、その課題解決法「御言葉」と音楽であったことは、非常に示唆的です。

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毎日出合う大釜 お料理コーナーではありません

2015-12-07 07:58:20 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
歪になったサルたちの「心」
  「ならず者、偽善者、オベンチャラ」が口にする、耳に響きが「良いこと」、それは100%「ウソとゴマカシ」です。たとえば、「女性が輝く社会」という、一見耳にやさし...
 

 いまどきのニッポンに大流行りの「ウソとゴマカシ」だらけの、「ウソとゴマカシ」病は、昔からある、親譲りの「≪いまここ≫のご利益、我利我利」依存症です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p97の、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 同じくらい、フロイトは人間の意識に、無意識の端っこの端っこ、すなわち、大釜がグラグラいうくらいに、人を駆り立てる気持ち、の端っこの端っこ、を宛がったことを誇ったくらいです。 人を駆り立てる気持ちのエネルギー(今世紀に、自然にあるエネルギーを変形したものとして一番知られているものです)にも、フロイトは、「同じくらいの重たい価値」があると主張しました。

 

 

 

 

 

 フロイトの1番の業績は、単に無意識を「発見」したことではなくて、無意識にある、大釜がグラグラするほどの、人が簡単にはコントロールすることなどできないエネルギーがあることと、下手をすると「大やけど」を追う大なる危険性を見出した点にこそあります。それは、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもと毎日会う中で、毎日毎日出合う、大釜なんですね。

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飛び込むときに、確かに必要な、とてつもないほどの確信と共感

2015-12-07 07:21:55 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
不信と不安のスイッチ
  比較できない価値を忘れると、人間も心無い機械仕掛けのモノになる。その典型は、お役人です。 p85の第2パラグラフ。  &n...
 

 

 ボディーワークのトレイナーのリシアさんは、相手のパーソナルスペースを確認して、そのパーソナルスペースを大事にすることから始めるみたい。 

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.218の、第4パラグラフから。リシアさんの言葉は、まだまだ続きです。

 

 

 

 

 

 「相手が『いやだなぁ』と思うところに触れなくっちゃね。ここが、一番緊張するところなんですね。そこを同じ力で触れなくちゃいけません。そこに触れると、凝り固まっていた緊張がほぐれます。一瞬ためらってなどいられません。一瞬ためらうのは、自分自身を信頼できないことなのですから。ユッタリと動くこと、注意深く、相手の心に響くようにすることは、一瞬ためらうこととは、ぜんぜん違います。相手に合わせるには、とてつもないほどの確信と共感がなくちゃできませんからね。触れ、触れられる悦びを、相手の人が自分の体に感じている緊張に、ぶつけてやるんです。」

 

 

 

 

 実にお見事ですね。私など足元にも及びませんね。私は、まだまだためらってしまいますからね。他の方法を考えてしまいますしね。でも、結局は、他に方法はないんですね。自分自身が飛び込む以外ないのです。

 リシアさんが言うように、飛び込むんで、自分の悦びを、相手の緊張にぶつけ為には、それ相当の、とてつもないほどの確信と共感が、確かに必要ですね。

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日本の今日(五)

2015-12-07 03:00:28 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
歪になったサルたちの「心」
  「ならず者、偽善者、オベンチャラ」が口にする、耳に響きが「良いこと」、それは100%「ウソとゴマカシ」です。たとえば、「女性が輝く社会」という、一見耳にやさし...
 

 内村鑑三先生が教えてくれる「成功の秘訣」 10カ条 も、実にたくさんの方々に読んで頂いたみたい。本物、真実の言葉の力ですね。

 今晩も、『旧内村全集』第19巻からの文書をご紹介したいと思います。それはいわば、「預言者的な」言葉です。p.909より。今晩も、旧字体は、現在の字体に変えています。

 

 

 

 

 

    日本の今日(五)

 汝等各々その隣に心せよ、何れの同胞をも信ずる勿れ(なかれ)、そは、同胞は皆互いに相欺き、隣人は皆互いに相誹りまわればなり、汝等は各自その隣人を欺きかつ真実を言わず、その舌に偽りを語ることを教え、悪をなすに疲れる、預言者よ、汝の住まいは偽りの中にあり。(エレミヤ記 九章四~六節)。                       (大正3年5月)

 

 

 

 

 

 大正3年と言ったら、1914年、いまから101年前のことです。当時も、ウソとゴマカシだらけニッポンだったことが、内村鑑三のこの文書から、明らかですね。バッシングの嵐であった点も、いまどきのニッポンと同じだったみたい…。

 ニッポンは、昔っから、「ウソとゴマカシ」病=依存症でした。依存症(依存の対象が、アルコールであろうと、薬物であろうと、ギャンブルや買い物や暴力であろうと、同じ)とは、ウソを言い続ける、心の病気です。脳も変化してしまいます。その点で、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもたちとも、同じです。

 いまどきのニッポンが、これだけ「ウソとゴマカシ」だらけなのは、日本人が昔から依存症だったからなんですね。

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