エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ブルース・ペリー教授のよる発達トラウマ治療方針とお寒い日本の事情

2016-11-03 02:26:23 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
ゆっくりやりましょう
   苦難の神義論  不思議を感じることには、不思議な力がありますよね。ですから、「知ることは感じることの半分も大事じゃぁ、ない」。 p360第3パラグ......
 

 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p166、1行目途中から。

 

 

 

 

 

とあるケースでは、普通のストレス反応に敏感で、些細なことが気になり、セラピストに伝えるものが、いつでもある子どももいます。些細なことを気にしすぎですと、生活するのもつらくなりますし、ストレスが減るどころか増えてしまいます。ところが、興味深いことに、その子どもに、社会的なつながりがあまりありませんと、セラピーは効果的になります。おそらく、セラピーの場が、その子が普段体験できない場になるからでしょう。大事なことは、発達トラウマ障害(DTD)の人たちのニーズは、人それぞれだ、ということです。当人が望まないのに、トラウマを話し合うような真似は慎まなくてはなりません。もしも、発達トラウマ障害(DTD)の子どもが、人の気持ちに敏感で、世話をしてくれる大人たちに恵まれたら、タイミングがよくて、一定の期間、一定の頻度のあるセラピーの時間を、その子どもが増やすこともできます。私どもは、これが、ダヴィデ派のセブンスデー・アドベンチャーの子ども達に実践されているのを見ましたし、真面な支援を受けている、発達トラウマ障害(DTD)を治療している子ども達すべてに、同じ治療方針が当てはまると感じています。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の子どもには、人の気持ちに敏感な大人が1人、必ず必要です。その大人がいる場合は、子どもは、必ず、セラピーの頻度を自分で選ぶことが可能です。

 日本には、このように治療方針を実現できているところは、ない、と言っても過言ではありませんね。

 発達トラウマ障害(DTD)の子どものセラピーも、だいたい、「大人の都合」、「大人の事情」という子どもっぽい判断の下、不十分、かつ、不適当なことしかできていないのが現状です。

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発達トラウマ障害(DTD)の子どもの頃の体験の スゴイとスゴイ

2016-11-03 01:39:15 | 間奏曲

 

 

 
あつれきを生みだしましょうよ!
   信頼と力は水と油  信頼は、力で相手を操縦したり、コントロールしたりすることを止めにして、その場に踏みとどまることや、待つことに、心を配ることにな......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.141、第4パラグラフ、5行目途中から。

 

 

 

 

 

1人の女性は、幼い妹がレイプされているのを見てしまいました。別の人は、「初めてセックスしたのは8歳の時です」「相手はお爺さんでした」と教えてくれました。男の人でも、女の人でも、「家の中の物が壊された音や、両親の金切り声で、夜夜中寝ている時に起こされました」といいますね。若い男の人は、「台所に降りたら、お母さんが血だまりの中に横たわっていました」と言いました。「学校にやってもらえませんでした」とか、「家に帰ったら誰もおらず、夜1人で過ごしました」とか、言う人もいますね。

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害(DTD)の人の体験って、おなじものって、ないですね。どれもヒドイ。どれも悲しい。どれもムゴイ。どれもスゴイ。

 それでも、必ず「光を探している」のですから、人間って、スゴイですね。

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 赤ちゃんを目の前にした親のお勤め

2016-11-03 01:19:10 | 間奏曲

 

 

 
繋がって生きていくためには、
   ヨーヨー・マと大竹しのぶ  昨日の「プレミアム・トーク」(10.31/2014, 8:15~9:40)は、実に見応えがありましたよ。私は録画したも......
 


  Chilhood and Socirty から。p.249から。続きです。

 

 

 

 

 

 親はまた(訳注:赤ちゃんを前にしたら)、自分が今していることには大事な意味がある、という、深い、殆どはらわたで感じる程の確信を持っていなくっちゃね。

 

 

 

 

 

 「子育てが楽しくありません」。残念ですけれども、そういうお母さんが少なくありませんね。私は「せっかく子育てされているのに、もったいないですね」と申し上げます。

 自信がないから、迷いがあるから、間違っちゃダメだぁ~、って思っているから、子育てが楽しめないんですね。

 エリクソンが言う確信が欲しいですね。

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インターメッツォ: レクティオ・ディヴィナ : イエス・キリストの信実

2016-11-03 00:53:40 | 間奏曲

 

 

 
繋がって生きていくためには、
   ヨーヨー・マと大竹しのぶ  昨日の「プレミアム・トーク」(10.31/2014, 8:15~9:40)は、実に見応えがありましたよ。私は録画したも......
 


  ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.103. 今宵は、読書、神様に出逢える読書。

 

 

 

 

 

 

 

 レクティオ・ディヴィナ 神様に出逢える読書

 

 聖句を選んで、声を出して読む、ゆっくりと、注意深く、初めから終わりまで。立ち止まって、1つの聖句をじっくりと味わう。世間に流布している理解の仕方に満足しない、有名な聖句であっても聖書にある物語に、耳を傾けて、新鮮な理解をして行く

 

 

 

 

 

 聖書をゆっくり、繰り返し読む。リリードする reread. 巷に認められた理解の仕方に満足せず、聖書が語る言葉に耳を澄ませる。聖書にあるメッセージを深く理解する、一番いい方法の1つです。

 私は、ゆっくり繰り返し、聖書を読む方法の一つが、翻訳です。原語の意味や音に立ち返って、理解する。とても味わいあるものです。その中で一番新鮮な感覚を強烈にした聖句が、ガラテア書第2章16節ですね。「ピスティス・イエス―・クリストウー」。ここは、キリスト教の根幹にかかわるくらい大事な聖句です。普通は、「イエス・キリストを信じる信仰」と訳されます。それが、本屋さんで売られている『聖書』の翻訳ですし、教会の多くで、その翻訳が使われています。私は、これは誤訳だと確信しています。

 「ピスティス・イエス―・クリストウー」は、私のギリシア語の先生である武藤陽一先生は「キリストの信実」と訳されています。前田護郎先生(中央公論社とインターネット)は、「イエス・キリストのまこと」と訳されています。

 ですから、ガラテア書第2章16節は、武藤陽一先生によれば、

「けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストの信実によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストの信実によって義としていただくためでした」

となります。

 ですから「義とされる」、「あなたは大丈夫」とされることが、圧倒的なプレゼント、恵みとなります

 

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