エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 教員と発達トラウマ障害(DTD)の子どもはご親戚筋

2016-11-19 09:19:38 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
人間として「正しいこと」も、悪い良心の餌食になりやすい
   人の話を聴けないだけでなく、自分の意見だけを押し付ける人たち  今日は顔シリーズにしてみました。宇沢弘文教授、アリストテレス、そして、わが安倍晋三......
 

  Chilhood and Society p.76から。エリクソンの叡智が輝くところの続き。

 

 

 

 

 

 、赤ちゃんは、自分が「与える人」になるために必要な自分の土台も、育てることができない場合、事態はボロボロになります。そういう人は、やり取りするんじゃなくて、「正しいこと」を押し付けたり、空想したりして、その場をコントロールしようとする人間になっちゃいますね。

 

 

 

 

 

 ここも大事なところですね。こうすると、多くの教員と、多くの発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子どもは、ご親戚筋だと分かります

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 大本営発表、復活!    ?

2016-11-19 08:44:06 | 間奏曲

 

 

 

 
銭より 魂の命
   交換価値 < 人間らしさ  上辺だけで人を大事にするフリをするのは、人を大事にすることに心を籠められないから。それは本当に自分が大事にされたことが......
 

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達。トランプ次期大統領の自宅を訪問したようです。それをNHKばかりか、東京キー局すべてがライブで垂れ流していましたね(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161118/k10010773651000.html)。

 私はこれを見て、「これは本当に大本営発表が復活したなぁ」と実感しましたね。メディアがこんだけ横並びなのは、異常です。辟易します。怒りさえ感じます。

 そんなことを感じていたら、TBSのキャスター、金平茂紀さんが「あのね。あなたの会社にもいるでしょう? 会社の役員や上司が替わったら、人を出し抜いてでも一番最初に挨拶に馳せ参じる奴。トランプ・安倍会談を刻々と速報ベースで放送しているNHKをみていて、吐き気を催したので、これから」とフェイスブックで言っていましたね(https://www.facebook.com/shigenori.kanehira)。

 まだ、極めて少数ながら、こういうジャーナリストがいることを嬉しく思います。

 他方で、電通や政府、NHKなどと仲良くした方が得だと思って、手心を加えたり、立場をあいまいにできる分野のことしか伝えない、偽物の「ジャーナリスト」ごっこをしている人には、金平さんの爪の垢を煎じて飲んでほしいところですね。

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信濃町の思い出

2016-11-19 03:26:30 | 間奏曲

 

 

 

 
人間として「正しいこと」も、悪い良心の餌食になりやすい
   人の話を聴けないだけでなく、自分の意見だけを押し付ける人たち  今日は顔シリーズにしてみました。宇沢弘文教授、アリストテレス、そして、わが安倍晋三......
 

 

 信濃町、と言ったら、何を思い出すでしょうか? 東京にお住まいの方ではないと、ピンと来ないかもしれませんね。信濃町、と言ったら、駅前にあるのは、「慶応大学病院」ですし、創価学会本部と、創価学会の様々な建物だらけ…。しかし、ここに、岩下壮一カトリック神父が建てた学生寮があったことを記憶している人は、もうほとんどいないのかもしれません。

 この学生寮は、その後、カトリックのカルチャーセンターのような存在になっています。建物が最近立て直され、新生「真正会館」として再スタートしたようです。

 2012年度、前の「真正会館」最後の年に、「聖書センター」の「旧約聖書入門」に参加できたことは、誠に幸いでした。ここで初めて、雨宮慧先生のお話を直接伺うことができたからです。また、カトリックにありがちな堅苦しさが、雨宮慧先生には全くないことも、嬉しい意外性でしたね。むしろ、本物のキリスト者特有の、「おおらかで自由な感じ」を感じました。それは特に、ミサに参加したときに、強烈に感じましたね。

 今から12年前、NHKの「こころの時代」に「旧約聖書を語る」という、12回、月一回の講座を、雨宮慧先生が担当されたことがあります。その時に、ふつうは「義」「正義」と訳される、ヘブライ語の「ツェダカー」について、教えてくれたことがありました。私は、当時、すでに、エリクソンの著作を読み進めていましたから、エリクソンの学びと聖書の学びが、鮮やかに一致するという喜びを体験することができましたね。「そうかぁ~」「なるほどね~」と思いました。

 雨宮慧先生は、この「ツェダカー」は、一般的に誤解されてるように「基本規範」ではない、と言います。そうではなく、むしろ、「関係への誠実さ」だと言います。「関係への誠実さ」は、ギリシア語、新約聖書では、ピスティス πίστιςです。ピスティス πίστιςは同時に、「信頼」も意味します。

 教員は、子どもに「正しいこと」を「基本規範」であるかのように、押し付ける場合がよくあります。しかし、ほとんうに正しいことは、それとは真逆です。むしろ、正しいことは、子どもとの関係に誠実であることです。「正しいこと」を押し付ける教員に限って、子どもにも、人にも、平気でウソとゴマカシを言ったりやったりするものです。「正しいこと」を押し付ける教員は、フゥリサイ派の偽善者、と言う訳ですね。

 「ツェダカー」の意味が正確に分かって、心底良かったと感じましたね。と同時に、ウソとゴマカシだらけの学校を、今一度、ツェダカーの組織、子どもとの関係に誠実な組織に変革しなくてはならない、と思います。そうでなければ、さっきのブログで記したように、「あんな教員と一緒にいたら、胸糞悪い」と言うことになりかねせんでしょ。「この先生と一緒にいるよろこびに満ちた学校に、是非ともしましょうよ!

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#不登校する子どもと、#戦後民主主義教育の変節  #9月1日子ども自殺のピークの地獄

2016-11-19 00:29:52 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
愛着障害 カウンセリングはこれだぁ その5
    交換価値 < 人間らしさ  上辺だけで人を大事にするフリをするのは、人を大事にすることに心を籠められないから。それは本当に自分が大事にされたこと......
 

 

 戦後民主主義教育の出発点と、その後の変節について、以前、鶴見俊輔さんの文書をこのブログに乗せたことがあります。それは、インターメッツォ : この先生とともに学校にいるよろこびです。次のように文章です。

「敗戦後に、山形県の苦しい生活状況の中で中学校教師だった無着成恭は、この先生とともに学校にいるよろこびを生徒たちと分かち合えた。「やまびこ学校」という記録からそのことがうかがえる。

 無着の教育観は、敗戦直後も今も変わっていない。敗戦から遠く、経済大国になった日本が無着の教育方針を受け入れなくなっただけである。」

 不登校の数は、右肩上がり。いろんな要因を指摘する人がいると思います。だけれども、戦後民主主義教育の原点にあった「この先生とともに学校にいるよろこび」が急激に減って、「こんな教員と一緒にいるのは、マッピラゴメンだ、という嫌気」が急激に増えたからだ、と私は考えます。9月1日が,子どもが自殺するピークになるのは,いじめっ子のせいではありませんからね。学校が変節して,「こんな教員と一緒にいるのは、マッピラゴメンだ」からですね。

 ですから、不登校する子どもの方が、極めて真面、というケースが少なくありません

 私どもは、無着成恭さんがやってたみたいに、「この先生とともに学校にいるよろこび」のある学校を、この日本に再生させることが、今こそ必要です。

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