エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

記録が大事

2016-11-10 02:34:37 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
倫理に関して、ルターに対する厳しい見方
   ルターはについて、社会学者が記したものは、大雑把すぎるとエリクソンは言います。 Young Man Luther 『青年ルター』p.239の第3パラグラフ、R......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog 「犬として育てられた少年」。p167、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 幸いなことに、多くの「抱っこ療法」や関係する面接が、録音されたり、録画されたりしていました。恐る恐るそれをみとると、信じられたいことがあったことが、直ぐに解かりましたね。どの子どもが本当に親の犠牲にされたのか、どの親が非難されたのか、しかもそれは、ヴァーノン一家の子ども達が、悪魔調査官たちを喜ばせる為に、新たな名前で呼んだからでしたね。

 

 

 

 

 

 面接の記録が大事なことが解かります。

 面接は振り返りができる形で記録に残すことが大事です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解離(転換)のいろいろ

2016-11-10 02:09:08 | 間奏曲

 

 

 
半ばインプリンティング、半ば本能的
   ギブ・アンド・テイクじゃぁ、人を大事にすることになんない!  資本主義社会では、商品は直接的に物々交換するのじゃない。あくまでも市場を介して交換さ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.143から。

 

 

 

 

 

 ボールビーが気付いたことは、子ども達が自分の力強い体験を自分の物とできない時、重大な問題がいろいろ起きてくる、というと事でした。たとえば、「いつでも人のことを信頼できない」、「関心を示さない」、「自分の五感を信じない」、「すべてがウソっぽい」などとの問題があります。これからご紹介しますが、これは、治療に対して、大事な影響があります。

 

 

 

 

 不信、消極性、解離(離人感)は、虐待やネグレクトが疑われます。特に解離(転換)が分からない、と言う人がいますけれども、クラスの中でボウッとしている、手遊びが止まらない、寝ているように見える、不意に家出のように遠出をする…などは、一応解離を疑った方が善いでしょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 信頼のはじめ

2016-11-10 01:19:15 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
辺野古の風
   やり取りの大切さ  さあ今日から、エリクソンはどうしようかしらね。ルターに戻ろうかな? それとも、また浮気しちゃおうかな? 今日のフロムに「黄金律」が......
 

  Chilhood and Socirty から。p.247から。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんの中に芽生える、人の対する信頼の最初の芽は、オッパイをよく飲む、よく眠る、よく排泄する、です。

 

 

 

 

 

 エリクソンが言う、信頼は、非常に具体的、実存的です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インターメッツォ: ナウェンさん版「神意と人意」 : 留まるべきか? 去るべきか?

2016-11-10 00:29:05 | 間奏曲

 

 

 
発達トラウマの子ども等には、まずは、寛容な「良い良心」の大人が必要です
   やり取りより大事なことはありません  やり取り。とても単純な、やり取り。ごくごく当たり前の、やり取り。そんなにありがたみは感じないかもしれません。......
 

 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.116. 今宵は、
外からの声と、内なる声。留まるべきか? 去るべきか?

 

 

 

 

 

 ハーヴァード大学を去る決断をするのは簡単なものではありませんでしたね。何カ月もの間、「ハーヴァード大学は辞めなさい」という私の声に従うべきか? それとも、背くべきか? ハッキリしませんでした。外なる声は止みません「ここでも出来ることはたくさんありますでしょ。みなさんがあなたを必要としています」と。内なる声も聞こえます、「自分の魂を失くしていながら、人に福音を説くことなんてことが許されますか?」と。結局分かったことは、だんだん暗くなる気持ち、断りたい気持ち、喉から手が出るほど、甘えや好意を欲しがる気持ち、神様とやり取りがないという深い気持ちは、私が神様のスピリットに反しているという明らかな印でした。神様のスピリットの果実は、悲しみ、心細さ、別れではなくて、悦び、ソリチュード「1人の豊かさ」、信頼できる仲間、神様の生き方の実現です。ハーヴァード大学を辞めるとすぐに感じたのは、心からの自由、心から満ち溢れる悦び、みなぎるエネルギーでしたから、私は今までの生き方は自分を縛り付けていた牢獄だったなあと思いましたね。

 

 

 

 

 

 矢内原忠雄先生の短文に、「神意と人意」があります。私が早稲田を卒業するころに、西村秀夫先生が、そのコピーを下すったことがありました。正直に言って、当時は「納得できない」と言う感じが強い文書でしたね。矢内原全集の第5巻p.255にあります。

 今回ご紹介したのは、ナウェンさん版の「神意と人意」と言えるものです。こちらはガッテンですね。去るべき時。

 私どもは、神意に従っている時、心からの自由、心から満ち溢れる悦び、みなぎるエネルギーを感じるものですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする