エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

境界性人格障害(BPD)は7歳以前から虐待されている

2016-11-07 08:54:38 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
世界の中心にいたい私たち 自己中心とは真逆
    愛敵とは?   「ガリラヤの言い伝えと≪私≫という感じ」もそろそろ佳境。 p361第2パラグラフ。    &...>続きを読む ......
 

  発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.142、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 『アメリカ精神医学界研究』誌で、あとで報告しましたように、ケンブリッジ大学病院で境界性人格障害(BPD)と診断された81%の患者さんが、重度の虐待か、重度のネグレクトを経験していました。大部分のケースでは、その虐待は7歳以前に始まっていました。

 

 

 

 

 

 虐待と言ったら、よっぼとヒドイことだという誤解があります。叱咤激励や躾のつもりでやっている、否定的な言葉を禁止の言葉を繰り返すことは、立派な心理的虐待になるということを覚えておいた方が善いですよ。

 7歳以前から、子どもに否定的な言葉や禁止の言葉を繰り返しているようですと、子どもは、境界性人格障害(BPD)にならずとも、うつや強迫神経症など、心の病になりやすいんですからね。

 

 

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 神無き時代の深い悲しみ

2016-11-07 08:11:24 | 間奏曲

 

 

 
乗っ取り
   国立市公民館の「図書室の集い」:わが安倍晋三首相は、駄々っ子以下  私事にわたることで恐縮ですが、私は生まれも育ちも、東京都国立市谷保です。あの「......
 

  Chilhood and Socirty から。p.251から。

 

 

 

 

 

 どの社会でも、どの時代でも、皆が慣れ親しみ、習慣にしている畏敬の形を見つけなくてはいけません。その畏敬の念は、それぞれ世界に対する様々なイメージから導き出されるものですね。それは、予定説から不確定説まで色々です。大人は宗教を信じないことを誇りにしている人が多いけど、その子ども達は、宗教なしには自分が生かされていることを確かにすることなどできない、と言うことがはっきりするばかりですね。他方で、社会的活動や科学研究から、信頼できるものを導き出そうとしているように見える人もたくさんいますね。繰り返しで申し訳ないですけれども、自分は神様を信じています、と口では言っても、実際には、人生も人も信頼できない人も、ごまんといますしね。

 

 

 

 

 

 畏敬の念。ニッポンの人たちは、「私は、畏敬の念とは何の関係もありません」、と言う人が多いでしょ。お金以上の物を信じていない人が多い

 今のニッポンには、ウソとゴマカシだらけなのは、この畏敬の念がないからだと私は考えますね。

 エリクソンが教えて下すっているように、子ども達は、宗教がなければ、自分が生かされていることを確かにすることなどできないのに、大人たちはお金以上の価値が分からないもんだから、ニッポンには、発達トラウマ障害(DTD)の子ども達が溢れてんですよね

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インターメッツォ:ソリチュード : ソリチュード「1人の豊かさ」、あるいは、お祈りは、魂の対話の初め

2016-11-07 00:45:56 | 間奏曲

 

 

 
常に新鮮な神様の御顔
   信頼と勇気の練習  あらゆる創造的な活動は、信頼と言う基礎があって初めて可能になる。創造的な活動は、限りなくスピリチュアル。 p117第4パラグラ......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.112. 今宵も、「1人の豊かさ」ソリチュード

 

 

 

 

 

 ソリチュード「1人の豊かさ」を実践するためには、身も心も静かになる落ち着いた時間を毎日持たなくてはなりませんね。毎日2・3分から始めてくださいね。おそらく早朝の、温もりも光もまだ届く前の時間か、あるいは、夜遅くの、温もりと光がなくなる頃にやるのが良いでしょうね。そりちーど「1人の豊かさ」は、言葉のないお祈りの時でもあり、あるいは、日記を書いてお祈りに集中したり、さらにはまた、聖書を読んでから、神様の声に耳を傾ける遊びを作り出したり、神様が共に居て下さることを感じたり、「踏み止まっていなさい」と呼びかけられたりします。明け方かたそがれ時の何時間かは、本当に、ソリチュード「1人の豊かさ」とお祈りには打ってつけの時間です。ソリチュード「1人の豊かさ」とお祈りこそは、私どもが神様において確かにされる時であると同時に、私どもが人と共に生き、人を大事にする心構えが整えられる時でもある訳ですね。神様とやり取りすることは、人と人とが魂のやり取りをすることが始まる所なんですよ。

 

 

 

 

 

 反対する人もいるかもしれませんけれども、あらゆるサイコセラピーは、魂と魂のやり取り、魂と魂の対話です。その流派が、行動主義であろうと、精神分析であろうと、折衷派であろうと、その違いは全くありません。カウンセラーの基本的態度は、共感的理解、無条件の肯定的態度、それから、自己一致といいますね。その中で一番大事で、他の2つを基礎づけているのが、自己一致なんですよ。自己一致は、ソリチュード、ないしは、お祈りなしには、近づくこともできません。別の言葉でいえば、内省と言い換えてもいいかもしれません。

 サイコセラピスト自身が自分の魂との対話をしている分だけ、クライアントとの魂の対話ができます

 日頃の行い、雰囲気、匂いを見ていれば、どれほど、自分の魂と対話しているのか、見当がつきますからね。

 

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インターメッツォ: 感動の先取り?

2016-11-07 00:30:44 | 間奏曲

 

 

 
マインドフルネスの効果は絶大なんだなぁ
    信頼と勇気の練習  あらゆる創造的な活動は、信頼と言う基礎があって初めて可能になる。創造的な活動は、限りなくスピリチュアル。 p117第4パ......
 

 

 まだ来てもいないし、今解決できないことでも、失敗するかもしれない、などとあれこれ心配することって、ありませんか? それを心理学の言葉で、「予期不安」と言ったりします。もちろん、これは「良き不安」ではあるはずもなく、「悪しき不安」です。

 でも、体験する前から、その体験をすでにしたかのような感動ができるとしたら…。そんな体験をしたいと思いませんか? でも、そんなことって、実際あるのかしらね。

 今年はオリンピック・イヤーでした。マイナー志向の私ですし、夏は、論文を書くのに忙しくて、実際にはあまりオリンピック観戦をしませんでした。でも、体操では、内村航平選手が、個人総合で、金メダルを取ったことくらいは、テレビで見ました。これは、2012年ロンドン大会に続き、2連覇だったそうですね。じゃぁ、その前に個人総合で金メダルを取ったのはいつでしょうか? ロンドンよりも、26年前のロス五輪の具志堅幸司さんまで、遡るそうですね。

 具志堅幸司さんは、元来、気が小さくて、試合の後半に思った得点を取れずに、敗退することがよくあったようです。でも、ロス五輪の時は違いました。具志堅幸司さんは、途中まで、3位だったそうです。ところが、宿舎から会場に向かうバスの中で、涙が溢れてきたと言います。別に、眼にゴミが入った話ではありませんよ。具志堅幸司さんは、これからやる鉄棒の演技をイメージして、その結果高得点を取り、日の丸が掲揚台の真ん中に上るのをイメージして、感動の涙を流したのだそうです。そして、現実はそのイメージ通りだった、と言う訳です。イメージ通りのパフォーマンス、イメージ通りの金メダル、です(http://d.hatena.ne.jp/rararapocari/20070411/NHK)。

 

 どうせイメージするなら、予期不安じゃなく、良き感動でありたいものですね。

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