エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ナウェンさんの「問いある生活」 の自由: 自由は晴れ晴れ

2016-11-25 05:31:59 | 聖書の言葉から

 

 

 
「悪い良心」のお手本:アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たち
   踊りと巻き上げに注意!  感覚を研ぎ澄ました先には、≪最深欲求≫が待ってくれています。 p80の下から13行目から。    ...>続きを読む......
 

 ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.151. 再掲、正し訳語は変えました。

 

 

 

 

 

 私は、お祈りと文書書きを続けながら、神様に対して忠実であり、私がお役に立っている信頼できる仲間に対して忠実であり続ける時、結果を恐れずにスピリチュアルな問いを生きられる、くらい自由でいたいと思います。

 

 

 

 

 

 それくらい自由なら、自ずから,晴れ晴れです。

 

 

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 :心の防波堤

2016-11-25 05:05:40 | 間奏曲

 

 

 
音楽が人を癒す力
   踊りと巻き上げに注意!  感覚を研ぎ澄ました先には、≪最深欲求≫が待ってくれています。 p80の下から13行目から。    ...>続きを読む......
 

 Chilhood and Society p.250から。

 

 

 

 

 

 赤ちゃんの舞台は、魂の生活に、心がバラバラになる感じと天国をおセンチに求める感じをもたらします。人と自分を根っこのところで信頼する信頼を一生涯持っていることは、貧乏だなぁ思い煩いがいつもあるなぁノケモノにされたり、首を切られたり、見捨てられちゃってるなあ、などと感じた時の、心の防波堤になりますからね。

 

 

 

 

 

 貧乏、思い煩い、ノケモノ扱い、会社を首になる、いずれも、人生の大きな試練でしょ。

 その時、苦難をや試練を乗り越える要が、実は赤ちゃんの時に身に付けられる、って知っている人は、ラッキーですね。

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「言ってること」と「やってること」がバラバラな人には、どうするか?

2016-11-25 04:36:06 | 間奏曲

 

 

 
マインドフルネスの自由
   早すぎる道徳は、禁物  上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事は誠に厄介。しかし、子どもは、傷つきのある子どもほど、その大人のウソと......
 

 リチャード・コート、木鎌安雄神父様・訳の『笑いの神学』から。p135~。今宵も、筆者が改訳しています。

 一番腹が立つような人でも、案外そうではない、というもの。

 

 

 

 

 

 「言ってること」と「やってること」がバラバラな人も、クリスチャンが笑うことができれば、そんな人でも、神様のプレゼントです。

 

 

 

 

 自分のことは棚に上げて、とやかく言う人。嫌でしょ。でも、リチャード・コートさんは、別の視点、面白い視点をお持ちです。

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聖書の言葉 :「天にまします父なる神様」: 天なる父は、ゴミの中におられる

2016-11-25 04:02:00 | 聖書の言葉から

 

 

 
マインドフルネスの自由
   早すぎる道徳は、禁物  上辺だけが優しい大人が、「正しいことを押し付ける」事は誠に厄介。しかし、子どもは、傷つきのある子どもほど、その大人のウソと......
 


 集会でのお祈りの時に、「御在天の父なる神様」、「天のお父様」、「天なる神様」などと冒頭などに祈る場合があります。神様は「高い存在」「高いところにいるもの」と、何となく思っている場合が少なくありません。いわば、「神様は高いところにまします」ということが「常識」。でも、『笑いの神学』で教えられたみたいに、「常識と正反対が真理」なんでしたね

 本田哲郎神父様は何と言っているのでしょうか?『釜ヶ崎と福音』より。

 

 

 

 

 

 私たちは、「天の父よ」とか、「在天の父」と祈るとき、高いところにおられる神さまをイメージしていますけれども、それでいいのだろうか。

 新共同訳のプロジェクトで、詩編113篇の翻訳に関して1つの重大な気づきがありました。この箇所には、「シャプール」という動詞が出てきます。その活用形で分詞形、「ハンマシュピリー」です。これは従来、「神は御座を高く置き、その高みから天と地を見下ろされる」(原文は下線部は傍点)(5-6節)です。そのため、天に高くいます神のイメージが定着してきたのです。…それを新共同訳では、「低く下って天と地を御覧になる」(原文は下線部は傍点)と訳して、神の御座が低みにあることを明らかにしたのです。「神さまは、あるいは神の子は、上から下にへりくだってくださっている。そしてわたしたちを救い上げてくださる」とする、旧来の神学の影響をまだ色濃く残した訳と言わざるを得ません。

 ほんとうは、…「…神は、いつも低みから天と地をごらんになっておられる方なのですよ。神の視座、神の視座は、天の高みにあるのではなくて地の低いところにすえられているのです」。そしてそれがどのくらい低いところかというと、「弱い者を塵の中から起こし 乏しい者を芥の中から高く上げ」(詩編113篇7節)る。塵と芥、つまり、ゴミとホコリが降りつもるような、低い低い、社会の低み、そこに天の御父のはたらきの場があり、そこからいつも天と地のすべてを見ておられる。そこからすべての恵みが差し出され、そこから聖霊がほとばしり出ているのです。pp.144-5

 

 

 

 

 これは机上でひねり出したことばではありません。

 これは本田哲郎神父様の生活の実感です。

 あなたも、同じ実感を持てるようになれると、晴れ晴れとして、イキイキ、ピチピチした毎日が過ごせますからね。

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