エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

出藍の誉れ

2016-11-16 03:12:40 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
堕落しちゃったルター
   人を大事にする社会を作るには。  矛盾の中にも一致点を見出すのは、黄金律の実践的特色を示していると思います。 p220下から6行目途中から。   ......
 


 「出藍の誉れ」。ご存知ですか? 恥ずかしながら、私はよく知りませんでした。「故事・ことわざ辞典」によれば、「藍草で染めた布は藍草よりも鮮やかな青色となるが、その関係を弟子と師匠にあてはめて、弟子が師匠の学識や技術を越えるという意味。学問の重要性をうたった荀子の言葉から」(http://kotowaza-allguide.com/si/syutsurannohomare.html)だそうですね。

 私は、この言葉を、先日、名古屋大名誉教授の安彦忠彦先生から教えられました。先生が早稲田で教えていた時には、私を教育学部の授業に招いて下すったこともあります。「出藍の誉れ」は、子どもが親や教員を乗り越える自由を意味するものだ、ということで、安彦忠彦先生は、これを、「子供の未来決定の自由」と読み替えておられます(『「教育」の常識・非常識 ―公教育と私教育をめぐって―』早稲田教育叢書28,P.93)。

 今の公教育が、あまりにも、子ども達を既定路線に乗せようとして、結局は、既定路線にも載せられずにもがいていることを日々目の当たりのしている私にとっては、この「出藍の誉れ」=「子供の未来決定の自由」が今こそ大事だと感じます。

 子どもは、私ども以上の存在になって、未来をより善く、希望に満ちた世界にして貰いたいと、強く願っています

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名月の不安 ルナティック?

2016-11-16 02:51:41 | エリクソンの発達臨床心理

 

先日の名月です。

 
あなたの世界は、何色?
   菜根譚 根っこの話し  菜根譚。私は知りませんでしたね。今月の「100分de名著」。取り上げられているのが、明時代(日本だと、戦国時代から江戸時代......
 


   発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.143、ブランク下、第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 クリス・ペリーのデータベースが、病院の外来で治療を受けたすべての患者さんに関する情報を追っていました。その中には、自殺や自傷に関する報告も含まれています。3年間セラピーをすると、だいたい3分の2の患者さんがとてもよくなりましたね。今課題なのは、どの患者さんがセラピーがうまくいくのか? どの患者さんが、自殺と自傷を続けるのか? という問題です。患者さんの現在の行動をTAQ(トラウマ・アンケート調査票)と比べると、いくつかの答えが分かってきます。自傷を繰返す患者さんが私どもに言ったことは、「子どもの頃、誰かと一緒にいてホッとしたことがありません」ということでしたね。すなわち、彼らが報告してくれたことは、見捨てられたこと、たらい回しにされたこと、「自分で何とかしなさい」と言われたことでした。

 

 

 

 

 

 見捨てられた経験を一度でもされることが、いかに重大なことなのかが解かりますね。

 残念ながら、弟や妹が出産する時、上のお子さんが3歳前後である場合は、病因出産は止めた方が良い、ということをほとんどの人は知りません。あるいは、子どもが4歳位になるまでは、母親が夜勤をしない方が良い、ということを知っている人も稀です。いずれも、子どもが「見捨てられ不安」を一生抱えることになる危険が、非常に高いのです。

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インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 遊びの真実

2016-11-16 02:02:46 | 間奏曲

 

 

 
現在戦争中 ニッポン
   人を大事にする社会を作るには。  矛盾の中にも一致点を見出すのは、黄金律の実践的特色を示していると思います。 p220下から6行目途中から。   ......
 

 

  Chilhood and Socirty p.211から。

 

 

 

 

 

 遊びは、ですから、自我の1つの働きですし、身体を使った対人関係のやり取り(訳注:あるいは、やり取りのなさ)を自分(の時間)に合わせようとする試みです

 

 

 

 

 

 これだけ読むと、何のことかしら? と思う向きもおありでしょうね。

 自分の身体を使った人とのやり取り、それを自分の心の中にある時間に合わせるとき、様々な感情が伴います。温もりのあるやり取りであれば、ホッとする気持ち、嬉しい気持ち、満足な気持ち、悦び、感謝などの気持ちが、自分の根っこに、無意識裡にくっつきます

 しかし、問題なのは、やり取りがない場合です。

 やり取りがない場合悲しい気持ち、ガッカリした気持ち、不満な気持ち、それから、激しい怒り、殺してやりたいくらいの憎しみが、自分の根っこに、無意識裡にくっついてしまいます

 私どもは、そのことを忘れずにいた方が、深い、真実な人生を歩むことができますよ

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インターメッツォ: 静かしていることは、信頼すること

2016-11-16 00:33:12 | 間奏曲

 

 

 
愛着障害のカウンセリングはこれだぁ! その3
   真実とは   青年ルターの略歴と最深欲求  ベンジャミン・ザンダーのプレゼンテーション、貼り付けておきます。http:/...>続きを読む......
 

  ヘンリー・ナウェンの『魂の向き』Spiritual Direction、p.83. キリスト教の瞑想、マインドフルネス。その続き。

 

 

 

 

 

 静かにしていることは、信頼すること…ゆだねること…握っていることを手放すこと…神様を信頼すること

 

 

 

 

 

 信頼できない人は、何でもかでも、自分が仕切ろうとします。人格障害Mみたいにね。自分の思い通りにならないと、気がすみません。イライラと怒りが募ります

 信頼する人は、人に任せることができます。自分がギュッと握っていたものを手放すことができます。神様が働かれるのを静かに見ていることができます

 信頼する人、でありたいあなた  ぜひお試しくださいね。

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