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発達トラウマ障害≒愛着障害の子ども達は、人付き合いが下手で、感情がコントロール出来ない
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リアルに物が見える時 アンパンマンには、必ず慈しみ深いお母さんがいます。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、......
今宵の聖書の言葉はμυστήριον,ミステリオン,奥義,秘密,秘儀としての神様の計画,秘儀としての福音,です。
奥義,と言う言葉を初めて聞いたのは,西村秀夫先生の「聖書を学ぶ会」に参加を許されてから間もなくのことでした。野村先生は,あんまりベラベラとしゃべる人ではなく,むしろ,じっと人の話に耳を傾ける感じの強い方でした。その野村先生が「奥義」を「おうぎ」であって,「おくぎ」ではない,と注釈入りで,お話くださったことを覚えています。おそらく,野村先生はどこかで神秘体験をしてきたのだろうと思います。「神秘主義」ということも時々お話くださいました。この神秘主義がμυστήριονなのだと考えますね。
それに対して,西村先生は,理性的ですから,奥義とは言わないで「神様のご計画」ということを,晩年になればなるほど,強調するようになった,と感じました。西村先生の言葉で申し上げれば,「今日も大きないのちの流れの中に生かしていただいていることを思い,…,感謝を以て歩み始めています」,「私たちも,神様のご計画の中で,キリストに出会い,信仰の道を歩むようになる」と言う具合です。
私は,自分のことを,野村先生と西村先生の中間的な感じがしています。μυστήριονは神秘であり,神様のご計画です。私は,不思議な体験が何度かありますし,それと同時に,理性的で,しかも,日常的な話し言葉で伝えたい感じもあります。今回もそのようにしたいと思います。
神様のご計画は,大きすぎますから,すぐに理解できるものではありません。「なんで?」と言う感じが強くありますから,不思議ですし,「大丈夫なの?」と言う不信とも不安ともいえる気分もありますね。でも,その不信と不安に飲み込まれるのではなくて,「こっちですよ」というオリエンテーションに賭けてみます。それは,秘めている思いが,だんだんと強くなり,その実現が可能になるという現実的な条件も次第に見えてくるからです。そうしていると,まだ実現していないのに,実現しているような感じになるんですね。それがなぜだかは,残念ながら,分かりません。「請求書」ではなくて,「領収書」の気分ですね。とどのつまり,δεῖ,デイ,「必ず~することに決まっている」,に対する信頼なんでしょうね。ですから,実現する前から,晴れ晴れとした感じ,陽気で楽しい感じがしますね。これも何故だか分かりません。昔,ご近所の人から,面と向かって「極楽とんぼ」と揶揄されたこともありますけどね。
あまり上手な説明じゃなくて,ごめんなさいね。ペコリ。