エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

聖書の言葉: ἐλάχιστος,エラキストス,一番小さい,取るに足らない

2017-05-26 07:01:02 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
ヴァン・デ・コーク教授のカイロス
    エリクソンは天才! ≪背後≫の意味するもの  人は、二本足で立った瞬間から、向きができます。そこから、心の中にも向きができます。オリエンテーショ......
 

 今朝の聖書の言葉は,またἐλάχιστος,エラキストス,一番小さい,取るに足らない,です。一度取り上げましたが,もう一度取り上げてみたくなったんですね。

 『新約聖書』の最初にあるイエス・キリスト物語,「マタイによる福音書」第25章40節にあります。

40王は答えよう、『本当にいう、このいと小さいわが兄弟のひとりにあなた方がしたことはわたしにしてくれたことになる』。」

 「いと小さい」と前田護郎先生が訳しているのが,ἐλάχιστοςです。本田哲郎神父様は,ここを次のように訳しています。

わたしの身内である,この一番小さくされている者の一人にしたのは,私にしたのである

 本田哲郎神父様は,「一番小さくされている」と訳しています。こちらの方が,より聖書的だと感じますね。

 「一番小さくされている」人に関わるのは,この世的に言ったら,何の得もありません。持ち出しだけになりがち。損するだけになりがちでしょ。だから,普通は顧みられることもありませんでしょ。でも,「一番小さくされている」人に関わることが神様に関わることになる,と言うのが聖書の神様の教えてくださるところです。

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達は,「かなりバカでかいところ」の人を大事にすることを,「国家天下のためにしています」とウソを言って,皆さんから預かっている税金を使って,やったんですね。沖縄の人やフクシマ・宮城・岩手の人を,同じように大事にしていたら,いいですが,「民主主義・平和・人権などの普遍的価値を共有する」と外国に行く時には言うくせに,実際には,「民主主義・平和・人権などの普遍的価値」を蔑ろにして,沖縄の人やフクシマ・宮城・岩手の人も蔑ろにしてますでしょ。

 私どもは,どちらの選択が良いのでしょうか?

 

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エリクソンの叡智: 攻撃性は善いもの

2017-05-26 02:26:23 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 
アイロン・バーのアイロニー
   「一緒に遊ぼっ」 ∵遊び=祈り  先日見たハローhalo、日暈(ひがさ)、ないし、単に暈(かさ) 綺麗ですね  ウソだらけ、ゴマカシだらけ の日本......
 

 今宵のエリクソンも,Toys and reasons.またまた p.56.

 

 

 

 

 

 ラテン語の「攻撃性」aggredere,アグレデーレは,まずもつて,物や人に歩み寄る,という意味なんですよ。しかも,陽気で楽しいやり取りをしたくて,悪気はないけど,ちょって相手のゆとりをお邪魔するように,物や人に歩み寄る,ということなんですからね。

 

 

 

 

 

 攻撃性は,こんなに素敵なものであることを知っていると,臨床的に非常に役立ちますよ。

 

 

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現世考:  「 #不本意な選択 」を強いるアベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達

2017-05-26 01:44:27 | 間奏曲

 

 

 

 
インターメッツォ : 大ウソつきのウソ
 日没間近 「一緒に遊ぼっ」 ∵遊び=祈り  先日見たハローhalo、日暈(ひがさ)、ないし、単に暈(かさ) 綺麗ですね  ウソだらけ、ゴマカシだらけ ......
 


 私はかつてこのブログ「不本意な選択を強いる嫌な時代」と「今の日本の教育」 改訂版で「不本意な選択を強いられる」ことを記したことがあります。それは次のように文章です。少し長いですが,引用しておきますね。

 「嫌な時代だったなぁ。日本人の誰もが何かしら、不本意な選択を強いられていたんだ」。これは山田洋二監督の映画「小さいおうち」の中で、総轄的なシーンで、今は亡き米倉斉加年さんが言ったセリフです。満州事変から太平洋戦争に突入する時代、ほとんで全ての人が大なり小なり「不本意な選択を強いられていた」。そんな時代。

 そのセリフのすべてはこうです。

 「嫌な時代だったなぁ。日本人の誰もが何かしら、不本意な選択を強いられていたんだ。いや、強いられているものもいれば、自ら望む人もいて、それが不本意だったことすら気付かない。そういう時代だったんだ。」

 あれ、これって、今のこと?

 わが安倍晋三首相。「積極的平和主義」という名の、日本国民がアメリカ人と一緒に戦場に立ち、無垢な女子供を殺し、そして、自分も殺されるだろう社会にしようとする政権をいただき、また、「高度プロフェッショナル制度」という名の、それじゃぁなくても、「カローシ(過労死)」という日本にしかない非人間的で殺人的な働かせ方が当たり前の社会を、一層非人間的で、いっそう殺人的な、苛烈な社会のしようとする政権をいただいている今の日本。

 日本の学校教育といえば、先ごろの岡田尊司さんが言うように、

 「ヨーロッパの教育でとても重視されるもので、日本では軽んじられているものとして、主体性責任感がある。主体性を尊重してはじめて、本来の責任というものが生じるし、育っていくことになる教師が主導し、それに服従する生徒がよい生徒であるという意識が強い日本では、生徒の主体性は口先では称揚しつつも、態度や深層心理ではうっとうしがられるところがある。やはり教師の話をよく聞き、指示したとおり行動する生徒がよい生徒とみなされるのだ

でしょ。自覚的な人よりも、「不本意な選択をしても、不本意だったことすら気付かない」人間を組織的に大量生産しているのじゃないか? と訝しく感じる学校教育。

 今日,TBSのニュースを見ていたら,文科省の前の事務次官,前川さんが,まさに「不本意な選択を迫られた」ことを証言していましたね。「国家戦略特区」と言う大それた名称は,「私的に国の税金をチョロマカシテ,ぼろ儲けする得」のことだ,名前と実際が裏腹な,大嘘であることが示されましたでしょ。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達が,身内の友達,加計さんのぼろ儲けのために,国の制度を私的な目的のために作って,自分らの懐を膨らませたわけですね。TBSにかこつけて申し上げれば,「水戸黄門」に出てくる悪代官の典型的なパターンでしょう。

 アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達は,内閣人事局を通じて,幹部官僚の人事権を牛耳って,自分らの悪だくみを阻止できないように,人事権を悪用,アビューズ(虐待)していたわけですね。

 私どもは,今一度,不本意な選択ではなく,晴れ晴れとした選択をするために,日々晴れ晴れとした品性を養いたいものですね。そうして,アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間達が,国家の制度も税金も泥棒していることには,鉄槌を下していかなくてはなりません!

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#ペッソボイデン体感療法 #ペッソさん は #最高のセラピスト

2017-05-26 01:07:59 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

  発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。

 
発達トラウマ障害の子どもが、大人への不信を示す症状は、実に千差万別だぁ!
   「ありのままが認めて」もらえない憎しみ 改訂版  ルターがプレゼントとしての「いいよ」が戴けると分かった時の感動は、いかばかりだったでしょうか? ......
 

 発達トラウマ障害(DTD)の人に,子どもでも大人でも,効果がとてもありそう。HP,https://pbsp.com/,を見ると,大人のクライアントでしたから,どちらかと言うと大人向きかもしれませんね。

  ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.299. 最後のパラグラフ。

 

 

 

 

 

 ペッソさんが(訳注:ナンシーさんの言葉にならない気持ちを,表情やしぐさなどから観察して,言葉にする)「証言をする」度に,ナンシーさんの表情も身体も,少しずつリラックスしていきましたね。それはまるで,ナンシーさんが見守られて,大切にされることによって,安心感を感じているみたいでしたね。ペッソさんの静かなコメントを貰うと,ナンシーさんは勇気も貰って,もっと深い話をつづけることができます。ナンシーさんが思わず泣きだせば,「どなたでも,1人じゃぁ,こんなご苦労に耐えられるもんじゃぁ,ありませんよ」とペッソさんは見て分かりますから,「お隣には,どなたが座ったらいいでしょうか?」とナンシーさんに尋ねます。ペッソさんは,隣に座る人を「つなぎ役,コンタクト・パーソン」と呼んでました。ナンシーさんは頷くと,部屋にいる人を一人ひとり見渡して,優しそうな中年の女性を指名しました。ペッソさんはナンシーさんに,「この方には,何処にお座りいただきましょうか?」と訊ねました。「ここです」。ナンシーさんはキッパリとしてそう言うと,自分の右側のクッションを指さしました。

 

 

 

 

 

 実にお見事ですね。最も優れたサイコセラピストです。エリック・エリクソンと同じに最高のサイコセラピストと言っていいでしょう。情景がハッキリと眼に浮かびますから。ナンシーさんを「主人公」と呼ぶだけではなくて,本当にナンシーさんが主人公になれるように,心のエネルギーをペッソさんは送っている様子が,眼に浮かびますもんね。ペッソさんの根源的信頼感が深いから,手に取るようにナンシーさんの気持ちを感じることができるんですね。

 それは,もう,本田哲郎神父様がおっしゃることと,ピッタリ同じなんですものね。アンダースタンド,理解に徹して,本人も気付いていないことを,ハッキリと言葉にして挙げます。すると,分かってもらった嬉しさに,勇気を貰って,深いところ,悲しくて苦しくて,勇気を貰わなければいけない深さに話が進んでいきますね。そして,自分のことは自分で能動的に選んでいいと解るから,堂々と現実に選んでいける…。

 このセラピーはうまくいくに決まっています

 


 

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