エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

患者のために役立つ研究,患者に不利益な研究

2017-05-15 06:35:11 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 

 
苦しい言い訳 結局バレマッセ
 キリストのまこと 「ガラテヤ書」から考えました 改訂版  今日は、「キリストのまこと」について考えます。意外にこのテーマでブログを書いてなかったんですね。不覚......
 

 発達トラウマ障害(DTD)=愛着障害の子ども。ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』p.180, 下からから5行目途中から。

 

 

 

 

それから,シャルコーみたいに,患者さんたちの身体症状を計測し記録することに関心があったんじゃなくて,ジャネは膨大な時間を使って,患者さんたちと話し合い,患者さんの心に何が起きているのかを理解しようとしました。また,シャルコーとみたいにヒステリー症状を理解することに意識を集中させたのとは対照的に,ジャネはまず第一に1人の臨床家でして,患者さんたちを治療するのが目的でした。ですから,私はジャネのケースレポートを詳細に勉強しましたし,ジャネが最も重要な先達の1人になったんです。

 

 

 

 

 

 ここを読むと,現在の心理臨床の研究者の中でも,シャルコータイプジャネタイプがいることが解かります。私の経験から申し上げれば,シャルコータイプの研究者は,困っている患者さんの役に立たないばかりか,患者さんの不利益になる場合と度合いがヒドイ,ということですね。ご本人は,臨床家ではないので,自分が患者さんの不利益になっていることにも,気が付きません。鈍いからです。

 心理臨床で役立つ研究は,ジャネのような臨床家の研究と相場が決まっています

 

 

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エリクソンの叡智: 遊びの自由の聖地

2017-05-15 02:24:00 | エリクソンの発達臨床心理
 
インターメッツォ : バルメン宣言から学ぶ お楽しみに!
   キリストのまこと 「ガラテヤ書」から考えました 改訂版  今日は、「キリストのまこと」について考えます。意外にこのテーマでブログを書いてなかったん......
 

 今朝のエリクソンも,Childhood and society. P.222。さらに,昨日の続きです。

 

 

 

 

 

 現代のプレイセラピーの土台になっている観察は,家族やご近所の中で遊んでいた遊びの見守り手たちに対する,心密かな憎しみや怖れ不安を感じさせられた子ども達が,低みに立って見直すことができた大人が一人いてくれる守りのある自由の聖地で,遊びの平安を取り戻すことができる,というものです。

 

 

 

 

 

 さっきの聖書の言葉聖書の言葉: イエスの最初の教え,とビッタシカンカンでしょ。

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現世考: 1人と2人

2017-05-15 01:42:14 | 間奏曲

 

 

 

 
本当の自分を待つこと、言葉にならない気持ちを大事にすること、≪約束≫に基づいて一貫した関わりに
    高い高い、性のエートス  女が弱みにつけ込まれるのは、文化状況の故ですね。その際には、女は男に頼らざるを得ない社会状況が背景をなします。 The......
 

 人は1人では生きていけない,と言われることがありますね。確かに,夕べ食べたご飯は,私が田植えをして刈り取ったものではありません。それをお店まで運んだのも私ではありません。久慈市から国立市に運んだのだけ,そして,それを炊いたのたけは,私がやりました。と言っても,運んだのは車ですし,炊いたのは炊飯器ですから,あまりエラそうなことも言えません。ことほど左様に,人は1人では生きていけませんね。

 もう一方で,自立が大事,と言われます。たしかに自立してないと,いけませんでしょ。そうでないと,依存的になりますね。その形はいろいろで,依存症や共依存になる場合が少なくありません。アルコールやギャンブル,あるいは人を支配・コントロールすることに依存する人は,このニッポンでも,非常たくさんいますでしょ。メディアでさえ,記者クラブという大本営発表を聞かないと,記事が書きにくいので,権力を批判するのが本務なのに,いつの間にか,その本務を忘れているメディアが大多数になってしまいました。自立していることがとても大事。スタンド・アローンです。

 じゃあ,どっちなの?

 私は,この2つは実は根底では繋がっている,1つのことを言っていると考えますね。ウィニコットと言うイギリスの小児科医が,「1人でいられる能力」ということを言いますけれども,それは,お母さんと2人になれると信頼しているからこそ,「1人でいられる」のだ,そして,この「1人でいられる」ことを赤ちゃんの課題だ,と言っています。人が1人でいられるのは,根源的な紐帯,深い絆があるからです。

 逆に,一人でいられず,群れるのは,「1人でいられないから」,深い絆を信頼できないから,です。

 人は,根源的紐帯,深い絆を信頼して1人でいることが基本形です。

 深い絆を信頼して1人でいることは,「本当の自分」にウソを言わずに,自分自身でいられることと,全く同じです。

 それを,マハトマ・まど・みちおさんは,このように言いますね。

 

 

    いわずに おれなくなる

    ひとりでしか いきられないからだ

 

 

 

 

 

 みなさん,平安でいてくださいね。

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聖書の言葉: イエスの最初の教え

2017-05-15 00:45:33 | 聖書の言葉から

 

 

 

 
演劇=ティク・ナット・ハーンさんのマインドアルネス=カール・ロジャースの自己一致  改訂版
   高い高い、性のエートス  女が弱みにつけ込まれるのは、文化状況の故ですね。その際には、女は男に頼らざるを得ない社会状況が背景をなします。 The ......
 

 こんばんは。みなさん,日曜日はどうでしたでしょうか? 国立は昼過ぎから天気が回復して,青空が戻りました。新緑が目に鮮やかです。矢川沿いには,黄色のアヤメ,黄菖蒲が盛りを迎えています。これも帰化植物だそうで,すでに広い範囲で野生化していますが,抜き取らなければいけないものなのでしょうか?

 そんな陽気に誘われて,矢川沿いを散歩して,気付きが与えられました。そのことについては,おいおいこのブログでも記して生きたいと思います。

 その気付きと関係するのが,イエスの教えの初めです。新共同訳では,「悔い改めよ,天の国は近づいた」です。これは『新約聖書』の最初にある「マタイによる福音書」第4章17節にあります。西村秀夫先生によれば,矢内原忠雄先生は集会のメンバーを集める時のチラシには,この言葉「悔い改めよ,神の国は近づいた」を必ず用いたそうですよ。マタイが「天の国」と言うのは,「神の国」と同じです。

 この聖句は,本田哲郎神父様によれば,

低みに立って見直せ。天の国はすぐそこに来ている

というのが正解だとおっしゃいます。これは実にうまい翻訳だと感じます。「天の国」はもう目の前に来ている感じがよく出てますからね。実際に新共同訳で「近づいた」,本田哲郎神父様が「すぐそこに来ている」としたところは,完了形ですから,「ほら,もうそこに来てますよ」と言う感じがしますからね。

 そういうふうに紐解いてきますとね,この「低みに立って見直せ。天の国はすぐそこに来ている」は,実にサイコセラピーや教育,子ども等や低みに立たされている人たちとの,善い関わり,やり取りのある関わりに必要な心の態度,本音の態度のことを,ドンピシャリに言っていることに気付かされましたね。そして,これは,パウロさんの神学を表現している「ローマ人への手紙」第5章3節から5節とピッタリと重なることにも気付かされましたね。

 それについては,いずれまた。

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