エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

長時間労働が、発達トラウマを作り出す

2016-03-28 01:15:05 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 
シングルマザーと安倍政権
  シングルマザーのおかれている状況も、いま私たちがどんな社会で暮らしているのか、考える時に重要です。 私たちはどんな社会で暮らしているのでしょうか? こ...
 

 アメリカでは、おおよそ40%の子どもたちが、大人になる前にす、トラウマになりかねない出来事に、少なくとも一回は出くわします、と言います。日本では、もっと多い感じです。日本は、長時間労働、長時間通勤が基本ですから、とにかく、ネグレクトが一番多いケースです。積極的に暴力をふるってる訳ではないので、ネグレクトの親の方も「病識」がないのが普通です。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.233、真ん中あたりから。

 

 

 

 

 

核家族の崩壊は強調し過ぎですけれども、大きな家族、すなわち、人の社会的繋がりという根源的な生き物としての絆は、その解体についてはあまり論じられることがないけれども、少なくとも、核家族と同じくらい大切なことです。レオンの物語を思い出すかもしれませんが、身も心も魂までも健全な子どもになんとか育てることが出来る若い夫婦と、1人の親、もしくは、両親ともに、何物かに心奪われ、子どもの相手に真面にならない、ネグレクトの場合では、事情は全く違うのは当然です。 

 

 

 

 

 日本でこれだけ発達トラウマが多い最大の原因は、日本の労働政策があまりにも貧困である結果の、長時間労働です。

 日本では、長時間労働が発達トラウマを作り出しているのです。

 長時間労働が解消しただけで、貧困問題、保育の問題、介護の問題など、かなりの社会的課題が解消するはずです。

 

 

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年寄り不遇の時代

2016-03-27 12:56:16 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
原発と安倍政権 〈お幸せ〉な私たち 改訂版
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 年寄りが大事にされないのは、今の社会の人々は、生きている目的と、生きる場の関係を見失っているからこそでしょう。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の、p.116の、第2パラグラフ、8行目途中から。

 

 

 

 

 

年寄りの誇りは傷つけられ、年寄りへの敬意は怪しくなっています。年寄りは、遊びのない第2の子ども時代だと思われています。もし、年寄りが階段を素早くは昇れなければ、あるいは、よろよろとしか歩けなければ、考えることも、覚えることまで、おぼつかない、と思われます。そう思われることに「そうではありません」と言うよりも、「御説ごもっとも」と譲る方が簡単です。耳が不自由な人、眼が不自由な人は、障害に折り合いをつけて、人間らしい暮らしをできる方法を見つけて、自分の気持ち、自分の判断、自分のペースで生きているんですけれどもね。耳が不自由な人と眼が不自由な人は、福祉制度のおかげで、支援を得てきているんですがね。

 

 

 

 

 身体障碍者よりも、年寄りの方が、福祉の支援も、社会的な配慮もされていない、と、ジョアンは言いたげですね。実際当時はそうだったんでしょう。

 年寄り不遇の時代です。

 

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トラウマのセラピーでは、芸術(表現)療法の効果は絶大

2016-03-27 11:49:20 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
受け身で自分を確かにする道
  すべては、恵みなのかもわかりませんね。 Young Man Luther 『青年ルター』p189の第3パラグラフから。  ...
 

 

 「問題行動」、それは、クライアントが生きていくために、必要、必然であることが多い。悪いことではありません。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.244の、ブランクから。

 

 

 

 

 

 美術、音楽、ダンス

 

 美術、音楽、ダンスのセラピストで、虐待されてきた(イジメられてきた)子どもたち、PTSDに苦しんでいる兵士たち、性的虐待の被害者たち、難民、拷問のサバイバーの治療を見事にしている人はごまんといますし、芸術療法の効果を証明している研究報告もたくさんあります。ところが、芸術(表現)療法がどうして効果があるのか、芸術(表現)療法が効果をもたらす、トラウマのストレスの特定の側面について、現時点で私どもが分かっていることは、ほとんどありません。芸術(表現)療法の価値を科学的に確立するのに必要な研究をするには、論理の上でも、研究費の上でも、これからまだ、たくさんなものが必要でしょう。

 

 

 

 

 トラウマを癒すのには、美術、音楽、ダンスも効くみたい。でも、何故効果があるかは誰も知らない。経験則で、効果があることが分かる程度。

 箱庭やコラージュも一種の芸術(表現)療法かもしれませんね。無意識の表現であることには違いがないからです。私のやるセラピーも、プレイセラピー以外は、私はだいたい芸術療法ですから、トラウマには、芸術療法の効果が「絶大」であると私も、経験的に確信しています

 

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真実と≪聴く力≫とが、被災地の心理的支援に必要です

2016-03-27 06:54:23 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
北の浜
  古くて新しい浜辺に行きましょう。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』から p106の冒頭から。  ...
 

 

 

 今日は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える6日目。

 1日目は、無知な「専門家」が、自分の勉強不足は棚に上げといて、昔からの自分の研究の枠組みにこだわるあまり、発達トラウマの苦しむ多くの子どもたちがゴマンといる現実を無視している、と申しました。そして、その人が示す「エサ」(㌿)は、被災地の子どもたちの幸せよりも、自分の社会的地位保全の方を優先している自己中心的策謀に過ぎない、ということです。

 2日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもが溢れるくらいいるのに、いまのニッポンの学校教育制度は、その子ども等の傷に塩を塗りかねないものだ、と申し上げました。発達トラウマの子どもたちのセラピーを、ヴァン・デ・コーク教授らに学びながら、この日本でも確立しなくてはならないでしょう

 3日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どもの心理的支援を担当する心理職の配置が少なすぎる、しかも、年次契約がほとんどである、など、心理職の制度が遅れていると、申し上げています。心理職も、正規職員として、学校の一員として、発達トラウマを抱えた子どもたちと継続的に関わることが必要です。

 4日目は、発達トラウマを抱えた愛着障害が重たい子どもほど、その母親も、家族も病んでいる場合が多いけれども、「重度の」母親面接までするゆとりがサイコセラピストにないかもしれない、というお話でしたね。心理職が正規職員として20対1の割合で配置されれば、難しい母親のケースもセラピーがやりやすくなることでしょう

 5日目は、おバカな教育委員会という問題です。「まぁ、こういうことにしときましょう」とばかりに、事実をねつ造することは教育基本法の中核的理念の「人格」や、教育の核となる「真理」、そして、その組み合わせである「人格的真理から、真逆にぶれるウソとゴマカシですから、「口裏合わせ」はやってはなりません。大事なのは、いろんな職種が対等に日常的に話し合うことです

 そして、今日、6日目は、発達トラウマを抱えた子どもにとって、最も大事なのは、最初の発達の舞台の根源的信頼感ですから、それを養うのは、ピスティス、誠実に、忠実に、子どもに向かい合う態度だ、ということです。それは、何かを教えると言う態度とは真逆で、子どもの言葉にならない言葉を、真心を込めて聴く態度です。ですから、心理職だけではなくて、教員も、教える技術よりも、≪聴く耳≫を養う方に力を注ぐ必要がありますね。教職課程そのものを、「教える技術」ではなく、「聴く態度」の養成をするものに変えていく必要がありますね。むしろ、この≪聴く耳≫を養う中でこそ、教えることも自ずから良いものになる、ということですね。

 この6点が改善されると、被災地の心理的支援も、だいぶ人間らしさの回復に繋がると思いますけどね。

 次回は、今現在の、被災地の心理的支援が、なぜうまくいかないのか? を考える最終回です。

 

 

 

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現代、というものの病 命と命は根源的に繋がっていることを否定する現代

2016-03-27 04:03:36 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
原発と安倍政権 〈お幸せ〉な私たち 改訂版
  原発も、私たちがどんな社会で暮らしているのかを考える上で重要です。 私どもは、どんな社会で暮らしているのでしょうか? 福島原子力発電所がメルトダウンし...
 

 眼の前の1人を、マニュアルよりも大事にできる人間でいたいですね。

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」に入りますp.233、始めあたりから。

 

 

 

 

 

 私どもが、身も心も魂までもが健康な子どもを上手に育てたいと願ったら、子ども等がトラウマを負わされる出来事で出くわしても、しなやかであり続けることが出来る子どもを育てたいと願ったら(おおよそ40%の子どもたちが、大人になる前にす、トラウマになりかねない出来事に、少なくとも一回は出くわします)、私どもは、身も心も魂までも健康な社会を打ち立てることが必要です。私ども人類の素晴らしいところは、私どもは学習できる、ということです。すなわち、記憶と科学技術のおかげで、眼の前でおきた経験から利益を手に入れることが出来ます。でも、それと同時に、この科学技術のために、おそらく私どもを繋げるはずの科学技術であっても、私どもをバラバラにしています。現代の世界は、人間が人間と繋がって生きていること、すなわち、それは大きな家族ですが、その暮らしにある、生きているものとしての命と命が根源的に繋っているということをぶち壊しにし、多くの場合捨ててしまうものですね。

 

 

 

 

 

 私も最近、ここでブルース・ペリー教授がおっしゃるようなことを体験しました。電話と言ったら、人の声と人の声を繋げるものですよね。でも、ある携帯会社に連絡しなければならないことがあって、連絡しても、話が通じません。何度掛けても同じ話の繰り返しです。話しは通じない、こちらの要望には応えない、自分の要求は押し付けてくる、…、その客を無視した対応ぶりに、「恐れ入りました」という、怒りとも、無力感とも言えない感じを体験しましたね。人と人を結びつけるはずのものが、人が人を傷つけるものに成り下がっている…。現代というものの病ですね。

 

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