トラウマには、表現して、言葉にする時に癒されるらしい。
ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.245の第2パラグラフから。
しかしながら、ペネベーカーとクランツの出した結論、すなわち、言葉は癒しになくてはならない、ということが、いつでも正しいのかは、分かっていません。PTSDの症状(一般の健康とは逆に)に焦点を当てて文字にした学生は、失望しています。私がペネベーカーと議論したとき、ペネベーカーが私を注意したのは、PTSDの患者が文字で自己表現する、たいていの研究は、参加者たちが自分達の語りを分かち合う集団の場で行われている、ということです。ペネベーカーは、私が今まで申し上げたことを繰り返し言いました。すなわち、書く相手は、自分自身であって、自分が何を避けようとしているかに、自ら気付くことなんですね。
書くことは、実は自分自身に語ること、そして、自分自身に語ることは、内省です。insight. 不思議なことですが、自分を深く見つめるほど、繋がり、すなわち、さっき、ブルース・ペリー教授が教えてくれたみたいな、生き物としての根源的な命の繋がりを実感するものですね。
その時の、安心感、信頼感。まぁ、ホッとするような温もりのある悦び。これがあれば、得体の知れない不安に侵されることは、決してありません。