エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

解放される感じ   一流は正直で清々しい

2016-04-28 07:50:05 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
転機は向こうからやって来る
    Young Man Luther 『青年ルター』p195の「3」から。   &n...
 

 演じることが、新しい自己発見、であってほしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.333の、ブランクから。

 

 

 

 

 戦争という名の劇場

 

 ニックの変化は、私が演劇の良さに気付いた最初ではありませんでした。1988年、私はまだ、退役軍人局で会ったPTSDの退役軍人3人の治療をしていました。その時、彼らが急に、元気を取り戻し、明るくなり、家族との関係も良くなったんですね。私はてっきり、自分の治療技術が上がったおかげだと思ったんですね。その時、実は、その3人は、演劇の制作に関わっていたんです。

 

 

 

 

 

 ヴァン・デ・コーク教授は、演じることの治療効果に繰り返し気付くチャンスがあったみたいですね。しかも、初めは自分の手柄と勘違いしてたことも、正直に書いてますもんね。やっぱり流は正直で清々しいものですね。

 私も、初めて「音楽座」のミュージカルを見た時の驚きを忘れられませんね。なんか解放される感覚を感じましたね。

 

 

 

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発達トラウマ障害≒愛着障害の子どもは、PTSDの3症状があっても、PTSDと診断しちゃダメだぁ!

2016-04-28 00:44:24 | 聖書の言葉から

 

 

 
やなせたかしさんの場合 絶望の隣に希望を見つけた人生 改訂版
  いまではどなたでも知っているアンパンマンの原作者。 1919年2月6日、大正8年、高知県香美郡香北町在所村出身、一年半前の2013年10月13日に94才で...
 


 

 

 今晩も、今から7年前、311(2011)を遡って2年前、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-にハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) の27日目。

 今晩からは、 「E PTSDの諸症状」の章に入ります。

 

 

     診断基準E. PTSDの諸症状。

 

     精神疾病の診断は、多軸診断へと移行しつつあることが認められる中で、かつまた、発達トラウマ障害の診断基準Aのストレスを経験した子ども達の中には、PTSDの症状を持つ子どもが多いことが知られる中で、PTSDの様々な症状が、発達トラウマ障害の診断基準を満たす必要が出ています。NCTSN(国立子どもトラウマ・ストレス・ネットワーク)の核になるデータによれば、発達トラウマ障害の診断基準Aを満たす子ども達の半分が、PTSDの診断基準も満たしている、とされます。CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の研究では、発達トラウマ障害の子ども達の69%がPTSDの診断基準を満たしました。しかし、PTSDの症状があることが、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)での治療の前提条件になっていますし、CCTC(シカゴ子どもトラウマ・センター)の研究協力者の中では、発達トラウマ障害の子ども達も、そうでない子ども達も、PTSDの診断やPTSDの重さのおいては、違いがありませんでした。CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)の研究では、発達トラウマ障害の子ども達の3分の1は、PTSDの何らかの症状があります。CANS(非営利団体「思春期以前の子どものニーズと人間力」)は、PTSDの診断を評価しないけれども、トラウマ関連の困難がある子どもの内、再体験と回避の両方の症状があるのは、5.5%しかいない、と報告しています。

 

 

 

 

 

 

 発達トラウマ障害の子ども達は、PTSDの症状がある場合が、かなりあるという報告です。しかし、たほう、PTSDの3症状の内、フラッシュバック(再体験)と回避の両方がある場合は、少ないそうですね。つまり、発達トラウマ障害の子ども達は、PTSDの症状がある場合は半分以上いるけれども、それは、回避か、過覚醒か、フラッ所バックの内、1つの場合が多い、ということでしょう。

 この場合でも、無知で無恥な「専門家」が言うように、PTSDとしちゃダメで、正確に「発達トラウマ障害」≒「愛着障害」としなくちゃね。さもないと、ADHDだの、うつ病だのと、診断(アセスメント)が混乱しちゃいますからね。

 

 

 

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宇宙に対するお礼

2016-04-27 07:43:38 | 聖書の言葉から

 

  今朝は、マハトマ・まど・みちおさんの言葉から(『どんな小さなものでも みつめていると 宇宙につながっている』より)。

 

 

 

 

 

   だれに向かって書いているかと問われたら、

   それは、私を私として生かしてくれている何かに対してです。

   その「宇宙の意思」のようなものに対して、

   お礼をこめて自分の痕跡を残したい。

   私の詩は、「今日はこのように生きました」っちゅう

   自然や宇宙にあてた報告なんだと思います。

 

 

 

 

 

 真摯に、謙虚に生きるお手本です。

 

 

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子どもには、適度な危険やストレスも必要です

2016-04-27 06:33:30 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 
身体の働きが人との関わり方まで決めちゃう不思議
  人間の器官の単純な働きには深い意味があります。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版』、p34のブランクの後、8行目途中から。...
 

 

 子どもが自ら危険を回避し、課題を解決できるようになってもらうためには、小さい頃から小さな危険に繰り返し出合い、自ら課題を解決するチャンスをあたえられていなくってはなりませんね。ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.240の 8行目途中から。

 

 

 

 

 

 

 今日の安全な文化においては、私どもの子ども達を厳しく監視し指導するところから、絶対に自由な大学へと子ども達を開放するところから、揺れている感じです(大学に行っても、子ども等について回る親もいますが)。人類史のほとんどにおいて、青年たちは早々と大人の役割を担い、見事に問題児になることを、肝に銘じなくてはなりません。10代の子ども達の問題の多くは、子ども等の成長しつつある脳に対して、適切な刺激を与えなかったから生じているのです。

 

 

 

 

 

 これは、とっても大事な指摘です。親が良かれ、と思って子ども達を守れば守るほど、子ども達に取り返しのつかなくなるかもしれない問題を植え付けている、という訳ですね。子どもには、適度な危険とストレスが必要です。

 

 

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演じることは、生きる場を持つことに繋がってる

2016-04-27 02:49:16 | 聖書の言葉から

 

 

 
岡部伊都子さんの場合  孤独を花明りにして 改訂版
  岡部伊都子さん。ご存じだろうか? かく言う私も、数年前にNHKの「知る楽 こだわり人物伝」という番組を見るまで、知りませんでした。Wikipediaによれ...
 

 

 子どもはみんな、自分は出来るぅ、出来たぁ、って、感じてほしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第20章 Finding your voice : communal rhyhtms and theater「自ふんの声を見つけてね:共通のリズムと劇場」p.333の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 私どもが、出来るぅと感じる感じ、すなわち、自分で自分をコントロール出来る感じは、自分の身体や身体のリズムとの関係によって決まります。歩くこと、眠ること、あるいは、どのように食べたり、座ったり、あるいは、歩くかによって、日々の生活の大枠が決まっちゃうでしょ。自分自身の声を見つめるためには、私どもは自分自身と身体の中に留まっていないとね。つまり、十分に息を吸って、心が感じることも分かることが大事でしょ。これは解離の反対ですね。解離は、自分の身体に留まることが出来ないことですし、本当の自分が消えちゃうことでしたね。また、これは鬱の反対でもあります。うつって、自分が受け身の愉しみをくれるスクリーンを前にして、ばったり倒れる感じでしょ。演技は、自分の身体を使って、生きる場を持つ経験になります

 

 

 

 

 演じると言えば、ウソとゴマカシの始まりのように思うかもしれませんが、それは、演じることに何たるかを知らない人の、浅知恵であるようですね。演じることは、新しい自己発見のチャンスになるらしい。ティナ・パッカーさんや、原節子さんが、演じる度に、新しい自分を見つける創造的な生き方をしているからこそ、見るものにも、その創造の一端に関わる悦びを、感じされてくれるのでしょうね。

 

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