今夜10時NHKEテレで、
水俣病患者の思いを書いた作品「苦界浄土」の作者
石牟礼道子さんの番組がある。
午後10時から「花を奉る 石牟礼道子の世界」が放送sれます。
( このブログでも、脳脊髄液減少症の抱える問題と、水俣病との類似点については何度も書いてきた。
気になる方は、このブログの右上のブログ内検索で、「水俣病」で検索してみてほしい。)
本日の夜の、
この、「石牟礼道子さんの世界」
朝日新聞の「試写室」の記事によると、
この番組は
徹底的に患者の視点にたったものに仕上がっているようだ。
「水俣は終わっていない。と強烈なメッセージが伝わる」内容になっているそうだ。
ぜひ、見てみたいが、
1時間半はかなり体力をつかいそう。
本日は見られるかどうか・・・。
でも、
診断基準を厳しくして、一部の患者しか当てはまらないようにして、
多くの患者を切り捨て、苦しめているのは、
水俣病も、脳脊髄液減少症も同じだと感じる。
私のように、過去の交通事故で何年も苦しんで、
やっと髄液漏れがわかって、
やっと治療で改善しても、
私には起立性頭痛がなく、
昨年出た、髄液漏れの診断基準にさえ、あてはまらない。
つまりは、あの診断基準からいえば、
私は「髄液漏れ患者」としては「認定」されないのだ。
水俣病患者も、交通事故での脳脊髄液漏れ患者も、
今までの患者を苦しめた経緯は似ている。
診断基準を厳しくすることで、なるべくそうだと診断される患者を少なくしようとしたがっている人たちが
いるような気がしてならない。
その方が、
自分たちにとって、都合がいいと信じている企業や人間たちが
存在するのは、
今も昔も残念ながら同じらしい。
多くの患者を「厳しい診断基準」で切り捨てることで、
ただでさえ病に苦しみ、声を上げることさえままならない患者たちは、
「診断基準」という、お守の決めたものさしをむりやりあてがわれ、
それにあてはまらなければ、泣き寝入りせざるを得なく、
無力な患者たちは黙らざるをえない状況においこまれているような気がしてならない。
その人たちが高齢化して声を上げる気力さえなくなり、
やがて一人、また一人と亡くなっていくのを、
まるで待っているかのようだ。
そして、いつか患者が一人もいなくなることで、
事態を収めようとでもたくらんでいるのか?とさえ
疑いたくもなる。
ひどい話だ。
ただ、水俣病と脳脊髄液減少症が違うのは、
水俣病は原因がわかって、その原因を絶てば、もう新たな患者を生み出さないですむけれど、
患者の発生を、未然に防ぐことができるけれど、
交通事故での脳脊髄液漏れはそうはいかない。
交通事故での脳脊髄液漏れ患者は、
交通事故という原因を完全に絶つことなど不可能だということ。
だから、患者の発生を、完全に未然に、くい止めることなどできないってこと。
だから、いくら私たち過去の交通事故での被害者での
髄液漏れ患者を、
権力と司法で、黙らせたとしても、
永遠に生まれ続ける事故被害者での髄液漏れ患者が存在するってこと。
何年たっても、何年待っても、昔の事故被害者での髄液漏れ患者が命つきても、
新たな交通事故での髄液漏れ患者は生まれ続けるってこと。
だから、
交通事故が原因での髄液漏れ患者の存在を
この世からゼロになるまで、消すことなど、
不可能だってこと。
どんなに私たち過去の交通事故での髄液漏れ患者を厳しい診断基準で切り捨て、
泣き寝入りさせ、高齢化して死ぬまで、見捨て続けても、
毎日全国どこかで起きる交通事故などで、起こり続ける髄液漏れ患者を
完全にゼロにすることなどできない。
はたして、
「あまりにも現実離れした厳しい診断基準」で
患者を一部に絞りこみ、多くの患者を切り捨て、
この病気の診断基準にあてはまらないと切り捨てることが、
はたして、企業にとっても、企業側の医師にとっても、
人類の歴史にとっても得なのかどうか、
よく考えてみてほしい。
脳脊髄液漏れの厳しい診断基準を作った人たちに、
この番組を見て、
この機会に、じっくり考えてもらいたい。