中尾次 (なこーし)
中尾次は古くは「中城」と言われ
1668年の布令によって中尾次と表記されるようになる
移動してきたシマ(あざ)で元の場所は
平敷地番のスーガ御嶽付近であった
そこは中尾次の御嶽となっている
公民館前には、神アサギ、ヌル道がある
崎山の東側の海岸に
ウドゥバンタ(踊崖)があり
そこれ中尾次の豊年祭のとき
願踊りが行われ雨乞いの祈願でもある
中尾次シマは中城シマのときから
中城ノロを排出したが継承者がなく
中尾次、与那嶺、さらに
緒喜田シマ(現在の緒志)へと移っていたが
名称は中城ノロと今もそう呼んでいる
中城ノロは、崎山、中尾次、与那嶺、諸志、兼志の
祭祀神事の場合中城ノロが執り行う
中尾次はスーガ御嶽、神アサギ、崎山のヌルドゥンチ
などの拝所で神事祭祀を行なっている
世帯数128 : 人口295人(2014年現在)
与那嶺
与那嶺の北側は海に面して長浜があり
公民館前広場にかなり年輪を重ねた
大木な赤木がある
付近には神アサギがあり
その広場に舞台があり豊年祭などが行われる
アサギ、ミヤー回りには
松やアコウ、福木、ユシギなどの老木が目立つ
シマの前方の前田原は
以前は水田が広がりユナンガー(湧水)がある
ノロの関わる祭祀は
中城ノロが執り行う
世帯数 164
人口360人(外国人含む:2014年現在)