人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

今帰仁 【18】

2016年01月15日 00時02分55秒 | 日記

 中尾次 (なこーし)

中尾次は古くは「中城」と言われ

1668年の布令によって中尾次と表記されるようになる


移動してきたシマ(あざ)で元の場所は

平敷地番のスーガ御嶽付近であった

そこは中尾次の御嶽となっている


公民館前には、神アサギ、ヌル道がある

崎山の東側の海岸に

ウドゥバンタ(踊崖)があり


そこれ中尾次の豊年祭のとき

願踊りが行われ雨乞いの祈願でもある


中尾次シマは中城シマのときから

中城ノロを排出したが継承者がなく


中尾次、与那嶺、さらに

緒喜田シマ(現在の緒志)へと移っていたが


名称は中城ノロと今もそう呼んでいる

中城ノロは、崎山、中尾次、与那嶺、諸志、兼志の

祭祀神事の場合中城ノロが執り行う


中尾次はスーガ御嶽、神アサギ、崎山のヌルドゥンチ

などの拝所で神事祭祀を行なっている

世帯数128 : 人口295人(2014年現在)

 

 与那嶺

与那嶺の北側は海に面して長浜があり

公民館前広場にかなり年輪を重ねた

大木な赤木がある


付近には神アサギがあり

その広場に舞台があり豊年祭などが行われる

アサギ、ミヤー回りには

松やアコウ、福木、ユシギなどの老木が目立つ


シマの前方の前田原は

以前は水田が広がりユナンガー(湧水)がある


ノロの関わる祭祀は

中城ノロが執り行う


世帯数 164 

人口360人(外国人含む:2014年現在)

コメント
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