久高島のジーワイ(地割)
沖縄は明治以前、沖縄全域でジーワイ制度であった
ジーワイとは集落内の土地を共有(総有)し
一定面積を区分し住民に分与し一定期間ごとに割り替えをする
制度でこの割り替え制を、ジーワイと称した
北は北海道から南は沖縄列島まで行っていた割り替え制は
奈良時代から行われていたとされている
沖縄で始まったのは古琉球からあったとする説
近世から始まったと節、薩摩藩が琉球に侵攻(1609年)後
薩摩から導入されたとする説があり、いまだに確定していない
琉球王朝時代、土地は全て国の所有で
原則的に個人の所有はなかった
王府に仕える、間切(村)の地頭が
その間切の集落ごとに一定の土地を与え
集落の農民たちが協議」の上で個人、家族単位に
不公平が出ないように数個所の土地を分散し平等に配分した
ジーワイ(地割)の仕方は集落によって独自に決めていた
期間は主に2年から長い期間は25年もあり
また年限を決めていないムラもあった
期間が過ぎると再び割り当て直した
年貢は、個人ではなく集落全体で上納していた
このジーワイ制度は、1903年(明治36年)まで
沖縄では行われていただが久高島では現在も
ジーワイ制度おこなわれ続けられている