首里グシクの築城年代を示す史料はほとんどない
近年の発掘調査から、最古の遺構は
十三世紀頃からグシクとして、用いられたとされている
十四世紀頃に中山王察度が浦添より移り居城とした
その子武寧も王城としたと言う、伝承されている
佐敷グシクを拠点に勢力拡大していた
佐敷按司尚巴志が、中山武寧王を攻め滅ぼし
尚巴志の父が中山王に即位する
その後尚巴志は1416年北山攀安知を攻め滅ぼした
1429年に南山他魯海も攻め滅ぼし三山を統一した
尚巴志は父の死後、中山王二代目に即位した
尚氏第一王統の始まりである
首里城は琉球国の王城に成り城は増築されている
琉球は明国とは朝貢外交、日本、高麗、東南アジア諸国との貿易などで
首里グシクは琉球国の政治、経済の中心と成って行く
第一王統は七代、六十三年(1406∼1469年)続き
その間首里城は増建され拡大していく
城域内には巨大な王族の墓陵王陵(たまうるぅん)
王一族菩提寺の円覚寺、園比屋御嶽門、弁財天堂
龍潭、そして龍通、王宮の生活水、飲料水として使われた
首里城は軍事目的よりも政治、外交を担うグシクとして
増建、整備されていく
そして第二王統に成り十九代続き四百三年、両王統を合わせて
四百六十六年以上首里グシクは琉球国の中心地であった