人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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菊隱宗意【1】

2020年10月05日 00時00分15秒 | 日記

  菊隠宗意は幼い時に出家得度

円覚寺住持洞観和尚によって剃髪して入寺

 

その後、日本に渡り

京都五山派大徳寺笑嶺宗訢(1490~1568年)より

 

師事を受け禅堂首座にまでなったと言うが

法嗣を受け継ぐことはなかった

 

その後、古渓宗陳(1532~1597年)に師事し、

法嗣を受け継いで古渓僧師より、

菊隠の称号を受け継ぐ

 

菊隠は、十数年の修行仏法の学びを終えて

琉球に帰国し、天王寺住寺となり

琉球において大徳寺の仏法を教え伝えた

 

菊隠は、薩摩藩などとの外交に携わる

 

島津家の家督継承の祝いの時も

紋船で外交使節として

 

度々薩摩を訪問して島津義久・義弘・家久らと

親交があったと言われている

 

その後、円覚寺十八代住持となり長きに渡って勤めが

老齢のため辞し、千手寺に閑居した

 

1609年に、琉球国始まって以来の最大の危機が訪れる

コメント (2)
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