菊隠宗意は幼い時に出家得度
円覚寺住持洞観和尚によって剃髪して入寺
その後、日本に渡り
京都五山派大徳寺笑嶺宗訢(1490~1568年)より
師事を受け禅堂首座にまでなったと言うが
法嗣を受け継ぐことはなかった
その後、古渓宗陳(1532~1597年)に師事し、
法嗣を受け継いで古渓僧師より、
菊隠の称号を受け継ぐ
菊隠は、十数年の修行仏法の学びを終えて
琉球に帰国し、天王寺住寺となり
琉球において大徳寺の仏法を教え伝えた
菊隠は、薩摩藩などとの外交に携わる
島津家の家督継承の祝いの時も
紋船で外交使節として
度々薩摩を訪問して島津義久・義弘・家久らと
親交があったと言われている
その後、円覚寺十八代住持となり長きに渡って勤めが
老齢のため辞し、千手寺に閑居した
1609年に、琉球国始まって以来の最大の危機が訪れる