人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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菊隱宗意【3】

2020年10月15日 00時01分18秒 | 日記

  1609年、薩摩藩軍、大将樺山久高は

総勢三千人・八十余の艦艇

 

鉄砲七三四挺・弾丸・火薬三万七百放(一艇に三百放)

弓百十七張りで火力重視の構成であった

 

その頃の琉球国の、軍事力組織は約一万人の兵力で

三隊で構成された、三番「ヒキ」と言われた

 

首里城・那覇港湾などの守りであった

弓約五百張りで、鉄砲役二百挺

 

大砲数門保有し那覇の両岸に砲台設置されていたが

武器は主に弓矢が中心であった

 

薩摩軍は、3月4日に山川港を出港した

3月24日には奄美諸島すべてを占領する

 

それを知った王府は、和睦のため日本語に通じる

菊隠宗意を使者として遣わす事になった

コメント (1)
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