ナチジン(今帰仁・なきじん)は
両親が生まれ育ったムラである
私は大阪で生まれ5歳の時に両親のシマ
字今泊に家族と供に引き揚げてきた
当時は合併前でエールマイ(親泊)と言っていた
(1972年に字今帰仁と字親泊が合併し字今泊となる)
私は、小中校とエールマイ(親泊)で育った故郷である
そのころは電気も水道もガスも 各家庭に無い時代であったが
大きな湧き泉、エーガ-(親川)あり
水の豊富な 美しい田園風景あった
海や山が在り 海岸や森を保有する
自然豊かな美しい景観のある故郷である
今帰仁村のシンボル 北山城が
今泊ムラに有している
北山城はナチジン人のアイディテイ
今泊ムラのルーツである
今でもシマを誇りと愛着を持っている
その頃は昔ながらの、神事、祭祀
祭りなど古式豊かに行われていた
沖縄本島北部を山原(ヤンバル)と呼ばれていたが
明治41年に北山の領域であった ヤンバルを国頭郡と言い
間切を村(そん)
ムラ、シマを字(あざ)と呼ぶようになる
私達の年代は 生まれ育った故郷を今でも
シマ(今泊)と呼んでいる
2000年12月2日に世界遺産に登録されている
シマのルーツである北山城(ナチジングシク)を
次回から紹介したいと思っています
地元の人なら分かる事ですが始めての方には戸惑うのが当たり前です(文章曖昧、悪いので)
今帰仁=なきじん(方言でナチジン)、城=しろ(方言でグシク)と読み
北山 城=ほくざん じょう と言う
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当家のご先祖様と繋がりがあると言われいる今帰仁城、私は2015年に訪れました。壮大な城壁を覚えています。当家のお爺さまも昭和の初期に調査に行ったようで、その記録が残っております。
今帰仁の紹介、楽しみにしております。