日本にキリスト教が伝えられたのは
1549年イエズス会宣教師 フランシスコ・ザビエル一行が
薩摩に上陸したのが日本宣教の始まりである
1613年には 35万人以上の人が
キリスト教に改宗したと推定されている
(現在日本のキリスト教徒 約110万人)
だが1613年幕府はキリシタン禁教令を発布し
自由な宣教活動は60年ほどだった
禁教政策は 約260年間続き
その期間にキリシタンに対する弾圧
拷問や処刑を含む極めて過酷な
キリスト教徒 迫害が行われた
新井白石の西洋紀聞下巻付録によると
殉教者は20万から30万人にのぼると記されている
ラウレス博士によると史料に基づく計算では4、045人
当時の史料に残らないものが多くあり
実際の殉教者総数は数倍にもなると言っている
ルエダ神父は、弾圧に苦しむ
教え導いた信徒を励ますために再度日本を目指す
1624年 マニラを出港したが遭難し
八重山、石垣島に流れ着いた
そこで宮良ジトゥデ(村長)石垣永将に出合う
ルエルダの熱情溢れるキリスト教の教えを
石垣永将始め 一族は 教えを受け入れた
だが キリシタンとして訴えられ 王府の知ることとなり
永将、家族も流罪 財産全て没収 弟 二人も流罪
10年後に薩摩藩に知ることとなり
永将は火あぶりの刑に、後に弟二人も同じ火刑
ルエダ神父は粟国島へ流罪になり 行く途中に
海に投げ込まれ 殺されたと伝えられている
スペイン ドミニコ会 宣教会員
フアン・デ・ロス・アンヘス・ルエダ神父
47歳の頃 殉教
嘉善姓家譜 ・ 八重山島年代期 、 薩摩旧記雑録
ドミニコ会殉教禄 この4つの史料から得た記録である
(年月日は史料によって違いがあるので参考程度に)
前回の投稿にコメント頂き有難う御座います
大変励みになります
お礼と返事のコメントしたいのですが
パソコンの不具合で 一人一人にコメント出来ません
ご理解のほどよろしくお願いいたします
有難う御座います
頑張って下さい。一言。
キリストの信仰を得た当時の人はやがて天国に行けることを喜んだものの、なお不審だったのは死んだ両親のことでした。
両親たちは発見されることが遅かっただけで、つまりザビエルが日本にやってくることに間に合わなかっただけで、死せる者に何も罪もないのである。
死せる者の罪はゼウスを礼拝しなかったからだというですが・・・。
ザビエルは、こうも述べている。「彼ら日本人は予の魂の歓びなり」
この言葉は、欧米社会に遍く知れ渡りました。
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