人生黄昏時

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菊隱宗意【2】

2020年10月10日 00時00分16秒 | 日記

  1609年に薩摩軍が琉球国に侵攻してきた

侵攻して来た経緯については諸説あるが

 

歴史学者の先生方はほぼ同じ事を述べている

 

薩摩藩の事情

 

江戸幕府の事情

 

琉球側の事情があったとしている

 

その経緯は、1602年睦奥伊達に

琉球国の船が漂着した

 

その時徳川幕府の命により

1603年に39人を琉球に送還した

 

また、1604年には平戸にも漂着し送還している

後に幕府は薩摩藩を介し謝恩使を派遣するように求めてきた

 

琉球側は無視、繰り返し要求したが

琉球国は応じなかった

 

薩摩藩は改めて大慈寺の龍雲僧らを遣わし説得し

朝聘するよう求めたが琉球国は応じなかった

 

当時幕府の鎖国政策(1612年から始まる)前で

そのころ各藩の商船が多数貿易のため琉球国に出入りしていた

 

薩摩は薩摩藩の朱印状を持たない

船舶との貿易を認めないよう要求したが

 

貿易国の琉球としては到底受け入れる事は出来なかった

それまでの良好関係が崩れ対立関係が生じ

侵攻へと至る過程に大きく影響したと言われている

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