K さ ん へ NO.266
このたびは最愛の奥様をなくされまして誠にご愁傷さまでございます。
美人薄明と申しますから、美人の奥様と連れ添われたKさんとしては、神のいたずらに翻弄されたということになりますが、物事には例外があってもいいものを、冷酷な仕打ちを恨まないわけには行きかねるとこでしょう。
気を落とされずに、早世された奥様のあるべき余命の分もしっかりと取戻し、Kさんの寿命として長寿を全うされることを期待いたします。
さて、高齢者にとって連れ合いをなくすということは、どれだけ悲しく寂しいことではないかと思いますが、人間に命というものが限りあるかぎり、ある面では仕方がない宿命であると割り切って考えるほかないのではないかと思います。 気持をしっかりとお持ちいただいて、この先力強く生きていただきたいと願わずにはおれません。
連れ合いをなくすと心にぽっかりと空洞ができて、何をする気力もなく急速に老化する人がいます。
でも、高齢者にとって「きょういく」と「きょうよう」は不可欠と申します。「きょうよう」とは「今日用」があるということで「きょういく」ということは「今日行く」という意味です。
今日も明日も「用」がなく、今日も明日も「行く」ところがなくなると、高齢者は「元気」がなりなります。
Kさんも一段落なさったら「今日の用」としてはマジックをすることで、今日行く所は公民館として、「きょういく・きょうよう」の機会を積極的に作っていただきたいと思います。
また、高槻市では「寝たきり」になったり「身体の機能が低下して自活できなくなること」を予防するために、市が補助金を出して「介護予防を図るための施設」が設置されています。
私はこのうちの一つでありますNPO法人「なごみの家」のボランテイアとして活動しています。 Kさんのお近くにもそういう施設があります。
こういう施設をご利用いただけば、老後を豊かに有意義に過ごせるのではないかと思います。
明ければ、奥様のいらっしゃらない寂しい新年になろうかと思いますが、しっかりなさったKさんのことですから、きっとこの試練を乗り越えられるものと確信しております。
時節柄御身大切になさいまして、風邪などお召にならないようお過ごしいただくことを祈念いたします。
失礼します。
平成25年12月20日
中 岡 章