じ い ち ゃ ん の 意 見 NO.315
昨日の「おたまじゃくし事件?」に対するじいちゃんの意見です。
1 孫とママが約束していたということについては、爺ちゃんは知らなかった。 そして、その知らなかったことについて、じいちゃんに過失とか・責任があったとは言えない。
2 2~3については、そういう点まで配慮が及ばなかった。
反省の要がある。
ただ、個人的にはオタマジャクシでもなく、蛙でもない中途半端な生き物はちょっと生理的に好きではない。
オスギとピーコがテレビに映るとチャンネルを切る。
男か女かわからないようなあの言葉遣いは生理的に嫌悪感がある。
そうそういう中間的な状態となったオタマ蛙に対する潜在的な嫌悪感があったために、他の影響まで考えないで孫の提案(放流)を受け入れたのかもしれない。
4 の過失については過失として認めなければならない。 将来の教訓と
したい。
<叱責について>
1 ウソをつくな・盗むな・時間を守れ・整理をせよ・弱いものをいじめるな・などなどは子育てのなかでは重要な躾であるが、怒鳴りつけ・時には腕力を行使してでも守らせるべき重要なことと、それほどでもないがキチンと躾すべきことなどがある。
2 要は「叱られている本人」が、なぜ叱られているのか・どうすべきだったのか、今後どう対処すべきなのかを、よく理解させ「納得」させることが重要だろう。
3 父親が子供を叱ってる時に母親が子供を過剰にかばうこと(反対の場合もおなじ)は、子供に取っては父親が間違っていると理解する。
叱る必要がある時には当然しかるべきだが、𠮟り方に矛盾があったり
親の独善があれば、そういうことではちっとも教育にならないものだ。
子どもを育てるということは、親も育つということではないか。
昨日の「おたまじゃくし事件?」に対するじいちゃんの意見です。
1 孫とママが約束していたということについては、爺ちゃんは知らなかった。 そして、その知らなかったことについて、じいちゃんに過失とか・責任があったとは言えない。
2 2~3については、そういう点まで配慮が及ばなかった。
反省の要がある。
ただ、個人的にはオタマジャクシでもなく、蛙でもない中途半端な生き物はちょっと生理的に好きではない。
オスギとピーコがテレビに映るとチャンネルを切る。
男か女かわからないようなあの言葉遣いは生理的に嫌悪感がある。
そうそういう中間的な状態となったオタマ蛙に対する潜在的な嫌悪感があったために、他の影響まで考えないで孫の提案(放流)を受け入れたのかもしれない。
4 の過失については過失として認めなければならない。 将来の教訓と
したい。
<叱責について>
1 ウソをつくな・盗むな・時間を守れ・整理をせよ・弱いものをいじめるな・などなどは子育てのなかでは重要な躾であるが、怒鳴りつけ・時には腕力を行使してでも守らせるべき重要なことと、それほどでもないがキチンと躾すべきことなどがある。
2 要は「叱られている本人」が、なぜ叱られているのか・どうすべきだったのか、今後どう対処すべきなのかを、よく理解させ「納得」させることが重要だろう。
3 父親が子供を叱ってる時に母親が子供を過剰にかばうこと(反対の場合もおなじ)は、子供に取っては父親が間違っていると理解する。
叱る必要がある時には当然しかるべきだが、𠮟り方に矛盾があったり
親の独善があれば、そういうことではちっとも教育にならないものだ。
子どもを育てるということは、親も育つということではないか。